私たちの「楽しさ面白さ」

私は、テレビのバラエティ番組が嫌いです。

理由は、一言で言ってしまうと、くだらないから。

タレントがバカ騒ぎしたり、奇抜な行動をしたり、

時に粗暴、時に卑猥、子どもには見せたくありません。

教育上良くない、と言う人もいますが、

それ以上に私は、「大人として恥ずかしい」から。

新聞のテレビ欄を見ると、所謂ゴールデンタイム、

各社民報はどこもかしこも、バラエティばかり。

NHKのニュース以外、ほとんど選択肢はありません。

これ、視聴者のニーズを汲み取った判断でしょうから、

日本人全体が挙ってそれを求めているかと思うと、

背筋に寒さすら、覚えます。

子どもたちを見ていると、それを一層感じます。

バラエティ番組の模倣が幅を利かせて、

あそびの中にあってほしい創造性が、

奪われていると感じざるを得ません。

そして、社会問題となっているイジメも、

バラエティ番組との関連なしには語れません。

冒頭から、全く歯に衣着せず、書いてみました。

「敢えて」ですが、でも、本音です。

中身のない番組ばかりではないし、

面白いこと、楽しいことは、それ自体、いいことです。

でも、私はやはり、これを否定的したい。

それは、これらが「つまらないから」ではなく、

むしろ「結構面白いから」です。

子を授かる前、私もバラエティ番組を視ていました。

面白いと思ったし、笑わせてももらった。

恐らく、よほど極端な人でない限り、

誰でもそれなりに手軽に面白いとは思える番組。

でも、楽しい、面白いってそんなものでしょうか?

スポーツや文化芸術がいい例ですが、

私は、本来楽しいとか、面白いって感じるには、

それなりに知識や感性、体力や根気が必要だと思います。

テレビのスイッチをつければ誰でも得られる面白さ、

手軽なのはそれ自体悪いことではありませんが、

視る側はついつい、それに依存して、

どうしても、本来の「楽しい」「面白い」を見失いがち。

それに、手軽に堪能できる「面白さ」の味付けは、

やっぱりどぎついまでに刺激的、濃くなります。

それが、粗暴さだったり、卑猥さだったり。

上述の、子どもの創造性の欠如やイジメは、その代償。

だから、長所を含めて、まるごと否定したい。

ちょうど、ジャンクフードの味付けに似ていますね。

安くても、誰でも「美味しい」と思える味付け…。

たとえその中に、栄養価の高い食材が使われていても、

それが人体に与える悪影響を、相殺してはくれません。

人体に危険なものは、何が入っても危険ですからね。

そんなバラエティ番組にも、先月、

BPO放送倫理・番組向上機構)から、

自粛要請が出たそうですね。

上記の思いを抱く私としては、拍手喝采したい。

ですが、ことはそんなに単純ではないのでしょうね。

規制はしたけど、これで番組が良くなる保証はないし、

何より、バラエティ番組と言えど、表現の自由の対象、

関係団体とは言え、

規制も自粛もない方がいいのは大前提です。

(逆を言えば、それだけひどかったのかもしれませんが)

最悪、規制だけで結果をもたらさないなんてことも…。

人を笑わせる、テレビを視て笑う、

本当は、とても良い試みなのだと思います。

視聴者、テレビ局、機構みんなが力を合わせ、

番組の質が、良くなればいいですね。

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八丈島に行ってきましたⅤ

9月に旅行に行って来て、10月の初旬から書き始めて、

「いつまで八丈やねん」って感じですが、

今回を含めてあと3回、年に1度の旅行なので

(他にネタがないので)、お許し下さい。

春~秋にかけて、南の島に旅行に行くということは、

やっぱり、海で遊ぶのがメインになります。

子どもを連れていたら、それはなおさら。

今回は、「子もんすてら。と遊ぶ海」がテーマ。

360度海に囲まれ、黒潮の恵み豊かな南の島とは言え、

「男の海」と形容される、険しい岸壁と荒い波。

子どもを遊ばせられる場所は、限られています。

まず、温泉に恵まれた坂上地区。樫立の

乙千代ヶ浜(おっちょがはま、と読みます)と言う海岸があります。

島の真西に面し、崖の真下にあるここ、

八丈の海の男らしさも極まれり、です。

が、ご丁寧に護岸で閉じられた場所があり、

わずか護岸に開いた穴から時折波が来るだけで、

それ以外は全くのプール状態。

いくら波が荒れてても、ここなら安心です。

もんすてら。も自由に泳げるので、バシャバシャhappy01

水中から、漂うもんすてら。を撮ってみました。

Pic_0201

それから、東海汽船メイン港のある底土。

八丈島で唯一の、まともな砂浜の海水浴場です。

メイン港があるくらいだから、比較的穏やか。

今回は、北東からのナライの風が強く、

船が底土を避けて八重根港に入港したくらいなので、

ちょっと波はあったけど、周りを防波堤が囲んでいるので、

多少のうねりなら、子どもでも遊べます。

と言っても、ここはなかなか素敵な海。

Pic_0129_2

八丈富士をバックに泳ぐのは何と言っても気持ちがいいし、

ちょっと沖に出るとテーブル珊瑚の群生があります。

Pic_0180

来年は、子もんすてら。も潜れるようになって、

ここの珊瑚と魚たちを眺めるように、なればいいなぁ。

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子どもは、保育は、これから…

私たちが子どもを預ける保育園(保育所)

