« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »

2009年3月

このブログを始めて

11日から「等身大スローライフ」を

テーマに掲げ、このブログを始めました。

そこで、年度の大晦日を迎えた今日、

今までを振り返ってみました。

30日に、久しぶりに「スローライフ」って

言葉を使いました。しかも、最後に。

いかに、「スローライフ」って概念を

前に出さずにいたか、と感じます。

ちょっと、看板倒れ?

でも、スローライフって、

文字とおり「生活」だから、

あんまり意識せずにやれたら、

それに越したことはない、とも思います。

ちょっと、強引ですけどねf^^;

なお、私はスローライフを

「できてる」人間ではありません。

「目指している」人間です。

目指している人間が、

今日思ったことや知ったことを

コラム風に、時に日記風に、

ブログに書き連ねているだけです。

そして、ブログを始めて自分に起きた変化。

情報に対して、貪欲になりました。

外からの情報だけじゃなく、

自分の頭の中でも、いつも考えを練ってます。

↑に書きましたが、

本当にスローライフできてる訳じゃなし、

大した頭のキャパじゃなし、

仕事も家庭も平凡ですから、

放っといたらすぐにネタ切れになりますから。

これが、ブログに直接載せるか否かはともかく、

自分にはいい勉強というか、刺激になりました。

また、決して多くはないけど、

何名か、毎日のように読んで下さる方がいます。

コメントを寄せて下さいます。

それ自体とても嬉しいし、励みになるし、

また勉強にもなります。

その方々のブログを拝見しても、

やはりいい勉強になります。

料理やお菓子づくりが上手で素敵なセンスの方や、

いろんな植物の愛らしさを見せてくれる方、

仕事や社会について、いろいろ教えてくれる方、

ナマの育児の楽しさを見せてくれる方、

記事を書く上でも、日常の生活でも、

とてもいい刺激を受けてます。

明日から4月、個人的には、

子もんすてら。の通う保育園と、

私の職場が変わりますが、

それ以外は何も変わりません。

相変わらず、

パートナーさるびあ。ともんすてら。の育児、

保育園で経理の仕事をして、

海と音楽とお菓子が好きで。

そんな生活をスローにしながら、

幸せを目指したい、なんて思います。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

高速道路料金の割引

今、よくニュースで出る高速道路の割引、

走っても走っても1,000円ってヤツ、

あれって、政治として

「そんなことしなくちゃいけないの?」

って思いません?

恩恵を受ける人が、いるのはわかります。

高速道路の利用者だけじゃなく、

観光地の経済も、潤うかもしれません。

それなりに、効果はあるかもしれません。

でも…、

第一に、

車を持っていなかったら、話にならない!

第二に、

ETCを持っていなかったら、恩恵ゼロ!

第三に、

高速道路がない地域の人も、恩恵ゼロ!

それだけじゃない。

「遠出は車で」って人、増えますよね。

電車で行こうと思ったけど…、って人が

車になるだけかもしれません。

地球温暖化防止が世界的に急務なのに

電車等、公共交通機関の利用者を

奪うことになるでしょう

(車が走ることで生じる環境への悪影響は

地球温暖化だけではないですしね)

以前、観光バスの車掌のバイトをした

と書きました。

バス業界の過重労働を垣間見ましたが、

自家用車に乗客を奪われるバス業界のし烈さは

助長されるでしょう。

トラック業界も、同じような境遇らしいですが、

平日のみ、普通自動車のみのこの制度の恩恵は、

受けられません。

高速道路で遠出をする人が増えれば、

人が去った地元は閑散とします。

地域の経済も、疲弊するでしょう。

結局、それなりに豊かなで余裕がある人が

主に遊ぶ目的で利用する際に、

受けられる恩恵を、という印象は拭えません。

それに、この制度にかかる経費を割り算すると、

1人あたり、24,000円になるとか。

もちろん、恩恵受けられない人も、払ってます。

うーん、よくわからないけど、

政治として、する必要あるのかなぁ。

少なくとも、スローライフには反対だなぁ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

保育園物語~昨日は花粉がひどかった

昨日は、ふりーじあ保育園の卒園式。

5歳児クラスは、この日が最後。

そして、前日に書いたように、

私すとれちあ。も、30日から

新設のぱいなぷる保育園に異動のため、

最後の出勤です。

職員たちは、朝早くから集合して、打ち合わせ。

いつもはジャージなのに、

今日は慣れない正装姿。

「おめでたい日、誇らしい日なんだ。

寂しい気持ちもあるけど、

笑って送り出してあげよう」

とみんなで決めました。

本当は、重い物を運んだり、

高い所に飾りつけたりして、

結構、筋肉痛です。

父母や関係者が集まり、式が始まりました。

撮影係の私は、ヴィデオを片手に、

決められた場所に陣取ります。

在園児と職員が歌う祝福の歌に囲まれ、

卒園児が入場してきました。

5歳児クラスの担任が、卒園児の名を呼び、

園長の手から卒園証書が渡されます。

受け取った子は、会場に向けて、

「1年生になったら~したいです!」と、

大声で抱負を語ります。

大きな夢には感嘆が、

かわいらしい夢には温かい笑いが、

会場全体からその子に贈られました。

式の最後、卒園児・在園児・職員で合唱。

♪みんないっしょにうたをうたった

 みんないっしょにえをかいた

 みんないっしょにおさんぽをした 

 みんないっしょにおおきくなった

みんないっしょにプールであそんだ

 みんないっしょにロボットをつくった

 みんないっしょにかけっこをした

 みんないっしょにおおきくなった

 みんなともだち ずっとずっとともだち

 がっこういってもずっとともだち

 みんなともだち ずっとずっとともだち

 おとなになってもずっとともだち♪

それにしても、今日は花粉がひどいみたい。

ハレの日だってのに、いやですね。

いつも花粉症の職員も、そうでない職員も、

職員みな涙目になっています。

私も、普段から涙目ですが、

今、涙がこぼれたら、

朝の約束を破ったことになってしまいます。

ヴィデオカメラを高く掲げ、

上から撮影することにしました。

私もそれを見るために、顔を上に向けます。

こうすると、涙がこぼれませんからね。

それに、目の前の父母の頭が邪魔で、

卒園児の全身が映らないんですもの。

式が終わり、職員だけでの送別会もありました。

お花と、寄せ書きをもらいました。

温かい気持ちがたくさん詰まっています。

みんな、を込めることにかけては、

プロですから。

ふりーじあ保育園のみんな、ありがとう。

狭い世界だから、園は違っても、

きっとこれからも、仲間なんだよね。

だから、寂しくないよね。

って、自分に言い聞かせて、園を去りました。

それにしても、今日は花粉がひどいなぁ。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

保育園物語~ふたつの卒園式

先日、子もんすてら。の

ぷりめりあ保育園で、卒園式がありました。

4月から、

認可のここなつ保育園に入園が決まったため、

もんすてら。、3歳にして卒園式で

「送られる側」になりました。

私が幼稚園に入園したのは4歳の春。

物心つき始めからもんすてら。を保育園に預け、

親として後ろめたさは全くない、

と言えば、嘘になります。

とは言え、ぷるめりあ保育園に2年間通って

あまりに貴重な思い出ができたのも事実です。

語彙や身体能力が爆発的に伸びたのは、

やはり保育園での経験が大きかったし。

先日、引退された前園長のぱぱいや先生の温かさ、

その後任となっためろん園長の親身な厳しさ、

にとても救われました。

同じく保育園に勤める身として、

めろん園長とは「保育」や「保育園」について、

よく語らいました。

若い先生方は、いつも元気に遊んでくれました。

時にはクレームを言ったこともありますが、

その3倍くらい、めろん園長に叱られました。

卒園式では、それまで練習してきた

踊りや太鼓と言った出し物

(実は、家で毎日見せられてました-_-;)に、

成長を感じました。

「思い出のアルバム」をみんなで歌いました。

若い先生方は、人目も気にせず、涙でグシャグシャ。

子どもたちと一緒に、今日ぷるめりあ保育園を

卒園するぱぱいや先生も、目が真っ赤でした。

本当に、感謝の気持ちいっぱいです。

さて、我が家では、

保育園に通うのも、今春卒園するのも、

もんすてら。だけではありません。

私のふりーじあ保育園も、明日が卒園式。

そして、私すとれちあ。も、

明日の卒園式を最後に、

新設のぱいなぷる保育園に異動になります。

こちらの日々も、私には大切な思い出です。

子どもたちと遊んだり、一緒にご飯を食べたり、

夏にはプールに行ったり、

節分で鬼役をやらされました時は

本気で子どもたちに嫌われるかと思いました。

その合間に、ちょっとパソコン入力したり

(一応、経理なので)。

ぷるめりあ保育園と同じで、

こちらも、感謝感謝、です。

今日、園児が帰ってから、

職員だけでやったリハーサル、

みんな、ちょっとしかめっつら(`-´)

