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2009年4月

漢字検定

今は豚インフルエンザがニュースのトップですが、

今年に入ってから、世間を揺るがしたものに、

財)日本漢字能力検定協会(漢検)の不正があります。

詳しいことは書きませんが(不勉強だから…?)

公益な事業を行う法人でありながら、

莫大な利益を上げ、

その利益を適正に管理・運用していなかった、

ということ。

この事実に対して、私の懸念を述べます。

第一に、「漢字の株」が下がらないか?ということ。

漢検が莫大な利益を上げた経緯として、発覚までの

「漢字ブーム」が、あまりに記憶に新しくあります。

私も、受験こそしませんでしたが、

このブームをむしろ好ましく思っていました。

漢検で、ある程度勉強しなければならない

上位級の漢字は、ほとんど

覚えても実務には使えない。

それ以下の級は、履歴書に書けない。

このパラドックスも、

利害より文化・漢字のおもしろさを

際立たせているように思いました。

しかし、今はどうでしょう?

受験者数は激減でしょうし、せっかく取得した級も、

履歴書に書きづらく(資格として使えなく)なっている、

のではないでしょうか?

これは、今まで努力して漢字を勉強し、

受験料を負担して受験・合格したのに、

どちらかと言えば受験者は被害者なくらいなのに、

「泣きっ面に蜂」でしょう。

それに何より、漢字を学ぶ目標の一つが崩れた、

この事実が、私たちの興味関心から

「漢字」の比重を下げないか、と思います。

それは、文化の衰退に他なりません。

もう1つは、公益・非営利に対する世間の目です。

莫大な利益を上げた、と言っても、

営利・民間企業なら、「おめでとう!」でしょう。

これが「不正」となるのは、

漢検が公益・非営利の事業だからに他なりません。

営利・民間企業なら、その事業・商品を

特定の顧客に評価され、その対価を得ますが

公益・非営利は、

特定の誰か、に認められるのではなく、

「特定の誰かではない、みんな」

に認められ、対価を得ます。

その対価は、行政等からの補助金・助成金や

減税という形でなされますが、

これを受けるために、それなりの条件があり、

ボロ儲けはできない仕組みです。

もちろん、

もらった対価の使途も、決められています。

文化や教育と言う「みんな」のために

意義を認められてた漢検は、

これに違反した訳です。

私の勤める保育の世界も、公益・非営利です。

同じように、法により制約が課されますが、

これにより、適正かつ安定した保育がなされます。

が、今、福祉(だけではありませんが)には

自由契約・市場の原理の波が押し寄せています。

公益・非営利の枷も対価も減らしていこう、

利用したい人にサーヴィスを提供し、

その人たちから対価を得る仕組みにしよう、

という流れです。

自由契約でも、保育は、できます。

が、そこに、今のような安定性は、ないでしょう。

人を人として育てたり、支援したりする営みには

どうしても長い、落ち着いた姿勢が必要です。

これには、枷はあっても安定性が必要なのです

(いえ、枷もまた、必要と考えます)

私の世界を例に出しましたが、

これは他の公益・非営利の世界にも言えましょう。

今回の漢検の、

公益・非営利事業としてあるまじき不正が、

それを非難する世間の論調が、勢い余って、

本来、それはそれとして意義のある

公益・非営利の存在意義を

ヒステリックに低く見ないだろうか、

と危惧しています。

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横浜市電保存館

子もんすてら。は電車・バス好き。

家ではプラレールの線路を拡げ、

外出しては

見かける電車・バスに大はしゃぎ。

そして私は、横浜好き・歴史好き。

そんな我が家のお気に入りスポットが、

横浜市電保存館(トラムポート)

入場料100(乳幼児は無料)で、

駐車場完備、我が家から(頑張れば)