いつでも誰でも始められる訳ではありません。

周囲の環境や面積、建物の構造に始まり、

法人の資産状況や人員配置など、

全ての条件をクリアして、行政から認可されます

(無認可の保育所もありますが、全くの手弁当で

子どもたちを預かるのは事業としては実質不可能。

多くは、認可に準じた基準を満たして、認証を受けています)

もちろん、認可はゴールではなく、スタート。

開設後も、指導監査や第三者評価を受け、

この基準やその他の適法性、質を保つことが必要条件です。

これらは全て、子どもたちや親にとって

安全・安心な保育を実現するための制度なのです。

ところが、この制度が今、揺らいでいます。

1つは自由契約制度の導入、

そしてもう1つが、上記の基準撤廃です。

7日、政府の地方分権委員会は

この基準を地方の条例に委ねる旨、求めました。

まさに、基準は風前の灯です。

基準を撤廃するメリットは、理解できます。

例えば、周囲の環境や面積について、都市部と地方の僻地に、

同じ条件を満たすのは、不合理かもしれません。

その結果、認可保育所が増えず、待機児童が減少しない、

確かにこれは、問題です。

待機児童の親や、わずかな条件の違いで認可を受けられない

一部の認証保育所は、これを歓迎することでしょう。

私も、認可保育所が増え、待機児童問題が解消するのは

大いに賛成したいと考えています(他の業種と違い、

認可保育所は同業者をあまりライバル視しないんです。

この長短については、また書きたいと思います)

ただ、この結果、子どもたちの保育環境はどうなるでしょう?

横浜市内の保育園を眺めてみると、

決して恵まれているとは言えません。

子どもがひしめいている保育室も多いし、

門の前を激しく車が走る園や、繁華街の近くの園、

元々パチンコ店や飲食店だった施設を流用する園もあります。

基準が撤廃されたら、どうなるでしょうか?

ほとんどの新しい園は、低い基準で整備されるでしょう

(必要のない出費は誰だって抑えたいですからね)

恵まれているとは言えない現状が、

悪化するのは容易に予想できます。

百歩譲って、多少環境が犠牲になっても、

それで待機児童が解消するならいい、

と考えるかもしれません。環境だけなら。

しかし、お金はどうでしょう?

保育所の運営は、ギリギリの運営費で賄われます。

介護従事者は低賃金で有名ですが、

保育士はこれを遥かに下回ります。

それでいて(だからこそ?)

保育士の人数と勤続の確保は難しいのが実情。

ギリギリの運営費と保育の質の溝を埋めているのは、

保育士ら従事者のボランティア的な支えなのです。

ところが、基準が緩和し、増えた全ての認可園に、

今と同じだけの運営費は支給されるでしょうか。

日本の国家財政を考えたら、それは期待薄でしょう。

となったら、ここで犠牲になるのは誰でしょう?

より低賃金で、

よりボランティア的な労働を強いられる保育士でしょうか?

いえ、それだけではありません。保育士にも生活があります。

介護従事者に比べ、離職率が低い保育士も、

他の業種への転職が続出するでしょう。

経験ある保育士は減り、

その穴を未経験者や無資格者が埋めるのでしょうか。

それとも、最悪誰も穴を埋めない、

つまり、少人数で大勢の子を保育するのでしょうか。

いずれにせよ、犠牲になるのは保育の質であり安全です。

たとえ待機児が認可保育所に入れたとしても、

大切なお子さんを、そんな園に預けたいですか?

待機児童の問題は、切実です。

現状に甘んじていいとは思いません。

が、待機児も入園児も、ひとりひとりが大切な子。

量を以って質を犠牲にすることだけは、避けたいものです。

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八丈島に行ってきましたⅣ

素敵な場所に旅行に行くと、

「あぁ、こんなところに住めたらなぁ」って思いませんか?

南方志向の私にとって、八丈島はまさにそんな場所。

島民を見ていると、羨ましいと思うこともしばしば。

今回は、そんな島の人との関わりについて。

毎年行っていると、島にはいくばくか、知り合いができました。

まずは定宿にしている民宿のおじちゃんおばちゃん。

毎年八丈に行くのは、彼らに会いたいのが半分です。

それから、島出身、結婚して東京に住む、

かとれあ。と、今も島に残り暮らすその母

(宿のおじちゃんおばちゃんは、私たちを通じて、

今やかとれあ。母ともお付き合いがあります)

そして今回は、同じく結婚して2人の子と東京で暮らす、

かとれあ。の幼なじみのりりー。や、

かとれあ。母とも幼馴染のりりー。の両親にも会ってきました。

↑の段落、サーっと読むと頭が混乱してきます。

え…、誰と誰がどんな関係?