でないと、涙が出てきそうになるんです。

一緒に働いた仲間も、遊んだ園児も、

みんな、ありがとう。

当日は、ぱぱいや先生くらいには、

目、腫らしてもいいでしょうか?

| | コメント (4) | トラックバック (0)

平和のためにできること

想像してみて下さい。

今、ここは戦場近くの村。

一人の兵士が、非武装かつ無抵抗な村民に

銃を突き付けています。

登場人物は2人。

Q1.どちらの人が「平和的」ですか?

人物背景等を一切加味せず、

この状況だけで考えたら、

誰だって村民の方が「平和的」だと思います。

では、

Q2.平和のためのカードを握るのは誰?

私は、兵士だと思います。

ここで実現される平和は、兵士が銃を下げ、

暴力も略奪もなく、その場を去ること。

この実現に向けて、村民は何か出来ますか?

せいぜい、兵士に向けて懇願する程度でしょう。

戦争において弱者は

「されるがまま」の立場を余儀なくされます。

一方、兵士はどうでしょう?

その場で村民を銃殺もできますし、

銃で殴って気絶させ、命以外の財産を奪うことも、

何もせずにその場を去ることも、できます

戦争では、平和の実現は、

強者がカードを握ります。

もちろん、兵士の背後には、

上官・権力者と言った更なる強者がいます。

更なる強者は、更に大きなカードを

持つことは言うまでもありません。

戦争をする意義や大義名分は、

そこここにあります。

また、その繰り返しにより、

人類の歴史=戦争の歴史、

という、不名誉な図式を作ってしまいました。

半世紀前の日本も戦争に突き進みました。

始めたのは、東条英機や山本五十六ら、

指導者の名が最初に挙がりますが、

官民学、国策の片棒担いだ新聞や

旗を振った国民全てに、

その責はあると思います。

戦争の大義や雰囲気に、

誰もが負けてしまい、悲劇は起きました。

64年前の今日、始まった沖縄戦では、

日本人だけで19万人近い方が亡くなりました。

その半数は、民間人なのに。

現代も、同じです。

民主主義社会、自由社会の一員たる私たちは、

ひとりひとりが、小さなカードをもっています

私たちが流されず、

カードを平和の方に切ること、

これが、平和の実現には不可欠です。

そのために、

私たちは過去から何を学ぶべきでしょうか。

被害者側の視点の情報は、

比較的容易に得られます。

それに共感することも、ある程度できます。

しかし、強者の側の情報は、あまり得られません。

また、眉を顰めてしまい、共感もできません。

が、戦争は、被害者が始める訳ではありません。

被害者だけを理解しても、

戦争は、止まないでしょう。

私たちは、戦争の被害者になることを恐れますが、

同時に、

知らず知らずのうちに加害者にならない努力

も必要です。

そのためには、戦争の悲惨さとともに、

強者の側の歴史、を学び、

それを反面教師として、

同じ轍を踏まない知恵と

心構えを築きたいものです。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

アラカンパワーに脱帽!

以前、「ハンドベルが好きだった」

と書きましたが、

先日、ハンドベルの仲間と食事をしてきました。

小さな同窓会、と言えばいいでしょうか。

メンバーの年代は、ほとんどが私前後。

まぁ、(私未満は)若者と言えましょうか。

その中に一人、還暦を超えた方がいます。

ここでは、かわらなでしこ。と呼びましょう。

とても明るい方なので、

世代差を感じさせず、楽しく話せます。

それでいて、年齢相応の経験や深みはあるから、

とても勉強になる、ありがたい方です。

私もかわらなでしこ。も、

ベルから退いたのは約3年前。

時折こうしてお会いして、

近況を交換していますが、

いつも「何処何所に旅行に行ってきたの」

とか、「其さんのコンサートに…」等と、

毎日を楽しんでいる様、を見せつけられます。

別に、極楽蜻蛉な方ではなく、

普通に仕事をして、家事等をこなして、

その上で、いろいろ遊んだり、

挑戦したり、しているようです。

圧巻だったのが、水泳。

ベルを辞めた時から始めたそうですが、

最初は

顔を水につけることもできなかったそうです。

それが今や、泳ぐことはできないまでも、

顔を水につけながらの水中歩行ができるとか。

私は、高校時代から素潜りをしています

アクアラングを使わずとも、

水深10m以上は軽く潜れます。

でも、かわらなでしこ。のパワーは

私を圧倒しました。

60歳を超えた方、それまで水に縁がなく、

顔を水につけるのもできない方が、

水着を買って、チャレンジする。

普通、「自分は水に顔つけられないから」って

水は敬遠しますよね。

かわらなでしこ。に限らず、

60歳前後(私の親世代です)

パワーには、畏敬の念を覚えること、多いです。

何かとスマートにやろうとして、

楽で無難な選択肢ばかり、の

私たち若者に、警鐘を鳴らされている気がします

(私たち若者」って表現、図々しい?)

| | コメント (6) | トラックバック (0)

根岸森林公園に行ってきました。

珍しくさるびあ。と休みがあったので、

車に三輪車と子もんすてら。を積み込んで、

(違う違う。もんすてら。と3人で

三輪車を積み込んで)

根岸森林公園にピクニックに行ってきました。

例によって、朝、私ともんすてら。で

パンとお菓子を焼いて、出発です。

実はこの公園、

さるびあ。とは結婚前、

というかつきあう前からよく来てた、

私たち家族の歴史の1ページですf*^o^*;

あの頃は、まだ東京に住んでたのに。

よくこんな地元民ご用達の公園に。

でも、何がいいって、

広いからボールとかで遊べるし、

景色や雰囲気はいいし、

日当たりもいいから、

真夏真冬以外はお昼寝もできるし、

犬連れ子連れが多いから、それも楽しいし

(その気になれば馬だっています)、

で、この公園で遊んだ夕方、

歩いて元町・中華街まで行くのが

ゴールデンコースでした。

桜は、蕾がめいっぱい膨らんでいるけど、

まだ咲いている花はありません。

まぁ、お花見に来た訳じゃないし

(お花見の時期には、とても来れません)

ひとまず、シートを敷いてピクニック。

きれいな景色を見ながら、パクッ!

Cimg0227

大したことない作品でも、

景色が美味しいと味まで美味しくなります。

そして、三輪車で、走りまくりっ!

私も、後ろに片足乗せて、

もんすてら。と二人、下り坂っ!

※いざという時は、後ろにひっくり返せば、

私が尻餅つくだけで済みます。

ちょっと危険かも、だけど

「危ない事はしない」育児はしたくないので。

とにかくおもちゃもないし、

走り屋のごとく、ぐるぐる回ります。

最後は、北にある園地みたいな箇所。

中央の芝生が小高くなっていて、

周り360度を平坦な舗装がされてるので、

やはり、

走り屋のごとく、ぐるぐる回ります(しつこい?)。

三輪車グランドツアラーのもんすてら。

太ももの太さは天下逸品です

(さすが私の子…)

そして、この横に建つ

旧一等馬見所のたたずまい、

ヨーロッパに来たような気持ちになります。

Cimg0234

滞在時間は2時間弱。

駐車場料金の関係です。

車に乗り、冷や汗かきかき

カードを精算機に入れると…、

利用時間1時間59分でした。

このスリルがたまりません

(別に100円かかるだけなんだけど)

さぁて公園を出たら、ゴールデンコース!

