「花」を書いて
昨日の記事、「花」を読んで下さった方、
コメントを下さった方、
ありがとうございました。
読んで気付かれた方もいらっしゃるかもしれませんが、
記事の中、
「眠っていた矢先でした」で終わる節と、
次の「隅田川のはじまり」で始まる節、
文章としてあまりきれいな接続ではありません。
国語の授業なら、いい点はもらえませんね。
実はここ、一度は書いて、
あえて削除した一節があります。
全てが燃え尽き、廃墟同然となった両岸、
「くるればのぼるおぼろ月」は、この歌よりも、
「昔の光いまいづこ」と歌う「荒城の月」の方が、
似つかわしかったことでしょう。
しかし、人が土の上で生きる「町」は、
栄華を極めた「城」とは違います。
やがて、闇夜に明かりが灯ります。
全てを焼き尽くす猛火ではなく、
生きる人の、生きるための、温かい火です。
が、この一節、載せるにはどうしても抵抗がありました。
同じ瀧が作曲したとはいえ、
空襲の焼け野原を、「荒城の月」とクロスさせることが、
あまりに不謹慎に思えたのです。
「荒城の月」で描かれた城も、栄華から没落するまでには、
多くの血が流されたはずです。
その命は、私たちや空襲で亡くなった方々と比べても
同じ重みをもっています。
それでも、私たちが「荒城の月」を聴く歌う時、
風情とか趣(おもむき)を、求めています。
あまり、その命を悼む気持ちは、ありません。
もう、風化しているのです。
先の戦争は、どうでしょうか。
去年の8月15日、北京五輪で沸きたつ最中、
日本人は「終戦記念日」を忘れたかのようでした。
B29が東京上空に飛来した昨日3月9日、
多くの人々が逃げ惑った今日3月10日、
このことを大きくとりあげたテレビ番組や新聞記事は、
あまり、目にしません。
先の戦争も、風化していくのでしょうか。
戦争を忘れることは、平和でしょうか。
過去を忘れることは、前向きでしょうか。
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