そうです、こんなのが島の人間関係です。

あの人とこの人は友達で、友達どうしが親戚で、

そのまた親戚はあの人ときょうだい、とか…。

人口1万人に満たない島では、どうしてもこうなります。

そんなひしめき合った土の上に、コンビニ1つない環境、

年中温暖な気候のせいでしょうか、

島の人々は、穏やかで開放的です。

かとれあ。母は、かとれあ。抜きで私たちが訪れても、

同じように歓迎してくれます。

りりー。とは実は初対面。

なのに、一緒に食事をした上で、

ご実家に招いてくれて、ご両親からは島の定番、

焼酎が振る舞われて、いろいろと楽しい話を聞かせてくれました。

何度も島を訪れている私、動き方が染まっているのでしょうか。

時折島の人に間違われることがあります。

それも、観光客ならまだしも、島の人に。

八丈島は、空港や港、私たちの泊まる宿のある「坂下」と、

温泉などがあって山村のような「坂上」に分けられます。

この、「坂上」の人には、私は「坂下」の人間に見えるらしいのです。

実際、「坂下」で何回か、坂上の島民に道を聞かれたことがあります。

よく、行きつけた旅行先で、地元民よろしく振る舞う人、いますよね。

乱暴な言い方をすれば、ローカル気取りと言うのでしょうか。

島での私、ローカル気取りのできる絶好の状態と言えましょう。

でも、私は島民と話す時も、他の観光客と話す時も、

自分を「観光客です」と言い添えることにしています。

それは、どんなに足しげく通っても、そこに通じても、

1年365日そこで生活しないと見えてこないものがあるから。

これだけ島を訪れる私も、島の「楽しい側面」しか見ていません。

例えば、今回は2泊3日の旅行の予定が、3泊しました。

それは、強風で帰りの飛行機が飛ばなかったから。

この日、東京は絶好の好天で、

羽田で唯一欠航になったのは八丈島便だそうです。

船も、4日のうち、1日は欠航、2日は八重根港、

メインの底土港に接岸できたのは1日だけでした。

今も台風が来ているけど、これから冬になって海が荒れると、

連日船も飛行機も欠航、完全に孤島状態なんて事もあり、

そんな時は、島じゅうどこの店でも、

食料品が全て売り切れになります。

そんな過酷な環境で暮らす島の人々の生活、

その表情には誇りすら感じられます。が、

やっぱり私にはできそうもありませんから。

いいとこも辛いとこも、住んで初めて分かるもの。

逆に言えば、私は横浜市民、

ハマを愛する気持ちは、誰にも負けたくありませんしね。

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迷えどブレず

この世には、絶対に正しい答えなんて、ないと思います。

以前にも書きましたが、真理なんて見つからない。

「真理は見つからない」ことこそが、唯一の真理だ、

なんて話も聞いたことがあります。

しかし、世間を見てみると、どうでしょう?

「これが全ての答えだ~!」みたいなものが、

あまりにも多いと思います。

そして皮肉にも、そうしたものほど、移ろい易い。

私がよく記事にするものでは、約半世紀前の日本、

みなが「お国のため」で、命すら落としました。

記憶に新しいのは数年前、情報番組で納豆を取り上げ、

世間のスーパーで納豆が売り切れ続出になったり。

結局、その番組の虚偽報道が明るみになるまで、続きました。

祖国の繁栄なりダイエットなり、目的は違えど、

その目的を実現するための「これが答えだ正解だ」。

そこには、あまりにも迷いがありません。

そしてすぐに崩壊し、次の答えに替わられる。

答えを追う側を主語にしたら、「ブレてる」訳です。

あっちへこっちへ、いろんな方向に猪突猛進、迷わずブレる。

日本人、そんなことを、繰り返しているように見えます。

迷うのとブレるのは、似ているけど全く違う。

ブレは、複数の方向性の「ずれ」に、時間的な差があります。

さっきと今で、違う方向性に進む。

結局、時間と体力ばかり浪費して、どこにも進みません。

複数の方向性が、同時に頭の中にあって、

「あっちもいい、こっちもいい」なのが、迷いです。

迷ってばかりでは困りますが、両方を見比べて、

より良い答えを見い出すきっかけになります。

何が正しいか、なんて誰にもわからない、

これを基本にしたら、自ずと迷いが生じます。

そりゃそうですね。わからないんだから。

でも、わからないからわからない、

わからないのに、わかっているつもりよりはずっといい。

それに、迷い続けると、迷いながらも少しずつ、

進むべき方向性ができてくるんですね。

あっちへこっちへ猪突猛進するよりは、

地図を手に迷い迷い、一歩一歩見定めて歩く、

そっちの方がずっと、いい結果も出るというものです。

そろそろ、迷うことをしてもいいんじゃないかな、日本人。

そっちの方が、ずっと「ブレない」、

かっこいい生き方ができると思います。

迷えどブレず、でいきたいものですね。

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八丈島に行ってきました~Ⅲ

私たち日本人は温泉好き。

旅行や遠出をする時、温泉がないと、何だか物足りない、

なんて人も多いと思います。

温泉こそ、旅行の最高の付け合わせ、

いえ、「具」と言うべきかも知れません。

ともあれ、寒さの中の温もりが嬉しいのでしょうか、

温泉って、雪景色が似合う気がしませんか?