ではなく、直行直帰。

子連れですからね。

夕食は自宅で、早寝早起き!

| | コメント (4) | トラックバック (0)

人って、愚かじゃないかも

人間って、愚かだと思います?

人類の歴史は戦争の歴史。

確かに「人間は愚か」と感じたり、します。

でも、戦争の歴史の下に、人は少しずつ、

真理に近づいている、という気もします。

真理。大学で

「人間は真理を追究するが、

真理に到達したと思ってはいけない。

人間は真理に到達しないことが、

唯一私たちが見出した、真理である」と

何かの機会に教わった覚えがあります。

確かに、「これが真理だ~!」とか言う人、

怪しげな新興宗教か、精神疾患か、

いずれにせよ、健全さは感じられません。

しかし、こうも思うのです。

人は真理を見つけたじゃないか、と。

それは、

人にやさしく、だったり、

健康が一番、だったり、

子どもやお年寄りは大切にしよう、とか

ご飯をおいしく食べよう、とか、

人の話は大切に聞こう、とか

自分の意見はちゃんと言おう、とか

仕事はまじめにしよう、とか。

なぁんだ、って感じ、しません?

そりゃね、

宇宙の果ては?とか

神様はいるのか?とか

この世はどうやって始まったか?とか

死んだらどうなるか?とか、

そんな疑問は、解けません。

でも、真理はそんな、

神棚の上にばっかりある訳じゃない。

床の上畳の上、布団やテーブルの上にも、

同じように尊い真理は、ある。

そして人間は、そんな真理を、

とっくに見つけてるじゃ~ん!

って思いました。

あとは、せっかく見つけたこの真理、

踏み外さなければ、人類みな幸せになれる!

これは、真理ではないですけどね。

願望ですが。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

こっちの庁舎はカッコいいぞ!

今日は東京マラソンの日。

各ランナーが、新宿都庁前からスタートしました。

この都庁舎、建設当時(あの頃は、

私も中学生か高校生でした…)

日本一の高さを誇り、

私も、そのデザインの斬新さに、

好感を覚えた記憶があります

(それまでの高層ビルは、ただの

「灰色の長い直方体」だったので)

そして、完成後19年たった今も、

高さ日本一の座は譲ったものの、

知名度、露出度は依然、国内の庁舎の

筆頭と言えましょう。

しかし、年齢をとったせいか、

今ではこの建物にはあまり魅力を感じません。

それよりも、我が神奈川県の県庁舎、

昭和初期に完成し、戦争や高度経済成長の中、

あり続けてきた神奈川県庁舎の方に、

遥かに魅力を感じます。

横浜港に入港する船乗りたちの

しるべとなった横浜三塔、

横浜税関をクイーン、

開港資料館をジャックと呼ぶ中で

「キング」の呼称ほど、

県庁舎に相応しいものはありません。

都庁舎の生みの親が「平成のバブル」だとしたら、

県庁舎は「昭和の港と県民の歴史」でしょう。

こんな庁舎を残す神奈川県、横浜という街を

誇らしく思います

でも、実は東京も、好き。

生まれ育った町で、愛着もあるけど、

何より、横浜よりずっと長い歴史があります。

本当は、そういう蓄積が、もっと前面に出れば、

もっと素敵な町になるのにな、東京。

そして問題が一つ、

横浜市民は、都道府県民としての自覚が

日本一弱いと言われます。確かに…f-_-;)

Photo

| | コメント (6) | トラックバック (0)

池のある公園で

最近、めっきり春らしくなってきましたね。

先日、暖かかったので、子もんすてら。と

近くのハイキングコースを通って

池のある公園まで行くことにしました。

途中、蛇がいて、

もんすてら。は怖がりながらも興味津津。

杉と檜の林の中、花粉にはメゲずに歩きました。

ハイキングコースを通ってきた、とはいえ

目的地は普段から三輪車で訪れる公園。

もんすてら。もすっかり勝手知ったる…、です。

ところがこの池、奥の方の水面が真っ白。

何だろう?春だから…?(根拠なし)

Cimg0329

ま、気にせずに、

午前中に焼いたお菓子でおやつの後、

パンくずを池の鯉にやりました。

そして、公園にやってきた

ヘルメット姿のオジサマ方。

ネットで、水面の白い膜のようなものを

掬い取っています。

が、陸の近くはそれでもできますが、

奥の方は水深があるでしょうし。

と、車の上からカヌーを降ろし、

バウ(船の先端部)に機械を取り付け、

オジサマは奥の方に向けて漕ぎだしました。

ちょっと勇気を出して、聞いてみました。

すと。「この白い膜は何なんですか?

おじ。「悪質ないたずらで、

誰かが消火器を撒いたらしいんです」

そっかぁ。

せっかくみんなのきれいな景色が、

心ないいたずらで。

そしてそれを、オジサマ方は

掃除してくれてたんだぁ…。

感謝、感謝、です。

でも、さっき鯉にパンくずをやった私たち、

規模は違えど、あれも

水質を悪くすることに変わりはないですよね。

うーん、どうなんだろ…。

育児としては、ハトや池の鯉に餌をあげる行為、

悪くない影響があると思うんです。

でも、自然から見たら、それってマイナス?

オジサマへの感謝と、小さな疑問符を抱えて、

山道を帰途につきました。

T0010008

カヌーで沖に向かうオジサマ、カッコいい!

| | コメント (6) | トラックバック (0)

ひょえ~!ι(´Д`υ)

子もんすてら。は怖がり屋さん。

普段は、その破壊力で悪行の限りを尽くすくせに、

怖いものには、パニックになります。

最近、風が強いですね。

太平洋上に、高気圧が張り出しているせいで、

このおかげで、春らしい空気をいっぱい浴びられるのですが、

これがもんすてら。には恐怖の元。

我が家は、構造上南風がとてもよく吹き込みます。

おかげで、風通しがいい家、とも言えますが、

このおかげで、風がベランダの柵を抜ける音や、

窓の小さな空気穴を抜けた風(すきま風じゃありませんよ!)

部屋の扉をきしませて開閉させたりします。

年度末、誰でもそうでしょうが、

仕事が忙しかったり、歓送迎会などで帰りが遅かったり。

パートナーのさるびあ。も、

それで帰宅が遅いこと、よくあります(私も、ですが)

夜、もんすてら。と二人で家で過ごしていると、

いきなり強い南風が吹いてきました

(ここ、横浜市ですよ。南の島じゃないんだから)

例によって、ヴェランダの柵を抜ける

「ひゅー!」という音。

そしてバスルームの扉が、いきなりバタン!と開きました

(開いてたのが閉じたのかも)

もちろん、家の中には他に誰もいません。

それを聞いた部屋の隅で遊んでいたもんすてら。が、

猛パニックを起こして、私の所へ飛んできました。

その顔の、怖いこと。

「こわいよ~」って感じの、かわいい顔じゃないんです。

ジェイソンかフレディでも見ちゃったかのような、

本当にパニクッた顔。

ほら、子どもって、

大人に見えない何かが見える、って言うじゃないですか。

風の音、扉が風で開閉する音、

聞いているこっちだって、ちょっと怖いです。

そこに、このパニックもんすてら。

はっきり言って、こっちがパニック起こしたいです。

まずはCDでもかけて、楽しい雰囲気に。

「えっと、『犬のおまわりさん』のCDは…」、

これが、隣の部屋、暗~い部屋にしまってあったり。

うぅ、さるびあ。早く帰ってきてよ~。

長い夜は、続きます。。。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

保育園物語~お世話になったあのせんせー

土曜日、私もパートナーのさるびあ。もお休み。

もちろん、子もんすてら。も保育園お休みです。

が、私ともんすてら。は早起きをして、

せっせせっせとパンを焼きました。

具は、オレンジピール。

そして、私たちの「ありがとう」。

大して上手ではありませんが。

まぁ、何とか、モノにはなった、かな?