自転車でも行けるし、

危険なものもない (まさか電車が動く訳ないし) ので

多少は目を離しても大丈夫。

並んでいる電車からは、当時の人々の生活や

文明開化・大震災・戦争・高度経済成長と言った

日本・横浜の歴史が感じられます。

内装からは、

そこに乗り、出かけた人々の生活が感じられ、

外装からは、

それが溶け込んだ当時の街並みが、偲ばれます。

それでいながら、

多くの電車の塗装がクリーム色に水色のライン、

今の市営バスと同じで、

時の繋がりに嬉しくなったり。

Siden_3

多少は目を離しても大丈夫、と書きましたが、

電車が並んでいるところを、

ちいこいもんすてら。が

ターッ!と走っていってしまって、

とても追いつけません。

1度行けば、3回くらい、はぐれてしまいます。

出入口は1箇所、

危険はないのが、ここのいいところですが、

私が生まれるより遥か(本当か?)前に

引退した電車の中ではぐれると、

何だか歴史の波の中に呑まれてしまったような、

不思議な気持ちになります。

奥の方に行けば、

スケールの大きな鉄道模型のジオラマがあったり

(ドールハウスが好きな私は目が)

地下鉄の運転が体験できるシュミレータがあったり。

将来の夢は「小田急のロマンスカーの運転手さん」な

もんすてら。のウデはなかなかのもの(親バカ?)

電車の運転手さんの待遇を良く知りませんが、

小田急なら押しも押されぬ上場企業なので、

きっと保育園よりはいいのかな?

頑張って、私たちに

安心できる老後を与えてほしいもの。

そう考えると、これは英才教育?