ところが、ここ八丈島の温泉は違います。

何しろ、黒潮に浮かぶ亜熱帯の島。

そして、隣の三宅島と同様、火山の島です。

これより南にある小笠原や沖縄には、

温泉が全く、またはほとんどないので、

温泉が楽しめる日本でも数少ない南の島と言えるでしょう。

なんて今日は、八丈島の温泉のお話。

そしてその数も、恵まれています。

東京都23区で2つ分くらいの面積に、

6つの入浴施設があり、さらに嬉しいことに、

うち2つは無料なのです(但し、身体は洗えません)

しかも、そのほとんどが違う泉源違う泉質、

そして全て、源泉かけ流しです。

ある温泉は、サーフィンのメッカ、

打ち寄せる波を聴きながら入れたり、

またある温泉は、浴室の窓から

青い芝生と黒潮の海、遠くに霞む青ヶ島が見えたり。

観光客に一番人気の温泉は、灯台の近くの崖の上、

三陸の北山崎のような崖とそれを洗う波、

それを見下ろす露天風呂が楽しめます。

真っ暗な夜は?

すぐ近くの灯台が、真っ暗な海原を遠くまで、

海の荒れた日なら、白波が輝いて見えます。

昼にはできない幻想的な楽しみです。

そして私が一番好きな、裏見ヶ滝温泉。

無料で入れる、水着混浴の温泉です。

ハイビスカスやらストレチアやらの花の咲く、

如何にもトロピカルな森の中、その温泉はあります。

Pic_0293

茶色に濁ったお湯は、やっぱり流し放題。

ここの景色のアクセントになる滝と一緒になって、

すぐ近くの藍ヶ江の海に注ぎます。

老若男女、地元の人も観光客も、

お互いが裸のつきあい、気心知れたように語らったり、

ひとり気ままに寝転がったり、そんな心休まる温泉です。

子もんすてら。は浮き輪で遊んじゃったり…。

Pic_0284

南の島と温泉、あまりイメージが繋がらないけど、

そんな、意外な心地よさもあります。

八丈、おじゃりやれ~。

追記

ここしばらく、風邪をひいたり(インフルではないけど)