Photo

これを、袋に詰めて、

ちょっときれいなラッピングタイして。

子もんすてら。のぷるめりあ保育園、

もんすてら。の大好きなぱぱいや先生が、

この日で定年退職。

なので、家族みんなで、お礼を言いに行きました。

甘いものが好きなぱぱいや先生、

私ともんすてら。の焼いたパンだけど、

食べてくれるかな?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1歳になるかならないか、のもんすてら。を、

最初に預ける時は、不安と罪悪感でいっぱいでした。

私たち自身、保育者がどんな方か、分からない

そこに来て、預ける時のもんすてら。

必死の形相で、私たちにすがってきます。

でも出勤しない訳にいかない。

そんな折、当時は園長だったぱぱいや先生の一言、

「大丈夫、子どもはみんなこう。

こうして泣いて、それで成長していくんです」

その一言に、どれだけ救われたことか。

それからも、ぱぱいや先生は

いつも温かく私たちを見守ってくれました。

子にも親にも、厳しいせんせーはいますし、

そんな先生の存在もとてもありがたいけど、

何をしても、もんすてら。や私たちを

優しく受け止めてくれるぱぱいや先生は、

何より私たちに安心を、

そして、「それに甘えちゃいけない」という

親としての自覚を与えてくれました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

土曜日の昼下がり、

私たちは、午睡中の園児を起こさないよう、

静かに保育室の扉を開けました。

今日で最後のぱぱいや先生、

一人ひとりの今日のできごとを連絡ノートを書いています。

『そういえば、ぱぱいや先生の連絡ノートは、

いつも子どもの表情が見えるようだったなぁ』

なんて思いながら、声をかけました。

「今までありがとうございました」

もんすてら。からオレンジピールパンを

受け取ってくれたぱぱいや先生、目が赤くなっていました。

きっと、私も、さるびあ。も。

(もんすてら。は…、何もわかってないぞ!)

保育園にとって、春は卒園・転園の季節。

この春で、もんすてら。も

ぷるめりあ保育園から認可保育園に転園します。

ぱぱいや先生と、同時に卒園できて、本当によかったね。

でも、もんすてら。は何もわかってないぞ!

| | コメント (4) | トラックバック (0)

S.フォスター~古き良きアメリカのクラシック

クラシック音楽と言うと、

ヨーロッパのイメージがありませんか?

音楽の父バッハや楽聖ベートーフェンの国、ドイツ

チャイコフスキーやラフマニノフのロシア、

歌と音楽用語の国、イタリア

全ての芸術の粋を集めたフランス、

音楽の都ウィーンを擁し、モーツァルトや

ワルツ王J.シュトラウスを輩出したオーストリア、

確かに、音楽の宝庫です。

ですがアメリカ、ここにも珠玉のクラシックは存在します。

アメリカ音楽の父、スティーヴン・フォスター。

ネットで「フォスター」と検索すると、

間違いなく「ジョディ~」がヒットするし、

富士重工の四輪駆動車と間違われたり、

人名・作品名はさほど有名ではありません。

が、実は私たち日本人が

無意識に口ずさむ曲をつくっていたり…。

『いなかーのばすはーおんぼろばすでー』なんて

誰でも歌えちゃいますよね。

また、厳めしいヒゲ面が並ぶ楽匠の肖像画の中で、

端正な甘いマスク(って私は思います)が光りますが、

その外観そのもの、の甘くしっとりした作品も魅力です。

彼の作品は、テンポのいい楽しい曲、静かな名曲、数多。

そのどれも、南北戦争当時の、

古き良きアメリカの息吹が聴こえてきます。

朝もやけ、厩舎から聞こえる馬のいななき、

農場で働く人々、街の喧噪。

私たちを『若草物語』や

『風と共に去りぬ』の世界に、いざなってくれます。

オバマ大統領の登場で、リンカーン大統領の話題が豊富です。

リンカーンが凶弾に倒れる約1年前、

妻子に捨てられ、孤独と極度の貧困の中、

酒に溺れ、転倒して亡くなるという、

あまり美しくない最期を迎えます。

が、その間際に、

彼は名曲『BeautifulDreamer(夢路より)』を遺します。

初めてこの歌を聴いた時は、

「歌はここまで美しくなれるのか」と、

背筋が凍ったのを覚えています

先日、『呪いのカーネル人形』が揚がりましたね。

フライヤーから、ではなく道頓堀川から。

KFCCMに使われる『ケンタッキーの我が家』も、

彼の作品です

(この歌、ケンタッキー州の州歌にもなっていますが、

フォスターは北部人のニューヨーカー。

ケンタッキー州なんて、ほとんど訪れたこと、ないとか)

カーネル人形に絡めて。

埼玉西武ライオンズファンの私ですが、

阪神タイガースには頑張ってほしいなぁ。

今、日本を元気にするのは、

巨人でも西武でもなく、タイガースな気がする…。

しかし大阪、「メガネ人形」の話題が尽きませんね。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

保育園物語~せんせー∧園児の親

私の勤めるふりーじあ保育園には、

せんせーであり園児のママ、が何人かいます。

親子で通勤(登園)し、子を保育室に置いて、

一旦着替えて、また保育室に入る、そんな生活。

そういうケースを避ける園もあるのでしょうが、

こだわらない園には、よくあるケースだと思います。

ある日、こんなことがありました。

3歳児で、まんごー先生の息子さんのA君、

絵本を読んでいました。

一人で、でも楽しそうでした。

それを、同じクラスのB君が突然、奪いました。

怒りと困惑に満ちたA君、

B君に体当たりをし、これを奪い返しました。

体格に勝るB君も負けてはいません。

A君の方を突き倒し、再度本を奪いました。

「ばーか」と言い捨てるオマケつき。

一瞬の出来事、子ども社会では、よくある光景です。

遠目で、他の子の相手をしていたまんごー先生、

一部始終を見ていました。

突き倒されたA君に歩み寄り、彼を起こします。

そして、B君をそこに呼び、二人を叱りました。

A君もB君も、本やおもちゃを奪い合ったり、

ましてやそのためにぶったり暴力振るっていいの?」

喧嘩両成敗です。

そこにいた5歳児のCちゃん、

しばらくしてからまんごー先生に言いました。

「せんせー、どうしてB君の方が先に悪いことしたのに、

B君の方が悪いのに、二人とも同じように叱るの?」

問われたまんごー先生、答えに詰まってしまいました。

「どんな事情があれ、喧嘩は両成敗」と徹底するなら、

まんごー先生の行為はそれでいいでしょう。

でも一般的には、それだけで割り切れるものではありません。

実際、Cちゃんに問われた時、

まんごー先生は答えられませんでしたしね。

残念ながら、まんごー先生も、A君ママとしての呪縛から

自由になりきれなかったようです。

ママ先生のいる保育園なら、どこでも起こりえますが、

これ、とても難しいシチュエーションです。

B君が一方的に悪いなら、先生としてB君を叱れます。

明らかに、A君側が悪いなら、A君を叱ればいい、

同じくらい悪いなら、両成敗、

これもせんせーとして可能です。

が、このケースのように、7:3くらいで、

B君の方が「より悪い」場合、困りますf- -;

B君の方がより「非難されるべき」、

でも、A君にも非があるのに、

A君以上にB君に強い叱責は…、なかなかできません。

ママの立場が優先してしまうと、

より悪いB君はさておいて、

A君だけを叱ってしまう、ともなりかねません。

大雑把に、「どっちも悪い」としてしまったまんごー先生、

苦渋の決断だったのでしょうね。

保育園で働かずとも、公園等で似たような難しさ、

経験されたママさん方も多いと思います。

私の子もんすてら。もこの4月から認可園に入ります。

保育園を選ぶ際、私と同じ保育園を選ぶことも考えました。

何より送迎が楽だし、近くにいて安心だし、

親が働く姿を見るのは、それはそれでいい経験でもあります。

が、やはりやめました。

こんなシチュエーションなどがあった時、

私もまんごー先生以上の対応ができる自信がないから。

と言えば聞こえはいいですけど、ぶっちゃけると、

「家でグータラしてる様を、

園児や同僚に話されたら、たまらないから」

これが、偽らぬ本音ですf^-^;