幼いイチローをバッティングセンターに通わせた

彼の親と、似ているような似ていないような…。

夢を追う点では、親として誇るべきですが、

もう一方、一部上場企業というブランドに

目が眩んでいるだけの低俗さかもしれません。

とはいえ、もう何度も足を運んでいるので、

さすがにここの電車たちにも愛着があります。

本音を言うと、どうせ運転手さんになるなら、

この電車たちの運転手さんになってほしい。

人にも環境にも優しい路面電車、

もう一度、横浜を走ってくれないかな。

Siden2_2

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不協和音の存在感♪

楽器の練習をしていて、難しい箇所は、

そこだけを何度も部分練習します。

この時、間違えていないのに

「あれ、何か変…」って感じることがあります。

この原因の一つが、不協和音。

曲全体の中で聴くと、違和感ないのに、

そこだけ抜き出すと、気持ちが悪い、

音楽の、不思議なところです。

この違和感、敢えてこの不協和音を

協和音に変えてしまうと、すっきりします。

ドファソだったのを、ドミソに変えたり。

もちろん、こんなやり方はお勧めしません。

何のための部分練習かわかりませんし、

何より曲を壊します。

試しに、曲全体の不協和音を

協和音にして弾いてみました。すると、

起伏の全くない、何とも味気ない曲になりました。

主旋律は変わらないから、

誰が聴いても、その曲だってことは分かります。

起承転結のない、のっぺらぼうな曲。

そこだけ聴くと、不快ですらある不協和音も、

全体では、ちゃんとした存在感があるんですね。

人も同じかと思います。

日本人は、同調圧力が強いと言います。

流行しかり、「空気を読め」と言う圧力しかり。

でも、

そこだけ見たら「ちょっとウザい」存在でも、

大きな目で見たら、ちゃんと意味があったり、

「ウザい」って思う方が、よほど狭量だったり。

戦前戦中の偏狭な愛国主義も、根は同じでしょう。

国民全体がもう少し冷静だったら、

歴史はここまで悲惨ではなかったのではないか、

と私は考えています。

郷に入れば郷に従え、と言うように、

周りに合わせる謙虚さは大切です。

が、十人十色、とも言います。

自分と違う人を尊重できる謙虚さは、

もっと大切にしたいですね。

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幸せでいたいから

幸せになりたい、誰もが思う願いですね。

老若男女、人は外観も中身も、少しずつ違うけど、

これほど、全人類に確固たる共通項もないでしょう。

政治、経済、環境、教育、医療、福祉、

科学、文化、流行、おしゃれ、娯楽…。

私たちが関心をもつこれらも、それ自体が目的と言うより、

少しでも多くの人が、少しでも幸せになるための

有効な手段として、注目されているにすぎません。

及ばずながら、私が「スローライフ」を追求するのも、

その手段に他なりません。

それも、「今」だけの幸せではなく、

長い人生、トータルに得られる最大の幸せを目指して。

私が追及するスローライフ、

別に自然の中で農漁業を営む訳でもないし、

現在の都会で受ける便利さをそれなりに享受しています。

一見すると、対極にあるファストライフと

明確な違いがある訳ではありません。

ですが、重きを置く場所はあります。それは、

『ローコスト・ローリスク・ローリターン』ということ。

車の運転に例えると、アクセルは踏みこみません。

アクセルを踏み込むと、確かに早く着けます。

でも、ガソリンもたくさん使うし、

車の寿命も短くなります。

何となく運転していても疲れるし、

赤信号や周りの遅い車にはイライラするし、

一方で、周りの車に迷惑かけるし、

何より事故を起こす確率が激増します。

でも、ゆっくり走ることで、

環境にもいいし、肩もこらない。

浮いたガソリン代は、他に有意義に使えます。

確かに、多少時間はかかりますが、

数字で見ると、大したことない。

踏み込むと、ガソリン代は倍かかるのに、

短縮できる所要時間は、5%にもならなかったり。

「早く」ということだけに捕らわれると

ついついアクセルを踏みたくなりますが、

トータルで見て、どちらが「幸せ」でしょうか?

『ハイコスト・ハイリスク・ハイリターン』

な生き方が、必ずしも悪いとは思いません。

それを楽しめるなら、それもいい生き方でしょう。

でも、人には人の、ペースがあります。

例えば、走る速さに個人差はあっても、

鹿じゃないんだから、

時速50kmで走れる人なんて、いないんです。

人の、自分の、走れるペースを考えたら、

そんなに速いと、長い人生が続きません。

ゆっくり生きて、いつも笑っていたいですからね。

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育児休業の制度について

4月21日、

政府が育児休業法の改正案を閣議決定したそうです

あまり政治のことは詳しくありませんが、

一児の子を抱え働く身であり、

かつ、経理・人事を担当する者として、

関心を持たずにいられません。

なので、思いをここに書こうと思います。

現行制度では、

労使協定で専業主婦の妻を持つ

男性従業員を、育児休業の対象外とできますが、

これを廃止するそうです。

また、虚偽報告や「育休切り」をした企業に対する

企業名の公表や、罰則の強化なども盛り込まれます。

会社側には、締め付けが厳しくなりますが、

育児休業が、少なくとも今よりは取得しやすくなる、

期待してもいい、と感じています。

ただ、懸念が一つあります。

会社側の事情です。

従業員の休業取得は、会社にとっては痛手です。

法定されているにせよ、

労働者や子どもの権利を尊重するにせよ、

これは、事実として踏まえるべきでしょう。

育児休業中は、当然、賃金支払義務はありません。

が、それよりも、代替要員の確保と育成、

休業や給付申請にかかる事務手続きなど、

かかる経費や時間は、遥かに大きいはずです。

ましてや、このために誰かが

サービス残業や過重労働に陥っては、

本末転倒もいいところ。

この「痛手」は、会社の規模に反比例し、

小さければ小さいほど、大きくなるでしょう。

たとえ善意の事業主でも、

「快くとらせてあげたいけど、正直、辛いな~」

と言うのが、多くの方の本音でしょうし、

理解のない事業主なら、

迷わず嫌な顔をするかもしれません。

この時、明らかに形ある行為をすれば、

法は労働者を守ってくれるかもしれません。

ですが、上司や同僚を巻き込んでの

「空気」からは、守ってくれません。

そして、多くの働く人は、

法よりも、「空気」の中で仕事をしているのです。

それが、いいか悪いかはともかく。

育児休業はしたけど、

給付ももらって復職もしたけど、

復職後の職場が針の筵では意味ありません。

「痛手」が原因で、倒産でもしたら、

もっと意味ありません(今の不況下、

そうなりそうな会社は、多いと思います)