公私ともに多忙だったり、でなかなか更新できませんでした。

これからも、(今以上に)ペースダウンするかも、ですが、

時折「アップしてるかな。めいらら~」って

遊びにおじゃって下さい。

※めいらら~:八丈の方言で「ごめんくださーい」

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もうひとつのロマンスカー

部電車好きな我が子 もんすてら。

とりわけ好きなのが、小田急ロマンスカー。

何度かこれについて書きましたね。

鉄道が好きな方や沿線にお住まいの方でなくても、

ご存じの方は多いと思います。

ロマンスカーと言えば小田急、小田急と言えばロマンスカー、

その名前を、ほしいままにしています。

ですが、この小田急ロマンスカー、

私たち横浜市民にはほとんど縁がありません。

乗ることはおろか、見る機会すらあるかどうか…。

ところが、横浜にも、ロマンスカーが走っていたんです。

今日はその、もうひとつのロマンスカーのお話。

皇紀2600年の4年前の昭和11年、

横浜市民の足、市電に新しい車両が導入されました。

従来にはなかった流線形のスタイル、

進行方向前を向いて座るクロスシート、

斬新でモダンなその電車は、市民から愛称をもらいました。

そう、「ロマンスカー」です。

きっと、震災からひと回り、頑張って立ち直った市民には、

ちょっとしたごほうびのようなものだったのでしょう。

ちょうどその頃、市電に女性車掌が登場しました。

今とは違い、運転手も車掌も、男性ばかりの世界、

女性車掌は、今ならキャビンアテンダントのような

人目を引く華やかな職業だったようです。

ロマンスカーと女性車掌、これらにはファンも多く、

ロマンスカーが来るまで電車に乗らない人、

女性車掌の電車まで駅で待つ人も結構いたとか。

もしかしたら、「女性車掌のロマンスカー」が来るまで

頑として待ったツワモノもいたかもしれません。

横浜市電の百花繚乱の時代。

あくせくしない人々の、ゆったりした時。

しかし、時は残酷でした。ロマンスカーの誕生から5年、

日本がアメリカと始めた戦争は、

運転手や男性車掌を戦場に連れ去り、その代わりに、

大挙たる爆撃機となって横浜の空を覆いました

先の女性車掌が運転台に座り、

勤労動員された女学生が車掌を務めます。

市電は、専ら女性が動かすものとなりました。

広い大通りをゆっくり、レールの上しか走れない市電、

人を乗せて市心部を走る市電は、格好の標的でした。

ロマンスカーだって、例外ではありません。

ある車両は、井土ヶ谷の橋の上で爆撃を受け、全焼しました。

焼夷弾を落とされ、後ろ半分が燃えた電車で、

運転手と若い車掌が、女性二人、助け合い励ましあい、

それでも車庫まで戻ってきた、

そんな嬉しくなる逸話も残されています。

そして戦後、市電は戦災からの復興の一役を担い、

路線も、網の目のように延長され、

ロマンスカーより新しい車両も投入されました。

そんな中、女性車掌はワンマン化で姿を消しましたが、

ロマンスカーは相変わらず、華やかな存在だったようです。

そして昭和47年、人々に惜しまれて市電が廃止されるまで、

ロマンスカーは走り続けました。

戦前、戦中、復興と高度成長、

激動の昭和を文字通り駆け抜けたクリーム色のロマンスカー。

今は、横浜市電保存館で、第二の人生を過ごしています。

もう「市民の足」ではないけれど、

ロマンスカーの名は、小田急にほぼ譲ったけれど、

爆弾の降ってこない空の下で、子どもの遊び相手

そんな生活もまんざらではない、

と思っているのではないでしょうか。

Romancecar

車内に入ると、当時の女性車掌の声が聞こえてきそうです。

「次は~八丈島温泉、八丈島温泉spa

Photo_2 

一日の仕事を終えたロマンスカーの後輩たち、やっぱり同じ色。

今でも市民の足、お疲れ様。

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八丈島に行ってきましたⅡ~島の植物

鳥も通わぬ八丈は、黒潮の恵み豊かな亜熱帯の島、

きれいな海のイメージが最初に浮かびますが、

陸の上だって、楽しめる彩はたくさんあります。

何と言っても、咲き誇る南国の植物です。

南国の花と言って、何を思い浮かべますか?

一番の代表格は、赤い花弁にスッと伸びた柱頭、

ハイビスカスではないでしょうか。

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女の子なら誰でも、手に取ると髪に刺したくなるでしょう。

家の近所の歩道に植わっている植物、

東京などだとツツジが代表的なのでしょうが

(私の住む町では、ハマユウ。これも南国ちっくですが)

八丈では、何とこの役割を、ハイビスカスが果たしてます。

歩いても車で走っても、

濃い緑の中にポツポツ開く赤が鮮やかです。

今年は、冷夏のせいか少し開花が少ないような気がしました。

ハイビスカスと赤さを競うのが、サルビアの花。

東海汽船の定期船の名前にもなるくらい、存在感があります。

小学校の帰り道、雌しべの蜜を吸った記憶、ありませんか?

情熱的な真紅が薄まって、ちょっとかわいいピンク色。

やっぱり島中で見かけるのがブーゲンヴィリア。

ヒラヒラした花弁に、私は金魚をイメージします。

Photo

かわいらしいけど、バラより固いトゲもあったりして…。

歩道の灌木がハイビスカスなら、街路樹は何でしょう?

プラタナス?スズカケの木?銀杏?

八丈では、この島の木、

フェニクスロベレニー(椰子の木)が並んでいます。

他にも、ガジュマルやらシダやらソテツやら、

トロピカルな樹木や大きな植物がいっぱい。

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そしてその下には、穴だらけでボロボロ、

ちょっとユニークな葉っぱのモンステラ、

島の料理には欠かせない明日葉が、

人目日差しを忍んで生えています。

そして、島の花、

私がH.Nとしていただいたストレチア。

極楽鳥花って和名をつけた方は秀逸です。

本当に、茎の上に極楽鳥がいるみたい。

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南の島の楽園のイメージに、ピッタリだと思いませんか?

今、台風18号が近づいていますね。

南大東島と同じく、八丈も台風銀座。

気象情報で必ず出てくる地名です。

そんな島でも、植物たち、

しっかり根を張って頑張ってます。

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保育園と数字

私の本業は保育所の経理、

楽しい保育園において、怜悧な数字が商売道具です。

民間企業と違って、儲けたか否か、と同時に

適正か否か、も数字で表出するのですが。

解読に長けると、数字はいろんなものを表わしてくれます。

私の仕事に関して言えば、遊具が古くなっているとか、

現場が大変そうだとか、人手に無駄が生じているとか。

とても有用なものです。

この数字が役割を果たすには、絶対的な条件があります。

それは、単位が統一されていること。

保育所会計では、現金以外のものも含め、

全て日本円で表示します。

だから、今、資産がどれくらいあるのか、とか

どれくらいの損益が生じているか、がわかる。

100万円の収入と50人の在籍園児を比べても、

どっちが得か、なんて分からないし、

10人の保育士と1億円の施設を比べても意味ありません。

数字は、他や過去との比較が容易だから有用だし、

同じ単位だから比較ができるのです。

これが、数字の長所でもあれば、限界でもあります。

数字は、単位を揃えられないものに対しては、無力です。

その最たるものが「人間」です。

人間の価値も、能力も、気持ちも、単位は付けられません。

数値化は、不可能です。

保育園では、園児の気持ちや能力の発達、

職員のモチベーションなどがまず挙げられるでしょう。

人間についても、ごく一部なら、数値化は可能です。

身長や体重、偏差値、50m走のタイムetc

それは、数値化可能な「ごく一部」でしかない、

人間その人を推し量ることはできません。

しかし、数値化(明瞭化)できることの怖さでしょうか、

私たちはしばしば、それに目を奪われ、

数値化できないものを疎かにしがちです。

その、最たるものが「英才教育」ではないでしょうか。

人間の初期発達段階である子どもは、

様々なあそびや経験を通して、

身体能力・感受性・論理性・社会性など

「生きるに必要な能力」を身につけます。

生きること、遊ぶことそのものが、訓練であり、学習なんです。

この段階で、何かに特化した訓練を積めば、

子どもは容易に、特殊な能力を身につけます。

学習であれ、運動であれ、驚異的な成績(数値)を出します。

が、特殊な能力とは、即ち「生きるに不要な能力」。

その陰で、本来の人間の、バランスのとれた能力の獲得を、

どうしても見落としがちです。

子どもにも、教える大人にも、キャパシティがありますからね。

数字は、とても有用な「もの」、つまり道具です。

道具には、使い方があります。

使い方を誤ると、逆に使われてしまいます。

ご用心。

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八丈島に行ってきましたⅠ

  年に1回、八丈島に行くのが我が家の唯一の旅行。

今年も、シルバーウィークに行ってきました。

で、この時のこと、いろいろ書きたいのですが、

どうも私は日記調にまとめあげるのが下手!