Photo

| | コメント (7) | トラックバック (0)

至福の時~朝の入浴

バスルームの扉を開くと、

立ちのぼる湯気、シャボンの香り、

東の窓から差し込む朝日が乱反射しています。

乳白色がキラキラと輝きながら、

浴槽の上では上に、

壁際では下に降りていく様は、

オパールが海中で漂っているよう。

私すとれちあ。は、お風呂が大好き。

特に、朝のお風呂は至福の時間です。

そんなに贅沢をしてはいけないから、

子どもとのお泊まりや決算期で、

朝まで頑張った日だけ、

自分にごほうびとして、朝風呂。

これくらいは、ね

窓から見えるのは、木の芽の吹き始めた山。

そよ風に乗って、教会の鐘や、

山の向こう、海を走る船の汽笛が聞こえるし、

すぐ近くの公園からは、

子どものはしゃぐ声、犬の楽しそうな声も聞こえます。

お風呂上がりには、アールグレイを淹れて、

ショパンの「小犬のワルツ」を弾こうかな

(初級者向けアレンジの、ですけど)

おあつらえむきに、外から

スコットランド民謡「麦畑」の

ゆったりした旋律が流れてきました。

その音楽に乗せて聞こえる優しい女性の声。

「ただいま、ゴミの収集をしています」

ガーン!ゴミ出してないじゃん

しかもいつもより30分くらい早いし。

優雅な時間は一瞬にして崩壊、臨戦態勢です。

敵襲を受けた軍人、通報を受けた消防士、

保育士の日常のように、刹那の余裕も許されません。

浴室から出るや、タオルで身体を拭くでもなく、

シャツに身を通します。

バスローブの感覚、着る事で水気を取ります。

ゴミをまとめ、玄関から出ると…、

エレベータは、1階に。!(・oノ)ノ

仕方ない!3段飛ばしで階段を駆け下ります。

既に通り過ぎたゴミ収集車、

国道に出てしまったゴミ収集車、

追いつくには、自転車しかありません。

「おのれ横浜市資源循環局!」

「横浜はG30」とか言いながら走るゴミ収集車を、

ママチャリは時速30キロで追います。

半透明ポリ袋満載、何をしようとしているか、

誰が見ても、一瞬でわかることでしょう。

「全く、横浜市はやることなすこと、大ざっぱだよ!」

心の中で毒づいて、ついでに

「中学校にも給食入れてほしいのにさ!」

もはや関係ありません。

やっと追いつきました。

「自転車、速いねぇ」と感心する収集員のオジサマ。

にこやかで、素敵です

「いつも横浜をきれいにしてくれて

ありがとう、おじちゃん。

あんまり早めに来るの、勘弁してね」と

心の中で呟いて、吐き出しそうな心臓を

飲みこみながら、家路につくのでした。

家では、水びたしの床、

盛大な雑巾がけが待っています

※文中で、「麦畑」と言う曲が出てきますが、

日本では一般的に「故郷の空」という名称で知られています。

ナマイキにも、優雅な雰囲気を醸し出すために、

あえてこの表現を使いました。

横浜のゴミ収集車は、この曲を垂れ流して走ります。

この曲を聞きつけた主婦が、ワラワラ玄関から出てくるのです。

豆腐屋のラッパ的存在、といえましょう。

※「G30」とは、横浜市資源循環局のキャンペーンで

「ゴミを30%削減」という目標です。

「ゴミゼロ」とも読むそうです。

ゴミをなるべく出さない生活、スローライフの基本ですね^-^

| | コメント (8) | トラックバック (0)

保育園に預ける子はカワイソウ?

保育園で働き、子もんすてら。を保育園に預ける

私すとれちあ。ですが、

自分自身が就学以前に通っていたのは幼稚園。

4歳の春でした。

最初は、泣いて泣いて、

毎朝「もうようちえんやめる!」って

親を困らせた記憶があります。

幼稚園に行ったら行ったで、遊びに夢中、

先生をずいぶん困らせた覚えもありますが。

そうして大きくなって、

今もときおり、職場の保育士たちを困らせる

オッチョコチョイぶりを発揮しています。

ライバルは、サザエさん。

話がそれました(サザエさんだから仕方ないか)

「保育園に預ける子はカワイソウ」

という人がいます。

一方、幼稚園に通う子を、

「のびのび育ててない」という人もいます。

幼稚園を卒園した身として、

保育園の職員∧保護者として、

私はどちらにも賛同しません。

それぞれにいいところ、あるし、

それぞれ、不足なところを

補う努力はしている(と信じています)

何より、いろんな園、いろんな子がいる中で、

どっちがいいか悪いか、なんて

単純に言えるものではありません。

幼稚園にいた私は、

のびのび通り越して野生児だったし

(幼稚園だから辛うじてバランスがとれた?

野生児の遺伝子を引いたもんすてら。

保育園で大丈夫か?もはや動物?)

私の勤めるふりーじあ。保育園も

もんすてら。のぷるめりあ。保育園も

園児は楽しそうに過ごしています

(そりゃ、お迎えの時が一番嬉しいけど)

最近、もんすてら。が家でよく歌うのが

ぷるめりあ。保育園でならったんでしょうね、

「思い出のアルバム」。

♪いーつのーことーだかー思い出してごーらん

歌詞が曲が、季節が涙腺を苛めます(花粉症?)

いい歌ですよね。

この歌を習った5歳の春、卒園間近、

子どもながらに感動していた記憶があります。

5歳?

もんすてら。は3歳。

そっかぁ。

私がその頃は、まだ幼稚園に行ってなかったんだ。。。

(私が4歳の春、最初に習った歌は

「おはながわらった」でした)

うぅ、ごめんよ。

私が「幼稚園やだ」ってぎゃーぎゃーわめくより

ずっと幼い頃から、保育園通わせてるんだよね。

「保育園児はカワイソウじゃない」

って信念は揺るぎません。

が、そんなの子どもには関係ない。

保育園(幼稚園も、だけど)児は、

さみしい気持ちを抱えている、

これは、事実なんですね。

信念は信念。言い訳にはならんねん。

せめて、一緒にいる時間をなるべく長く、

その時間を思いっきり大切にしないと、

「保育園児はカワイソウ」になっちゃいます。

週末は、いっぱい一緒にいてあげよう。

と思いつつ、毎日何かしらで

ピリピリしちゃうんだよな~(;´▽`A``

| | コメント (6) | トラックバック (0)