休業した人は、

労働基準監督署に復職するのではありません。

元の職場に、復職するのです。

であれば、元の職場に復職しやすいこと、

政府や行政には、ここまで考えてほしいのです。

労働行政は、会社を「悪者」にしがちですが、

労働者と会社は、運命共同体。

労働者だけを守っていても、

労働者の権利は実現されません。

確かに、今回の改正で、

ある程度とりやすい雰囲気にはなるかもしれません。

が、その実効性は完全ではないでしょう。

育児休業を取得させた会社に対し、

「痛手」までフォローするだけの、

何らかの給付なり、認定なりがあるべきと思います。

ムチだけではなく、アメも、と言いましょうか。

「あなたの育児休業が、会社にもプラスなんですよ」

って、上司が心から言える環境になってほしいですね。

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建つ園閉じる園

ぱいなぷる保育園の開園準備で忙しい2月頃、

他の区の幼稚園から連絡が入りました。

3月で閉園するので、おもちゃ等の資材を

ぱいなぷる保育園に譲ってくれるとのこと。

幼稚園も保育園と同様、よほどのことがないと、

赤字も大黒字もありません

それが、閉園するほど、とは…。

最初に、昨年新聞沙汰になった
株式会社が頭をよぎりました。
明らかに違法な会計処理をした挙句、

保育園を閉園し、多数の保護者・園児を

困窮に陥れた無責任さは、忘れようがありません。

ですが、幼稚園と保育園では違うし、

どうやら伝統ある幼稚園のようだし、

何より電話の向こうの先生の話し方が真摯だし、

どうも新聞沙汰になった会社とは全く違う印象です。

ともあれ、頂けるという話はありがたいもの、

お礼を言って電話を切りました。

 

そして約束の日、幼稚園に足を踏み入れた瞬間、

私は自分の印象が正しかったことを確信しました。

「この幼稚園は、誠実に幼児教育に取り組んできた」

私も保育園の職員ですから、それは分かります。

園庭、遊具、園舎、幼稚園の全てに、

子どもが過ごし、遊び、学んだ跡が刻まれています。

 

そこここにある、使い込まれた遊具。

教室に張られた、先生方の優しい顔の集合写真。

そして、一昨日使われた、卒園式・閉園式の装飾。

先生方の熱意、園児の日々、そして閉園の無念さ、

それらが、怒涛のように押し寄せてきます。

 

あいさつに伺った際、
園長先生からお話を聞きました。
やはり、やむを得ない事情があったとのこと、
行政に対しても、保護者に対しても、

とるべき手続きや理解を求める段取りを

随分前から続けていたようです。

そして、譲って下さる遊具資材には、

リサイクル業者のシールが貼られていました。

どうやら、一度は予約した業者の下取りを

全てキャンセルしたとのこと。
下取りで収益を得るよりも、
他園の園児に使ってもらえた方が嬉しい
と判断してくれたようです。
もらえた遊具資材以上に、
その気持ちが嬉しくて、切なくて、

複雑な気持ちで、
明日から取り壊す園舎を後にしました。

 

ぱいなぷる保育園では、

この日の遊具が、活躍しない日はありません。

素敵な幼稚園が閉園したのは本当に残念ですが、

遊具を通して、幼稚園の歴史と先生方の思いを、

引き継いだ気がします。

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川越

今、何年かぶりに、

NHKの朝の連続テレビ小説を見ています。

最後に見たのが「あすか」だったから、

かれこれ10年近く…。

久しぶりに見る気になった理由は、

この「つばさ」の舞台が川越だから。

今は横浜に住む私ですが、出身は東京の北部。

加えて、歴史の感じられる町が好き

(横浜が好きな理由も、そこです)

となると、川越は必然的に「よく行く街」でした。

お金がなく、時間と元気だけあった

中学高校生の頃は、自転車でも行ったりしたものです

(2時間くらいかかりました。今じゃ、無理です…)

小江戸、と呼ばれるように、

江戸のような庶民的な街並みが続き、

全体的に焦げ茶色の雰囲気。

街の中央には「時の鐘」と呼ばれる時計台があります。

そして、この近くにあるお店に、

私の大好きな芋ソフトがあったり

(すっごくコクがあって「ネチョーッ」

と延びるんです。トルコアイスみたいに)