なので(じゃあ、何ならできるねん?)

いくつかの項目に分け、島を紹介する感じにしました

(但し、私の好きなものを、独善的に紹介します)

今日はその1回目、島の生命線「船」です。

旅行において、絶対に避けられないのが移動手段。

そりゃそうですね、場所の移動を伴うのですから。

で、この移動手段をどう位置づけるか、によっても

旅行は大きく変わってきます。

そして私は、移動も楽しみたい派です。

何を隠そうワタクシ、ありとあらゆる乗り物の中で、

船が一番好きです。

出着港の際の重みと旅情と大海原を走る気持ちよさ、

夜、東京を発ち、ひと寝入りした翌朝、

甲板に立ってみると、トビウオの群れの中を走ってるんです。

私たちを島まで案内してくれてるみたいに。

そして八丈などの離島の場合、手段は強制的に

「飛行機か、船か」になります。

↑そんな訳で、本当は船で往復したいところなのですが、

ここ数年はもっぱら飛行機・・・。

往復で24時間かかるので、

いくら好きって言っても、背に腹は替えられず。

それに、子もんすてら。を船に乗せると、

とにかく喜んではしゃいで、常に船の中をぐるぐる。

甲板は濡れてるし、階段は急だし、揺れるし、

万が一落ちたら最悪だし、で目が離せません。

さるびあ。は船に弱いので、

11時間くらい、ひたすら私が後を追います。

かなり、シンドイのです、無理!

が、本当は船がいいなぁ。

普通、離島は両側に主副複数の港を持ちます。

島民の生命線である船、波が高くても、接岸できるように。

八丈島の場合、北東にある底土港がメイン港。

南西の八重根港がサブ港になります

(島は大抵、東がメインです。

西風が強く、西港は荒れるので。火山の影響で、

この主副がやむなく逆転してるのが三宅島ですが)

今回の滞在中は、北東から吹くナライの風、

こういう時、八丈で遊べるのが

「今日の接岸港はどっちか?」の予想。

波や風の状況で、

「これくらいなら底土でしょう」とか

「ここまで波が立ったら八重根じゃない?」とか、

「いや、もはや欠航でしょう」などと。

なお、今回の私たちの滞在中は、

八重根八重根底土八重根、でした。

↑朝、接岸港がどこ、と島内にアナウンスされます。

底土港はこんなに波が立っちゃってるので、

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本日の東海汽船かめりあ丸、八重根港に入港、です。090924_0942

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「カッコいい」女性って?

想像してください。

路地の一角、電信柱の陰で、2人の男女が口論しています。

2人とも大人、恋人同士のようです。

口論は次第に白熱してきました。

と、突然女性の方が、男性に平手打ちをして、

その場を去ってしまいました。

どうでしょう?この女性にどんな印象をもちますか?

恐らく、回答者のほとんどが(男女問わず)

「強い、カッコいい」などの、好印象を抱くと思います

(もちろん、諍いの経緯にも寄るのでしょうが)

私も、そんな印象をもつ1人。

でも、それでいいのでしょうか?

逆に、男性が女性に手を上げてその場を去ったら、

恐らく、誰もが非難するでしょうに。

諍いの内容は分かりませんが、恋人同士なら対等の関係。

同じ行為をして、片や非難、片や喝采では、

到底、対等な関係とみなしているとは言えません。

そう、対等な関係だとしたら、最初に来るべき印象は

「暴力はいけないよ」ではないでしょうか。

私たちは(恐らくは男女ともに)、意識下に、無意識に、

女性を男性よりも弱いもの、ととらえています。

体力的にであれ、社会的地位であれ。

しかし、ならばどうして、出産や授乳は

女性にしかできないのでしょう?

長寿だったり、老後を楽しむのは、概して女性の方です。

体力や社会的地位では男性の方が勝っていたとしても、

それはほんの一面的な「強さ」でしかありません。

ですが、上に述べたように、

私たちは、女性を弱いものという観念をなかなか拭えません。

だからでしょうか。

「カッコいい」「強い」というイメージを女性に求める時、

そこに昔の男性の、既に時代遅れとなったイメージを

あてはめてはいないでしょうか?