さるびあ。は笑点がお好き

シリーズでお伝えしています「我が家の『好き』」、

子もんすてら。の「トーマス」

私すとれちあ。の「横浜」に引き続き、

最終回の今回は、

パートナーさるびあ。の「好き」について特集します。

「シリーズだったの?特集だったの?」

いえ、今決めました。

たまたま、もんすてら。と私の「好き」が続いたので。

かなりいーかげんな取り組みです。

介護のお仕事をしているさるびあ。は落語がお好き。

純粋に好きなのですが、

仕事での話題も提供してくれます。

仕事でケアする相手はもちろんのこと、

一緒に働く仲間も、さるびあ。よりずっと年配。

保育園で働く私が、お菓子やピアノが好きなのと同じ、

さるびあ。の「好き」、も趣味と実益を兼ねています。

日曜日の夕方、わかりますね。

必ず(でもないけど)見るのが、「笑点」です。

日本人なら誰でも知っているあの音楽、

スチャラカチャンチャン♪みたいなふざけた音楽、

日曜日の終わりを告げる、終末へのプレリュードです。

週末の終末の始まり、

始まりだか終わりだか分からないけど

もいっこオマケに、

週末の終末のシュウマツの始まり、

あれ、「おそ松君」にも出てきたっけ?って感じです。

とりわけ、さるびあ。は左側の

オジサマがたが好きみたい。

大月とか銀杏とかダジャレとか…。

私は、あまり上品な感じがしなくて、微妙ですけどね。

私は、楽太郎さんの方がいいなあ。

政治や社会をスパッと切る、

でも上品な笑いもある。

顔も好きなんですけどね*^o^*

とは言え、私はあまり、見ません。

嫌いなのではなく、その時間、他の事がしたいから。

一番したいのが、ピアノ。

でも、困ったことに、

笑点を見ている横で、ピアノ、弾けないんです。

鍵盤を叩くことは、できます。

でも、以前書いたような「音楽になる」と言う感覚、

この時だけは、できないんです。

静かな番組なら、邪魔にならない。

うるさくても、バラエティとかなら、無視できる。

笑点は、できないんです。

それだけ、面白いというか、吸引力があるんでしょうね。

おそるべし!笑点。

まぁ、ピアノとテレビが同じ部屋にある

我が家のせま~い住宅事情と、

たかがテレビに集中を邪魔される

私の修行の足りなさ、と言えばそれまでですが…。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

横浜大好き!

東京で生まれ育った私すとれちあ。ですが、

親によく連れていかれたせいか、

子どもの頃から横浜が好きでした。

中華街で食事をして、港の風を浴びて、

おしゃれな元町で買い物をして、

洋館の並ぶ山手の丘を散歩して。

東京にはない「素敵」がちりばめられた街、

そんなイメージでした。

「東京の人間は、横浜と京都に憧憬を抱く」と

聞いたことがありますが、

自分の中に、「大当たり!」がありました。

そんな訳で、社会人になると同時に、

横浜生活を始めました。

住んだら「キレイキレイ」とはいかない、

と言いますが、

どうしてどうして、地元が好きになるばかり。

「住めば都」と言いますが、私の場合、

「住んだら極楽」です(言いすぎ?)

もちろん、嫌なこともあります。

横浜市民、車の運転とか乱暴だし。

でも、東京より人も温かい気がするし、

都会なのに自然と触れられる場所も多い。

地域で子育てできる、って感じがするんです。

それに何より、「歴史が生きている」感じがします。

東京や京都大阪、隣の鎌倉に比べて、

横浜の歴史は、とっても浅い。

でも、その分、旧い建物とかが今でも使われてる。

「保存されている」のとは違います。

Cimg1742

大正時代からの帝蚕倉庫とランドマーク。

「新旧」ではあっても「今昔」ではありません。

今と今、です。

そんな「歴史が生きている」町、横浜が今年、

開港150周年を迎えました。

でもこの、旧い横浜の道のりは、

平坦ではありませんでした。

みなとみらいの活性の裏で、

中華街や山手・元町地区の観光客は減る一方でした。

私の好きなお店も、いくつも消えました。

中華街の老舗、萬珍楼は火災に遭い、

氷川丸やマリンタワーも閉鎖、

存亡の危機にまで陥りました。

「旧い横浜はどうなるの?横浜は、

東京みたいな近代的な都市になるの?」と

危ぶむ声も、ちらほら聞こえました。

しかし、ここから旧い横浜は盛り返します。

萬珍楼も、装い新たに再開しました。

マリンタワーは、今年、

リニューアルオープンします。

みなとみらいに代表される

「新しい横浜」と、旧い横浜が、

開港150周年を共演してくれる、そんな感じです。

Dec10_1722_6   

| | コメント (6) | トラックバック (0)

きかんしゃトーマス

子もんすてら。は電車好き。

そのせいか、「きかんしゃトーマス」が大好き。

テレビやキャラクターに染まるのは好ましくない、

という人もいますし、何より私も同じ意見ですが。

まぁ、それに神経質になるよりは、

「かわいいね、たのしいね」の方が

ずっといい育児ができると思います。

キャラクターが悪、ではなく、

他の遊びを阻害しちゃったり、

創造性を摘んでしまうことさえ避ければ、ね。

そして何より、私が「トーマス」の世界、好きです。

以前、おひなさまが好き、と書きましたが、

ああいう、ドールハウス的な世界、心がときめきます。

現実の電車では、小田急のロマンスカーがお気に入りの

子もんすてら。は、急行列車ゴードンのファン。

子どもって、特急とか新幹線とか好きですもんね。

大人から見ると、「速い」よりも、

いばり方が愛せちゃうというか、

ジャイアンみたいな愛らしさを感じますが。

横文字が苦手なパートナーのさるびあ。は

なかなかキャラを覚えられません。

唯一、小さくて可愛いパーシーに♡みたい。

私は、マイナーですがマードック。

大きくて、でもゴードンみたいに威張らず、

「気は優しくて力持ち」な感じです。

かくありたいのは、エドワード。

みんなみたいに「自分」を前に出さず、

ちょっと小馬鹿にされても、

地道に仕事をこなしていきます。

褒められもせず、苦にもされず…、

「雨ニモマケズ」の境地ですね。

「トーマス」のすごいと思うところは、

キャラクターの使い分け。

機関車がいくつ出てくるのか、把握できないくらいなのに、

みんな、違う性格と役どころをもっています。

ですが、私が思うに、大きく分けると、

    鼻っ柱が強い、血の気の多いグループと、

    穏やか、謙虚、なグループ

分けられそうです。

    のグループは、

トーマス、ジェームス、ゴードン、スペンサー

   

エドワード、ヘンリー、パーシー、マードック

ってとこでしょうか。

ところで「トーマス」、

やはり子ども向けの話なので、

教訓というかメッセージが込められています。

よく伝わってくるのが、

「速いよりも、ゆっくりでも、安全・確実に」

「一人で頑張るより、みんなで協力して」

ってメッセージ。

どちらかといえば、力を緩める方向のもの。

「頑張れ」とか「働け」という

力を込めるようなメッセージは、

あまり出てきません。

というより、みんな働き者って描かれ方なので、

「それは大前提として」ってことでしょうか。

このメッセージに照らすと、

どうしても模範生なのは②のグループ。

    のグループは、失敗したり、

反面教師的な役割になることも、多いです。

それでも、誰かが悪役になったりせず、

みんなが良い役やったり、悪役になったり、

固定せずにローテーションしているところ、

現実の「子ども社会」に近い気がします。

子どもへの影響、悪くないんじゃないか、

と思ってます。

Tomasbear_3 

| | コメント (6) | トラックバック (0)