更に奥に行くと、菓子屋横丁があり、

その後ろを縁取るように、新河岸川が流れます。

この新河岸川が、下流になると

私の好きな歌「花」の舞台となった隅田川となり、

同じく歴史ある街として愛される

浅草や両国を流れるのには、何か縁を感じます。

わらべ唄「とおりゃんせ」も、

この町の三芳野神社が発祥の地とか。

日本的な街、という点で鎌倉と対比されます。

しかし、訪れる観光客は、鎌倉の1/3とか。

鎌倉も、素敵な街です。

私も、家から近いので、

今では川越以上によく遊びに行きます。

しかし、江戸文化を体現する川越は、

武家文化の時代を体現する鎌倉より、

庶民的で面白い、と感じます。

東京を中心とすると、行きやすさでも、

川越の方が、若干優っていると思います。

訪れたことのない方には、

是非お勧めしたい街です。

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ブランコで筋肉痛!

子もんすてら。は野生児。

海・山・公園、

屋外の全てが遊びのフィールドです。

 

今日は近くの公園に行ってきました。

何の変哲もない公園ですが、

横に京浜急行の線路が通っていて、

遊びながら電車が見えるのが、

子どもたちは(もんすてら。も)大好きなようです。

とりわけ、もんすてら。が

大好きなのがブランコ。

1歳の頃から公園の定番でしたが、

いつの間にか、立ち乗りをマスターしていました。

親としては、あまり嬉しくないですが。

そして立ち乗りと合わせて、

今日チャレンジしたのが、二人乗り。

もちろん、相方は私。

座っているもんすてら。の前に私が立ちます。

漕ぐ速さは、一人で乗る(私が後ろから押す)のと、

同じくらいですが、もんすてら。は大喜び。

私も最初は、後ろから押すよりは楽かな、

なんて思っていました。

 

が、なかなか

止めることを許してくれないもんすてら。

3分ほど、漕いだでしょうか。

肩が…、激しく…、痛い…。

子どもの頃は、10分でも20分でも

平気で漕げたものでした。

それが…。

ひと漕ぎひと漕ぎが、

肩にキシキシと負担かかります。

 

身長が高くなって、鎖を掴む位置が

支点に近くなったせいでしょうか。

肩幅が広くなって、鎖を掴む間隔が

狭くなったせいでしょうか。

体重が重くなって、

全ての負担が増したせいでしょうか?

それとも…、単なる加齢のせい?

いやいやいや、それは認めたくなーい!

 

せめて時々、お風呂上りに

ストレッチくらいしようかな。

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人手と仕事

仕事で職安に行くことがありますが、

この時、求職者で大変な混雑に遭遇します。

以前書いたように、保育園には赤字も大黒字もなく

収支は安定しているので、

職場と家庭を往復する生活ではあまり実感しませんが

(その分、収入は低いのでいい事ばかりではありません)