暴力を振るうような男性には、今や誰も好意を持ちません。

男性の強さ、カッコよさは、そんなところではないですよね。

明るくて優しかったり、誰に対しても誠実だったり、

体力だって、ないよりはあった方がいいけど、

せいぜい+αと言うか、オプション程度の価値。

なのに、女性に求める「カッコよさ」が旧態依然としてたら、

いつまでも女性は、男性より遅れた存在にしかなれません。

「これからの女性は!」なんて頑張っている人が、

やっていることは結局、男性の(悪いところの)真似、

なんてケースもよく見ましたが、悲しくなってきます。

私なら、「これからの女性は…、男性にも見習われる、

そんな素敵な生き方を築いていこうよ」と言いたいですね。

別に、昔ながらの

「おしとやかな女性」だけがいいとは言いません。

個人的には、マッチョな女性は、好きです。

仕事をバリバリこなす女性も、いていいと思います。

でも、それだけが「カッコいい」女性ではありません。

やるべきことをやって、やりたいことをやっている女性、

自分や身近な人を大切にできる女性、

それなら、老いも若きも、独身でも既婚でも、

キャリアウーマンでも主婦でも、子がいてもいなくても、

そう、いっとき流行った「勝ち組」でも「負け組」でも、

「カッコいい」女性なんじゃないかな、と思います。

あ、これ、男性にも言えますけどね。

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勝浦に行ってきました

(?)タレントの酒井法子さん関連の話題が多いですね

そんな、日本がひっくり返る事件でもなし、

タレントの薬物事犯や別荘の火災に、

ことのほか騒ぎ立てることもなかろうに、と思います。

が、そんな私でも、ちょっとはテレビに目が行きました。

と言うのも、別荘が燃える直前、

勝浦の親戚の別荘にお呼ばれしたから。

今日はこの日の思い出を書きます。

子もんすてら。と土曜日から実家に泊まった翌朝、

父と姉の子がじゅまる。と父の車で出発しました。

運転は、もちろん父。私は後席で子守り係です。

高速代、ガソリン代は全額父負担。

帰りは久里浜からフェリーで、我が家まで送迎、

という段取り(親に甘えるのも親孝行coldsweats01?)

しかし、勝浦は遠いですね。

自分が運転しなくても、結構疲れました。

そして着いたのが、こんな別荘地。私の実家は貧しいのに、

どうして親族はこんなモノを持てるんでしょう?

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そして勝浦まで来たら、

私ともんすてら。やることは決まっています。

そう、海へ直行です。

いつもの内海と違って、波もあるし、水もきれい。

そして、9月中旬の海って、真夏より温かいんです。

ちょっと気をつけて、楽しい海水浴。

浮輪に座って、お腹にもんすてら。を乗せ、

手をオールにすれば、ちょっとしたボート遊びができます。

調子に乗ってかなり沖まで行ってしまいました

(全然気をつけてないじゃん)

海に不慣れながじゅまる。は、波打ち際で父と遊びます。

それでも、滅多に来れない海を満喫できたよう。

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前の記事、再投稿で友人かめりあ。のことを書きましたが、

実は、私たち、いつも外房で波乗りをしていたんです。

ワタクシにとって、この海もそんな思い出の1ページ、

って記憶から、先日は再投稿させていただきました。

しかし、房総半島の地名、分かりにくすぎ!

この海は興津(おきつ)、「こうづ」とか読みそうだし、

長生(ちょうせい)は、普通に読めるけど、

「そんな読み方でいいの?」って自信持てないし、

天津小湊(あまつこみなと)に至っては、

もはや日本だか中国だか分かりませんcoldsweats02

なんて話も、よくかめりあ。としました。

ま、彼は読み方の正誤とか気にしない人なので、

テキトーに地名を言ってましたけどね。

↑このパラグラフ、地元の方ごめんなさいm(_ _)m

海で遊んだ後は、叔母の手料理をいただき、

近くの池に飼い犬(ミニチュアダックス)と散歩。

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実家でも犬を飼っているので、

子ども2人の犬扱いは慣れたもの。

と言うか、慣れ過ぎて乱暴…、ちょっとハラハラ。

そして戻ってみると、家に置いてきた父と叔父、

男二人でbeer出来上がっていましたε-( ̄ヘ ̄)┌

(泥酔の状態を「出来上がる」と言いますが、

この場合の「でき」は「溺」の方が適切ではないか、

と思うのは私だけでしょうか?)

結果、ワタクシが東京の実家まで運転するハメに

(もちろん、その日のうちに横浜まで電車で帰らないと)

うぅ~、明日も仕事、早いのに~。

ま、子どもたちにいい思い出を作れたから、いっかhappy01

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再投稿~私のライバル

私には、ライバルがいます。

名は、かめりあ。

競う種目は、どちらが人生を楽しめるか。

かめりあ。は、よく言えば自由人、

悪く言えば大人になれない大人…。

かめりあ。と行動を共にしたのは、主に大学時代。

勉強を面白いと感じ、

図書館にいる時間が長かった私と

そんな、現代版ハックルベリーのかめりあ。

対照的でしたが、

二人は「海が好き」で通じていました。

介護施設で働くかめりあ。は、

平日・日中でも非番が多く、

いつも「海が呼んでる」と言っては、

錆だらけのヴァンにボードを積んで、

外房や下田に出向いていました。

そんな彼からの電話はいつも突然。

「すとれちあ。いい波が来てるんだ」

「ごめん、今日試験だから」

と言っても、かめりあ。には通用しません。

「試験は次がある。でも、

同じ波は二度と来ないんだぜ」

・・・ワケわかりません(_)

が、彼のペースにまれてしまう私、

ヴァンの中で、車酔いと戦って試験勉強。

そして大学、まだ波とヴァンに揺られてる感覚で

答案を書き連ねました。

彼はよく言いました。

「俺はいつも海の上ボードの上だが、

おまえは半分は机の上の人生だ。

死ぬ時、どっちがいい顔で死ねるか、競争な」

そんな学生も終わり、私が大学を卒業した直後、

彼はバリ島クタの波を求めて日本を発ち、

の後音信が途絶えました。

あれから10年近く。私ももう、波乗りはしません。

海に行くのは月に23回。

休日に、子もんすてら。と散歩する程度です。

でも、私はいつも、

人生を楽しむことを頭の片隅に置いています。

いつか、ひょっこり帰ってきた彼より、

もっといい笑顔でいたいから。

その時は一発ひっぱたいてやりますけどねrock

このブログを始めて、最初の頃に書いた記事です。

100万分の1の確率ででも、

かめりあ。がこれを目にして、連絡をくれたら、

なんて淡~い期待を持っていましたが、

やはりあれから何の音沙汰もありゃしませんpout

ひっぱたく手が、パーからグーになってますpunch

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同調圧力

先日書いた「精神論」の中で、

精神論が嫌われるのは、約70年前の戦争の時、

「愛国心」「大和魂」などと、

それを強いられた記憶ではないか、しかし、

本来の精神論はそれとは全く異質、と書きました。

いわば、「精神論」は、同姓同名の他人の罪、

戦犯の濡れ衣を着せられたようなものだと思います。

しかし、「精神論」とは違うところで、

過去の戦犯が、名を変えて今ものうのうとしている、

そんな気がしてなりません。それは、「同調圧力」。

読みかじり、聞きかじりの知識に過ぎませんが、

当時、戦争を推進していたのは国や軍部だけでなく、

国民も少なからずそれに応じていた、ということです。

いや、当時の「精神論」だって、同調圧力があったから、

あれだけ幅を利かせたんだろうし。

当時の情勢・体制からして、戦争は避け得なかった

としても(これは、私にはもはやわかりません)

国民がもう少し冷静だったら、

悲劇はいくばくか小さかったのではないか、と思います。

つまり、国民は被害者でありながら、加害者・・・

(ちょっと乱暴かもしれませんが、私の見解です)

そして今、KYという言葉が流行するほど、

「空気」って存在が大きく意識されています。

ところが、この「空気」、空気ですからね、

普段はそんなに意識しないんです。

KY、「空気が読めない」って言葉のとおり、

その「空気」と人の折り合いが悪いと、意識されます。

人は助け合って生きる存在ですから、

「共感」ってものがないとなかなかうまくいきません。

だから、「空気」ってとても大切なもの、だと思います。

日本人は「言葉がなくても」を重んじるから

なおさらだけど、

「空気」がない社会は、世界中どこにもないでしょうね。

しかし、「空気」と人間、どっちが大切でしょうか。

人が生きるための「空気」ですからね。

神輿みたいに

「空気」を支えるために、人がいる訳じゃない。

だから、「空気」が人を押しつぶしちゃいけません。

人は、「空気」に押し流しちゃ、いけません。

「空気」はあってもいいけど、万能ではありません。

色んな人がいて、色んな事をしたり、考えたりして、

そして、人も社会も、いい方向に向かうんだと思います。

人と人との関わり、

もう少しゆったりと楽しみたいものですね。

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腰痛…(--;)

保育園で働き、家では育児の日々、

子どもを抱くか、パソコンに向かうか、掃除をするか、

その繰り返しが私の生活です。

夏の初め頃、何か腰に違和感…、って思ったら、

それは数日のうちに痛みに変わり、

動作もしづらく、時には右大腿に痺れまで。

学生の時、椎間板ヘルニアをやったことがあるので、

その時の記憶が鮮明に蘇ってきました()

(遠い昔のことなのにねぇ…)

さて、公私ともに腰痛になるだけの生活、ということは

公私ともに腰に負担のかかる作業が多いってこと。

この生活を、腰をかばいながらするとしたら、大変です。

腰痛は、介護の仕事の職業病として有名ですが、

保育の仕事も、違う意味で腰を苛めることばかり。

介護と違って、相手の体重は軽いけど、

トランス(人の移乗)をすることはないけど、

飛んだり跳ねたり、子を高く抱き上げたり、

視線を合わせるために屈んだり、

中途半端な高さの子ども椅子に座ったり、

そんな一つ一つが、ジャブのように腰に来ます。

加えて、私は(一応)経理、デスクワークが主なので

「動」ではなく、「静」の負担も、じわじわと…。

職業病であるからには、周りの人間も同じ悩みを持つので、

「同病相哀れむ」、理解はしてもらえるのが救い。

学生時代にお世話になった気功に行ったら、

一応痛み&違和感はなくなったけど、

何だか爆弾抱えちゃった気分。

到底重い物をもったり、走り回ったりする勇気がない。

平日は仕事としてプール、休日は子もんすてら。と海、

ほぼ毎日水に浸かる生活も、冷えを恐れつつやってます。

うーん、年寄りに近づいている気がするなぁ。

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