「花」を書いて

昨日の記事、「花」を読んで下さった方、

コメントを下さった方、

ありがとうございました。

読んで気付かれた方もいらっしゃるかもしれませんが、

記事の中、

「眠っていた矢先でした」で終わる節と、

次の「隅田川のはじまり」で始まる節、

文章としてあまりきれいな接続ではありません。

国語の授業なら、いい点はもらえませんね。

実はここ、一度は書いて、

あえて削除した一節があります。

全てが燃え尽き、廃墟同然となった両岸、

「くるればのぼるおぼろ月」は、この歌よりも、

「昔の光いまいづこ」と歌う「荒城の月」の方が、

似つかわしかったことでしょう。

しかし、人が土の上で生きる「町」は、

栄華を極めた「城」とは違います。

やがて、闇夜に明かりが灯ります。

全てを焼き尽くす猛火ではなく、

生きる人の、生きるための、温かい火です。

が、この一節、載せるにはどうしても抵抗がありました。

同じ瀧が作曲したとはいえ、

空襲の焼け野原を、「荒城の月」とクロスさせることが、

あまりに不謹慎に思えたのです。

「荒城の月」で描かれた城も、栄華から没落するまでには、

多くの血が流されたはずです。

その命は、私たちや空襲で亡くなった方々と比べても

同じ重みをもっています。

それでも、私たちが「荒城の月」を聴く歌う時、

風情とか趣(おもむき)を、求めています。

あまり、その命を悼む気持ちは、ありません。

もう、風化しているのです。

先の戦争は、どうでしょうか。

去年の815日、北京五輪で沸きたつ最中、

日本人は「終戦記念日」を忘れたかのようでした。

B29が東京上空に飛来した昨日39日、

多くの人々が逃げ惑った今日3月10日、

このことを大きくとりあげたテレビ番組や新聞記事は、

あまり、目にしません。

先の戦争も、風化していくのでしょうか。

戦争を忘れることは、平和でしょうか。

過去を忘れることは、前向きでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

花~春のうららの隅田川、に思うこと

春のうららの隅田川 のぼりくだりの船人が

櫂のしづくも花と散る ながめを何にたとふべき

見ずや あけぼの露浴びてわれにもの言ふ櫻木を

見ずや 夕ぐれ手をのべてわれさしまねく青柳を

錦おりなす長堤にくるればのぼるおぼろ月

げに一刻も千金のながめを何にたとふべき

もうすぐ桜の季節、日本人にとって、

文字とおり「花盛り」の季節です。

そして、滝廉太郎作曲のこの歌も、

墨田川の川岸で咲き誇る桜を描いています。

日本人に広く深く愛される桜をモチーフにする歌は

古今枚挙にいとまがありませんが、

明治時代に作曲されたこの歌と

江戸時代よりの古謡「さくらさくら」ほど、

愛される歌もないと思います。

短調の旋律に、「さくらさくら」と繰り返す歌詞、

古謡が満開から散りゆく儚さを詠うなら、

「花」は、めっぽう明るく春爛漫、

歌詞には一度しか「桜」と出ないのに、

今や満開咲き誇る桜を謳います。

桃色に染まった長堤と川面、

眺める人々、たゆたう船、

何とも華やかでのどかな景色です。

底抜けに明るい風景描写は、一枚の絵。

印象派の画匠、モネの作品を彷彿させます。

この歌で、春を描かれ、都民に愛される隅田川、

どんなにか誇らしいでしょう。

しかし、この歌とともに経た108つの春、

そんなに素敵な思い出ばかりではありません。

隅田川は、歌が発表され、

半世紀も経たぬ間に、二度も、

川面に人の亡骸を流す

「死の運河」となる不名誉を蒙ります

一度目は、

作曲後20年あまりして起きた、関東大震災。

そしてまた20年あまり、桜の蕾も膨らみ、

まさにこの歌の季節も間近、64年前の今夜、

東京大空襲です。

少しずつ、蕾を膨らませる桜を見て、

指折り数えていた人も、いたと思います。

墨田川も、川面を染める花びらを

心待ちにしていたことでしょう。

しかしこの年、両岸に降り注いだのは、

桜ではなく、焼夷弾。

水面を埋めたのは、桃色の花びらではなく、

炎から逃れんと橋から飛び降りた人の亡骸でした。

多くの大人は大震災を生き延び、

つい1週間前、桃の節句を祝った子どもは

親に抱かれ、安心して眠っていた矢先でした。

隅田川のはじまり、

岩淵水門には、よく散歩に行きます。

土手の上の桜は、蕾も膨らみ、

遠くから見ても、薄く桃色がかって見えます。

河川敷で、野球少年が試合をしていました。

今年の桜も、おそらく、

美しく川面を染めるでしょう。

人々は、それを楽しむでしょう。

この歌のように、明るい春がくるでしょう。

この平和に感謝するばかりです。Cimg2083

岩淵水門。

ここから墨田川が始まります。

大震災も、戦災も耐え、

東京を水害から守ってくれました。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

電車の中で

すとれちあ。の自宅横浜から、

東京の実家に行く時は、

東急の電車に乗ります。

安いし、早いし、本数多いし、

電車好きな子もんすてら。が喜ぶし。

セレブの象徴のように思われる電車、

そのせいか、周りの乗客も、

ガラの悪い人とかが少なく、

子連れでも、安心して乗れる気がします。

難点は、いつ乗っても混んでいること、

この点、子連れとしては、ちょっと辛い…。

今回も、土日というのに大混雑。席どころか、

ベビーカーを置くスペースもままなりません。

(3歳で、三輪車でガンガン走るくせに、

外出時はベビーカー~m~)

ところが、周りの乗客が、こぞって空間をあけ、

車椅子スペースに通してくれました。

途中駅、車椅子の男性とその連れの

母親らしき年配の女性が乗ってきました。

こちらは車椅子よりも小さくて軽いベビーカー、

今度は場所を譲る側です。

たまたま空いた目の前の、

4人掛けの席に座っていた男性が、私たちに

席とベビーカーの置き場所を譲ってくれました。

車椅子の方のお母様らしき方も、同じボックスに。

混んだ車内に、車椅子とベビーカーが置かれた狭い状態、

電車が走り出す時、一人の年配の女性が、

ベビーカーにつまづいてしまいました。

私から見ると、「ベビーカーが邪魔してしまった!」

あちらは「ベビーカーを蹴ってしまった!」で

お互いが「どうもごめんなさいね」

そして、同じボックスにいた男性が、

つまづいた女性に、席を譲りました。

4人掛けのボックスに、私と、膝の上にもんすてら。、

車椅子の方の連れの女性、つまづいた女性。

つまづいた女性は、社交的な方らしく、

もんすてら。にいろいろ話しかけてくれました。

「いくつ?」「保育園楽しい?」「お出かけいいね」

車椅子の方の連れの女性も、輪に入ります。

混雑した車内、ボックスの中が、

ほんわか温かなムードになりました。

もんすてら。と外出すると、

「世の中、悪くないな」と思うこともしばしば。

電車は多摩川を渡り、東京へ。

川面がキラキラ光ってきれいでした。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

3月の保育園は士走(しわす)

他の福祉施設や学校、

多くの一般企業でもそうでしょうが、

3月は、保育園にとっては年度末、

保育士も走り回る士走です。

(いつも走り回ってるかも)

まず、入ってすぐに、

月中行事、お雛祭りがあります。

そして春の遠足、卒園遠足、

進級式、卒園式。

行事だけでもたくさんあります。

それに向けての準備、

保育の中では、工作や出しもの劇の練習、

午睡中や子どもが帰ってからは、

打ち合わせや大道具の準備。

もちろん、日々の保育の準備・片づけもあります。

疲れても、不安でも、毎日誰かが泣いたり騒いだり、

それでも園児の前では、笑顔笑顔(*^-^)

心の中は、もっとアタフタ。

卒園を迎える5歳児さんと過ごす日々は、

もう秒読み段階。

多忙な中にも、感傷はありますが、

相手は子ども、頭の中の90%は

「思い出よりも未来」。

このギャップ、ちょっとさみしいものがあります。

変わるのは、保育現場だけではありません。

年度末で退職する職員もいれば、

担当クラスが異動になる職員もいる。

4月からは、新しい職員も新入園児もいる。

今までの仕事を引き継いだり、引き受けたり。

事務的な制度や書類も変わるものがあるから、

それにも対応しないといけない。

子どものこと、保護者のこと、

仲間の職員のこと、事務のこと、

今までとこれからの全てが、同時に降ってくる、

てんやわんや、です。

まあ、その大変さがあっても、

かわいい子どもたちに囲まれる幸せな仕事、

この子たちの未来を描く壮大な仕事、

そう思える保育園の仕事は、

不思議なパワーをくれるんですよね。

来週も、がんばるぞー!\(^o^)/

| | コメント (3) | トラックバック (0)

海に潜るには

高校生の時から、海で素潜りをするのが好きです。

スキューバの資格も、持ってはいますが、ペーパー状態。

機械に頼ると、海の微かな息吹が

感じにくい気がするのです。

正直、機材のレンタル料等、経済的理由も大きいけど。

Cimg0251

海に潜る時、私の表情は…、軽く微笑んでます。

キモイ?怪しい?不審人物?