経済不況と失業率の高さは

確かにこうした現実から垣間見えます。

それにしても、職安では

身分制社会かと思えてしまうほど、

事業者側と求職者側の扱いが違うのは

腹立たしささえ覚えます。

求職者部門が身動きも取りづらいほどの混雑なのに、

事業所部門は快適なほどに閑散としていたり、

事業所部門の庁舎が駅からすぐなのに、

求職者部門の庁舎は徒歩で行くには辛い距離だったり。

来庁者数が違うから、混雑と閑散の差は

ある程度仕方ないかもしれません。

でも、単なる人口密度以上に

「扱い」の違いを感じてしまいます。

それに、求職者部門の方が来庁者数が多いなら、

そちらを駅の近くに置くべきですよね。

私の友達にも、何人か、求職中の者がいます。

勉強を志し、たまたま仕事に就くタイミングが今だったり、

かねてから本採用を希望しながら、

非正規労働を余儀なくされ、

そのまま不況の煽りで失業したり。

働く意欲はある者ばかり。

今を乗り切るのは、事業者も大変なのでしょうが、

長い目で見たら、こんなにいい人を

雇わない手はないんじゃないか、

なんて、個人的には思います。

ただ、失業者が増えると、人手が足りない介護業界が、

その受け皿として話題に上ります。

私にとっては、「隣の業界」であり、

パートナーさるびあ。の業界なので、

決して他人事ではありません。

確かに、介護業界、

人手が足りないことで汲々としています。

が、ここで求められるのは「数」だけではないはずです。

ただ、失業しているから、ただ、人手が足りないから、で

一時しのぎ・穴埋め的に雇い、働くだけなら、

あまり賛成したくはありません。

それでも

「一時しのぎで始めたけど、それがきっかけで天職に」

という人が出る、そんなチャンスと

期待したいものですね。

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子どものころ

子もんすてら。と他の子が遊ぶのを見ていると、

我が子の身体能力の鈍さが目につきます。

本人は子どもらしく、めいっぱい躍動していても、

大人から見ると…、僅かにトロい。

親の欲目抜きに、言語や論理は得意なようですが、

運動や絵のようなセンスが必要なモノはからきし。

私の小学生時代を思い出しました。

勉強は、かなりできた方でした。

でも、体育や図工は、ダメでした。

水で泳ぐ以外の身体能力が、とにかくないので、

体育、特にリレー等のチーム競技では

肩身が狭い思いでした。

足が速い子、運動神経の優れた子に光があたり、

私は全くの陰、いえ邪魔者でした。

運動会なんて、苦痛以外の何物でもありません。

勉強では、授業では、立場が逆転します。

校庭でヒーローだった子に先生が質問をします。

その子は答えられず、他の子も沈黙。

そうして教室を廻った質問の鉾は、

たいてい私で止まります。

教室では、私は優等生でした。

「スポーツがダメでも、その分…」

という思いが、自分の支えでした。

でも、スポーツの子と勉強の子には

決定的な違いがあります。

かたや脚光と人望、かたやいけ好かない印象…。

足の速い子が私を罵っても、許されます。

逆は…、村八分でしょう。

かくして、私は卑屈でいや~な子になりました

もんすてら。を見ていると、

性格も能力も、私に酷似しているのを感じます。

それは、親としては何とも嬉しいのですが、

自分と同じ道を辿ると思うと、痛ましく感じます。

そこを切り抜け、安心してまっすぐ育ってほしい。

私たち親の、愛情が問われるところでしょうか。

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ただいま決算多忙中!

民間企業では、新年度がいつから始まるか、
会社によって違うのでしょうが、

社会福祉法人は、法律で4月と決まっています。
認可保育所もやはりそう。

新入園児やクラス替えで落ち着かない現場、

事務室は書類とデータが飛び交います。

つい先月、涙ながらに卒園式をした感動は、

思い出すゆとりもありません。

 

さて、私すとれちあ。も経理です。

普段は、走り回る保育現場や

園児のことを書いていますが、

ここ一番は、数字が私の受け持ち。

(とは言え、毎日子どもと散歩に出ているような…)

 

保育所は、行政から運営費が歳出されます。

だから、運営と収支は安定していて、

真面目にやっていれば、僅かな黒字になります。
赤字や大黒字が出たら、

非常事態か違法行為の疑いあり、です。

(これを「羨ましい」と思う方、

保育士の過重労働と低賃金、
関係者からの寄附額を見て、それでも
そう思うなら、保育園の運営をお勧めします)

つまり、保育所の経理は、

「儲けたか否か?」よりも、

「ちゃんとやっているか否か?」

を表すもの、と言えましょう。

 

とは言え、こんなのは

毎年保育を続けている園の話。

私の勤めるぱいなぷる保育園は、

この春、開園したばかり。

今年の決算は、去年の準備がどうだったか?

を表わすだけです。

通常なら、作り上げた決算書類から、

去年の保育が思い出されるのですが、

今の決算書には、保育の記録がありません。
工事や申請手続きが見えるだけ。
 
でも、愛らしい園舎や保育室の下に

頑強な基礎があるように、

日々の保育の下地には、色気のない下積みがある。
それもまた、面白い。

そんな思いで、今、決算に取り組んでいます。

 

とは言え、週明けとともに頭に浮かぶのは

やはり保育園の主役、子どもの顔です。

事務も現場も、やりがいたっぷり。

職場としての保育園の魅力です。

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プトレマイオスを笑うな

天動説、

宇宙の中心に地球があって、

星が動いて見えるのは、天が動くから。

今、この説を本気で支持する人は

多くない(皆無?)と思います。

この説は、科学的にも極めて劣勢ですが、

それ以上に、「地球を中心と見る点で、

自己中心的」な態度の象徴と見られています。

とても、不名誉な扱われ方ですよね。

この天動説の中心人物が

2世紀、古代エジプトのプトレマイオス。

地動説を唱えたコペルニクスに比べると、

知名度は高くありません。

天動説をひっくり返したことにかけて、

「コペルニクス的転回」等と言われるあたり

『ひっくり返され役』を余儀なくされています。

ですが、そう見下したものでもありません。

むしろ、天動説も相当進歩的な見方だった、と言えます。


何しろ、それまでは

「天はこの世の天井。星はそのランプ(可動式)

くらいの天体観だったのですから。

地動説の功績はあまりに大きいでしょう。

プトレマイオス後、約1500年もの間、

天動説は支持されますが、これはその証と言えましょう。

ただ、その古さが

『旧態依然→格好のひっくり返され役』

となったのでしょうね。

旧態依然はプトレマイオスではなく、

彼の説にしがみついた当時の教会や権力者ですが…。

「コペルニクス的転回」という言葉を用いたのは

偉大な哲学者、I=カントですが、

同じく哲学史上、絶大な尊敬を受ける

アリストテレスだって、天動説でした。

「正しいもの」は時代によって変わっていきます。

天動説は地動説に、その地位を譲りました。

が、地動説だって、今の私たちの見方だって、

いつかはひっくり返されるかもしれない。

大事なのは、正しいか間違っているか、ではなく、

「今、自分の『正しい』は本当に正しいの?」

って問い続けることではないでしょうか?

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保育園物語~初の登園送り

慣らし保育最後の先日、

子もんすてら。のここなつ保育園に

朝の送りで行ってきました。

いつもはパートナーさるびあ。が

行ってくれるんだけど、

私も朝の段取り、わかっておいた方がいいし。

「慣らし保育は、子のため親のため職員のため」

ウチの主任保育士、

ぽとす。先生の言葉を実感します。

とは言え、私も保育園で働く身、

現場も事務も、戦場のような職場には、

一刻も早く着きたいものです。

で、苦肉の策

バイクで登園⇒そのまま出勤

もちろん、乗せて走るような無謀はしません。

もんすてら。を座席に乗せ、

ハンドルにつかまらせて、

私がバイクを押して歩きます。

パッカポッコ…、

もんすてら。は楽しそう。

私は…、まぁ 痩せるならいっかf--;

保育園に着きました。

先生方や他の園児、ママに

「おはようございます」

半ば、仕事モードで朝のあいさつ。

保育室に入り、タオルや歯ブラシ、

着替えなどを所定の場所に置きます。

「保育園って何でこんなにやることあるの?」

自分の職場は棚に上げている自分がいました。

そして、さっさと用事を済ませ、

もんすてら。を保育室に置いて去る時、

ちょっと別れを惜しまれるかなぁ…

早く出勤しなきゃ、だから困るなぁ…、

なんて思っていたら、

既に保育士の紙芝居ワールドの人でした(o_ _)o

ちょっとさみしいけどね、

それだけここなつ保育園の先生が

ちゃんと向き合ってくれてるってこと。

さぁて、私もぱいなぷる保育園に行かなきゃ^o^

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スローライフな音楽Ⅳ~桜の花を愛でるなら

春のうららの隅田川、のぼりくだりの船人が

櫂のしづくも花と散る 眺めを何にたとふべき

見ずやあけぼの露浴びて われにもの言ふ桜木を

見ずや夕ぐれ手をのべて われさしまねく青柳を

錦おりなす長堤にくるればのぼるおぼろ月

げに一刻も千金のながめを何にたとふべき

桜の花、満開ですね。

人も樹も風も、みなこの季節を歓んでいるようです。

何と言っても、私たち日本人が最も愛する花、

極楽鳥花からHNをいただいた私には

ちょっと妬けてしまいますが…、

ともあれ、みんなで花を愛でるのは、

とても素敵なことですよね。

音楽の世界もまた同じ。

この花を愛でる歌は、まさに花盛り。

その中でも、ひときわ長く深く愛されるのが、

古謡「さくらさくら」と、

武島羽衣作詞、瀧廉太郎作曲のこの歌、

「花」ではないでしょうか。

日本人に深く愛されるこの歌、

古今東西ありとあらゆる音楽の中で、

私すとれちあ。が最も好きな歌のひとつでもあります

(って、そんなにいろいろ知ってる訳じゃないけど)

短調の旋律に、「さくらさくら」と繰り返す歌詞、

古謡が満開から散りゆく儚さを詠うなら、

こちらは、めっぽう明るく春爛漫、

歌詞には一度しか「桜」と出ないのに、

今や満開咲き誇る桜を謳います。

桃色に染まった長堤と川面、

眺める人々、たゆたう船、

明るく楽しく、のどかで清々しい。

明治時代、春の隅田川が偲ばれます。

桜が愛されるのは、その美しさに加えて、

すぐに散ってしまうことから、

潔さや侘び寂びを感じるから、と言われます。

短いからこそ、愛される。

短いからこそ、楽しめる。

日本の春を切り抜いた額縁のようなこの歌。

描かれるのは、

美しい花の季節か、花を愛する人の心か。

不思議なのは、この歌、

明るいのに、楽しいのに、

何故かお花見には似合いません。

アップテンポなのに、

ドライブには向きません。

桜並木の下を自転車で通り過ぎたり、

そんな時に、口ずさみたいですね。

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↑「花」を書いて

↑この歌について記事に書くのは、2回目です。

1回目に書いてから、ちょうど1か月。

あの時は、この歌の舞台が歩んだ、

この歌とは裏腹な悲しい歴史について書きました。

が、この歌は本来そんな悲しい歌ではありません。

明るく楽しく、花と季節を楽しめたら、それでいい、

そんな気持ちで聴きたい歌いたい歌です。

来年も再来年も、

この歌この花この季節を楽しめますように!

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北朝鮮に対する日本

発射しましたね、テポドン

(と呼んでいいのか、微妙だけど)

平和に対する挑戦には、

断固たる態度をとりたいものです。

が、ニュースを見ていて、何か違和感を感じます。

うまく言えないけど、

何か、ヒステリックになってません?

政治家も、マスコミも、国民も。

そりゃ、怖いものは怖いし、危険は危険。

でも、それに騒いで浮き足だつと、

もっと怖いことになるような、気がします。

対策で軍備(自衛力)を高めたら、

緊張は高まるばかりでしょうし、

こうした騒ぎの陰で、政治家さんたちは

民意が納得しないような法案、

こっそり通しちゃったり…。

こんなこと言ってると、

「非国民だ~!」ってなっちゃうんでしょうかね?

それにしても、あの国、

こんなことにお金を使ってる下で、

飢えと寒さに耐えている人々がいると思うと、

やりきれません。

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児童図書もいい勉強

今年度初の投稿です。

あけましておめでとうございます、

とごあいさつしましょうか

(それには、3日はやや遅い?)

子もんすてら。と、よく図書館に行きます。

自分も本好きだし、

もんすてら。にも好きになってほしいし。

で、もんすてら。と行くのは

もちろん、児童図書コーナー。

それまでは、あまり行きませんでしたが

(そりゃそうか)、行くようになってから、

ひとつ、発見したことがあります。

それは「児童図書がいい勉強になる」ということ。

小学校高学年から中学生レベル向けの、

いろんな解説の本がありますよね。

自然について、社会について、その他…。

これら、もちろん大人向けの本も、あります。

が、大人の私たちがそれを知ろうと本を開くと、

ちょっと難しい…。

忙しい中で、それを読むための時間を割くのは、

やっぱり難しい…。

でも、児童向けの本だと、

さすがに説明も丁寧だし、絵が入っていたりして、

イメージつかみやすいし、スルスル読めます。

レベルが低いのでは?なんて思いません。

それくらいの本に書いてあること、

私たち大人は、実はそんなに知りません。

逆を言うと、これらの本の内容を熟知したら、

相当な物知りになれるはず、

それくらいの、「へ~!」が満載です。

子ども向けの知識とはいえ、

仕事にも私生活にも、大いに役立つはず。

問題は、電車の中や人前で読むのは

ちょっと抵抗がある、くらいでしょうか。

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