実際は、マスクとシュノーケルで、

近くで見ても、表情はわかりません(ひと安心)

これには、ちゃんとワケがあります。

自分の肺が頼りの素潜りは、

酸素の消費をなるべく抑えたいもの。

とは言え、泳いでいるから

首から下の筋肉は、ガンガン酸素を使います。

で、お鉢が回ってくるのが酸素の大食漢、脳です。

普段からあまり酸素を使ってない私の脳、

リラックスするのは得意なんでしょうか?

頭をらくーにすると、意外なほど、息は長続き。

そんな時の表情は、必然、安らかになります。

(そのまま安らかに、海底に沈んで行っちゃわないか?)

科学的には、そんな説明なのでしょうが、

イメージとしては、「水に溶ける」感じ。

「潜ったる!」みたいな、征服者の気持ちになると

海はすぐに、拒絶してきます。

遊びの輪に入る子のように、

「いーれーて」と願いながら潜ると、

海は優しく受け入れてくれます。

そして、最後、「もう、陸におかえり」と、

僅かな苦しさを、気道に覚えさせてくれます。

そう、私は陸の生き物、

どんなに海が好きでも、やっぱり溶けられない。

そんな、叶わぬ片思いが続いています。

でも、切なくはない。

海はいつでも、そこに「ある」から。

Cimg0319

いつかは、以前紹介した「ブルーバック」

ドラのように、「海と生きる」人になりたいですね。

Cimg0261

| | コメント (13) | トラックバック (0)

ソクラテスを育てたい

高校の頃、倫理や世界史の授業で、

ソクラテスの「無知の知」を知り、

目からウロコが落ちた人は多いと思います。

「そっか、知らないってことを知るの、大事だよね」

って。

私もその一人。

謙虚さの大切さを教わった気がしました。

ですが、最近思うのは、

ソクラテスが大事にしたかったのは

「自分が知らないってことを知る」のでは

ないんじゃないかな、ってこと。

「自分…を知る」って言うと、

孫子の「敵を知り、己を知れば…」を思い出しますが、

ここでは「自分を知ること」を大事にしてます。

が、ソクラテスの訴えたかったのは、そこじゃなく、

「自分は、知らない。だから、

知ろうと努力しようじゃないか」ってことじゃないかな。

「知らない自分を知る」ことが大切なら、

私なら「私はばかです」で終わらせちゃいそう。。。

そうじゃなくても、

「出る杭は打たれる。事なかれ主義だー」って

ことになっちゃいません?

ソクラテスが、それを望んでたとは思えないし、

実際、彼はいろんな人に、

手当たり次第に質問をしまくります。

メーワクなくらいに。

あの時代、「私は賢いんだ!」って

威張ってる人が多かったから、

そんな人よりは「自分は知らない」って

謙虚な人の方がマシかもしれません。

ですが、謙虚さはゴールではなく、スタート。

そこから出発して、知ろうとする前向きな気持ち、

じゃないか、って思います。

何かの本で、

子どもに一番持たせたいものは何か?と問われたら

私は知的好奇心だ、と答える、と書いてありました。

私も、子もんすてら。には

おなかいっぱいの知的好奇心を持たせたい。

何でも「なんで?」って尋ねる年頃は、

どの子もみんなプチソクラテス。

その気持ちを摘み取らないようにしたいですね。

そして、自分も、その気持ちを忘れたくないものです。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

あかりをつけましょぼんぼりに

3月3日、お雛祭りの横浜は、寒かったです。

三寒四温、これも風情と思えなくも…、思えない。

嫌ですねえ。冷え性+根性ナシは。

おひなさまですからね。

寒いと不平をいうよりも

笑ってぼんぼりつけましょう。

私の勤めるふりーじあ保育園も、

今日は卒園式の練習はお休み、

でおひなさまイベント。

おやつ、席に着いた男の子たちに、

手づくりのかんざし(ダンボール製!)をさした

女の子たちが、ひなあられを配ってました。

(バレンタインとの混同か?)

今日はちょっとかわいらしい「新婚気分」が

あちこちに漂う保育室でした。

子もんすてら。の、ぷるめりあ保育園では

毎月、何かの工作をして、持たせてくれます。

もちろん、今回はおひなさま。

と言っても、ほとんど保育士が作ってくれた上に、

本人はちょっと装飾やお絵かきをする程度。

それでも、昨年の作品に比べると、

各段の成長を感じます。

ま、私の子だから、絵心に期待はできませんが。

子どもの頃から、おひなさまが好きでした。

綺麗で重厚な衣装、透き通ったガラスの目、

細密な御雛道具、揺れるかんざし。

牛車の車輪を回して鳴らすオルゴールは、

ハンドベル等の金属打楽器を好きな私の

ルーツになった気がします。

子ども心にも、

クリスマス、七夕と並ぶ、3大オーナメントでした。

それにしても、今どきのおひなさま、

ちょっとかわいらしすぎる気がしません?

もちろん、かわいいのも大好きですが、

夜中、トイレに起きるのを躊躇しちゃうような

怖い雰囲気がありましたよね。

あの「怖さ」→「妖しさ」→「美しさ」って

つながっている気もするんだよなあ。

それと、

五人囃子の歌う人を「ボーカル」って呼ぶの、私だけ?

T0010001_4

T0010002_4

こんなかわいいおひなさまも。

↑と矛盾しますが、ちょっと

| | コメント (5) | トラックバック (0)

「ゆりかご…」を書いて

228日に載せた「ゆりかごのうた」

読んで下さった方、コメント下さった方、

ありがとうございました。

あの記事は、本来、私のような体験も見識もない者が

おいそれと扱える範囲の内容ではない、と考えています。

なので、記事にせよ、皆様へのコメント返しにせよ、

最大限の敬意をもって、書かせて頂きたいと思います。

あの記事は、日本がくぐり抜けた「戦争」という歴史と、

その歴史の中で愛されてきた

「ゆりかごのうた」という子守唄を

クロスさせて書きました。

徒に歌のイメージを重くするのは本意ではありません。

が、私はこう考えるのです。

「歌は作詞作曲された時に完成するのではない。

人とともに時とともに、

歌い継がれて、つくられていく」と。

「ゆりかごのうた」も、

作詞作曲、発表されたのは大正時代ですが、

昭和・平成と、歌い継がれて「今、ある」のです。

そして私たちは、その「今、ある」この歌に、

子への思いを注ぎ、子に聴かせているのだと思います。

歌が歩んできた「時」に思いを馳せること、

決して意味のない所作ではないと思うのです。

私が、最も好きな歌があります。

「ゆりかごのうた」よりも、

もう少し古くから愛されているこの歌も、

明るい曲と歌詞とは裏腹の時を歩んできました。

1週間後、この歌について書こうと思います。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

春待ち風邪

私すとれちあ。は、毎年この時期、

タチの悪い風邪をひきます。

この風邪を、私は自分で勝手に、こう命名しました。

なーんか、典雅でキザな名前って言われそうですが

(思わない?勝手な思い込み?ナルシス?)、

なかなかこの風邪、嫌なものです。

何しろ、寝ても薬を服んでも、よくならない!

花粉症とのハーモニーで頭痛と熱っぽさが続きます。

もともと、花粉症で抵抗力が弱っている上に、

鼻づまりで口呼吸を強いられる→咽喉を痛める!

+一度暖かい風を知った冷え性の身体が、

「もう寒いのに耐えるのはやだ!」とばかりに

ストライキを起こしている感じです。

という訳で、この風邪、

気温が上昇するまで延々続きます。

その代わり、気温が上がると自動的に治癒します。

だから、「春待ち風邪」。

今年のひき始めは、子もんすてら。からでした。

熱を出し、保育園をお休みしましたが、

具合の悪い時はあまえんぼさんになるもの、

せがまれるまま、抱っこしていて、

咳を浴びまくりました。

そこで、風邪には葱!と安直な発想で、

本日の夕飯、葱と小松菜のピーナッツ味噌炒め!

中華風です。

でも、治らないんだなあ・・・。

って言うか、風邪にはお粥が一番かな・・・?

T0010001

| | コメント (4) | トラックバック (0)

« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »