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2009年5月

青い目の人形と横浜(写真)

Photo_2

あまりきれいな画像ではありませんが、

米軍機から撮影した横浜大空襲の様子です。

上の方、スッと伸びた灰色の直線が大桟橋、

その右の横長の直線が山下公園。

下の方、楕円に見えるのが、

私がよく家族で訪れる、根岸森林公園です。

Cimg0073_2

※青い目の人形、ポーリンの銅像です。

本物は、西区の小学校に保存されています。

愛らしい目で、平和を見据えているように思います。

※私の画像ではないので、リンクだけですが、

山手から横浜港方面を望んだ写真です。

以前、私が記事にもした県庁舎が空襲に耐え、建っています。

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青い目の人形と横浜

青い眼をしたお人形は
アメリカ生まれのセルロイド

日本の港へついたとき
いっぱいなみだをうかべてた
わたしは言葉がわからない
迷子になったらなんとしょう

やさしい日本の嬢(じょう)ちゃんよ
なかよくあそんでやっとくれ
なかよくあそんでやっとくれ

開港150周年に沸く横浜、

山下公園から元町までは、

ポーリン橋を渡っていくことができます。

頭上にマリンタワー、夜は眼下にガス灯、

眼前には山下公園と氷川丸、

港もフランス山も臨めるこの橋は、

間違いなく、横浜散策のメインコースでしょう。

この橋のたもと、横浜人形の家の前に、

橋の名の由来、青い目の人形「ポーリン」の

銅像があります。

人形の銅像なんて、如何にも奇妙ですが、

ふくよかな頬、愛らしい顔、

この人形の愛され、また歩んだ時を思えば、

それも不思議はありません。

世界から次第に硝煙立ち上る昭和2年、

その世界への玄関口、

震災から立ち直った横浜港に接岸した天洋丸。

アメリカの子どもたちからの友好のしるし、

13,000体の青い目の人形も

この時、日本の地を踏みました。

この中の1体、ポーリンは、

横浜港にほど近い、国民学校で

愛されることになりました。

人形たちが日本全国の

小学校・幼稚園・保育園に配られた14年後、

それはちょうど、

ポーリンが国民学校に来た年に入学した子が、

成人した年に当たりますが、

日本は人形たちの祖国に、

無謀かつ卑劣な攻撃を仕掛け、戦争が始まります。

「アメリカは敵だ」と、軍の司令により

青い目の人形は処分されていきます。

あるものは焼かれ、あるものは首を刎ねられ。

その行為を、軍人や教員ではなく、

子どもたちに強いたところもあるそうです。

ポーリンを含め、僅かな人形だけが、

子ども・教員・保母らの心により

隠され、無事でいることができました。

昭和20年、米軍は日本本土への空襲を強め、

全国の都市が焦土と廃墟に塗り変わっていきます。

東京大空襲の悲惨さは、ご存じと思います。

しかしこの後、東京を中心とする日本本土には、

それまでに比べると相対的な平穏が訪れます。

それは、沖縄での地上戦が激化し、

本土への攻撃が手薄になったから。

しかし、沖縄が陥落寸前となった5月後半、

再び本土への攻撃は激しさを増します。

そして64年前の今日、529日朝、

18年前に人形たちが船から足を降ろした横浜に、

東京大空襲の2倍近い600機以上の

B29と戦闘機が空襲を開始します。

横浜大空襲が東京大空襲と何より違うのは、

時間帯が昼間であること。

寝込みではないので、東京の時よりも

逃げ遅れは少なかったかもしれません。

実際、東京大空襲以上の爆弾が投下されても、

死者数は東京には及びません。

しかし、仕事や学校で、

家族が離れている時間帯でのこと、

行方不明者は東京大空襲を超えるという

一説もあるそうです。

そして大量の爆弾から逃げ惑う人々を、

戦闘機の機銃正射が襲います。

ポーリンのいる国民学校の付近は

特に標的にされました。

付近では、高架駅の下に人々が避難したところ

  駅の真上に焼夷弾が落ち、

灼熱の滝に500人が焼かれたそうです。

昼間空襲の犠牲者は、日本人だけではありません。

闇に隠れることのないB29、

70機あまりが、高射砲で撃墜されました。

撃墜された飛行機は、それ自体が凶器となって

人々の頭の上に落ちてきます。

遠く離れた敵国に落ちた米兵たちは

最期の瞬間に何を思ったでしょう。

「トルーマン大統領万歳!」と

叫ばなかったことは、確かだと思います。

日米の子の、人形に託した思いにも関わらず、

米国の軍人は、

その人形の上に爆弾を落としました。

日本人の大人は、その原因を作りました。

この悲惨極まる空襲の被災者数は31万人、

当時の横浜市民の1/3にあたるそうです。

しかし、この歴史的事実は、

東京大空襲の陰に隠れ、あまり知られていません。

過去に、明治、大正につくられた歌と、

その歌とともに人が歩んだ戦争の歴史について

記事にしました。

「ゆりかごのうた」では、

私は、二度と悲劇が起きないことを祈る

と書きました。

「花」では、現在の平和に感謝する、と。

「青い目の人形」は、私たちに、

過去の史実を知ることを

求めているように思えてなりません。

そうそう、ポーリンの本物は、今も無事、

西区の小学校でちゃんと保存されています。

写真も、ご覧になって下さい。

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青の時間

一日の中で、どの時間帯が好きですか?

私は、夕方、たそがれ時と言うのでしょうか。

一日を照らした太陽が、

オレンジ色の夕焼けを見せてくれたあと、

地平に沈んでも、名残りの光が漂う頃、

世界が青一色に染まる頃が好きです

(私はこの時間を「青の時間」と呼びます)。

秋や冬だと、一瞬で終わってしまいますが、

ちょうど夕飯時にさしかかるこの季節、

晴れた日なら10分くらいは

私たちの目に青い半透明の幕が下ります。

陸の上、風の中に身を置いているのに、

水深20mの世界を泳いでいるよう。

漂うのは、青い空気か、それとも自分か。

古くはこの時間、昼と夜の端境期は

あやかし、もののけが現れる時間と言われました。

「たそがれ」と言う言葉も

人の顔が見えない「誰そ彼」から来ています。

そして現代、この時間帯は、

最も交通事故の多い時間帯でもあり、

私も、何度か冷や汗をかいた記憶があります。

姿を見せないあやかしは、

人に車に、道に辻に、牙を剥き潜むのでしょうか。

あやかしが実際にいるかどうか、

私にはわかりません。

が、科学的に考えると、

降りしきる暗さに目が慣れていないことと、

青一色に染まった車窓は、

遠近感が存外とりづらいことがあると思います。

全てが平面的に見える中で、

ハッとしたら歩行者がすぐ近く、

ブレーキやハンドル操作で回避したけど、

他の車も近くにいて、事故になる。

みんなが距離を掴めないから

迂闊はあやかしの餌食となります。

何でも合理性で割り切る現代人と違い、

昔の人は神仏や妖怪を持ち出しました。

「解明できなかった」と言えばそれまでですが、

今の私たちよりずっと、

きれいな空の下、ゆったり過ごしていた、

そんな気もします。

あやかしも、恐ろしいものばかりではなく、

トトロのような愛らしいものもいますよね。

私を含め、多くの現代人は、

車がないと生活が難しいと思います。

この危険な時間帯に

ハンドルを握らなければならないことも。

でも、

ちょっと早く仕事を終わらせたり、

たまには夕飯を早めにしたりして、

この美しい時間帯を歩いてみませんか?

もしかしたら、そんな「愛らしいあやかし」に

出会えるかもしれませんよ。

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5月の休暇Ⅱ~保育参観

先日の5月の休暇、

午前中はヨットに乗って潮風を浴びました。

さて、午後は子もんすてら。の

ここなつ保育園での保育参観です。

クルーズの後、ちょっと身体はきついけど、

それは遊んだからで、1%も言い訳にできません。

濡れた衣類を洗濯機に放り込み、

朝焼いたパンを齧ったら、すぐ出発しました

(あ、もちろん身だしなみは整えましたよ。一応…)

ここなつ保育園では、保育参観と言っても、

授業参観のように決まった日決まった時間で

やる訳ではなく、一定の期間は「ご自由にどうぞ」

なので、他の保護者はほとんどいません。

ありのままの保育を見れるのは、嬉しいですね。

午前中に自分の時間を過ごしたワタクシ、

ちょっと後ろめたい気持ちもあり、

一目散に保育室に入りました

(これが、失敗の原因でした)

保育室では、これからおやつの時間。

手を洗った子が、テーブルについています。

「もんすてら。ちゃんのテーブルにどうぞ」

担任のべごにあ先生が促してくれました。

―いいのかなぁ、近くにいたら参観にならないぞ―

と思いつつも、逆らう訳にもいかず、着席。

…となると、来ました!

同じテーブルの子(だけではなく、全テーブルから)

ワンワンワンワン話しかけの雨あられ…。

「おうちはどこ?」「おしごとはなに?」

「くるまはなにいろ?」「おひるのやさいたべた」

あぁぁぁ…、参観になりません。

子どもは、NewComer大好きですからね。

私だって、話しかけられたら

一応はちゃんと答えるし(やっぱり嬉しいし)

仕方ない。

ここで、(私はいー加減な人間なので)

目的をいとも簡単に変更しました。

×ありのままを見学

○もんすてら。の友達と関係性をつくる

と言うことで、

自分の中の仕事スイッチON

こうすると、景色も違って見えるから不思議です。

こちらからも、楽しい雰囲気で話しかけ、

食後は「じゃあ、みんなでくちゅくちゅぺ、しよ」と

園児を促します(もちろん、担任に流れを確認しつつ)

おやつの後は、自由保育。

子どもたちが「よんで~」と、

絵本を片手に群がってきます。

こういう場合、下読みしてない本は読めません。

と言う訳で、選んだのは

「3びきのやぎのがらがらどん

トロルのしゃがれ声をつくるのは、

結構きついんですけどね(私ってヒヨっこ…)

ともあれ、大ヤギがトロルを倒した時、

子どもたちから喝采をもらえました。

楽しんでもらえた…、かな?

べごにあ先生には、

「せんせーが1人増えたみたいね」と

言ってもらえました。ちょっと嬉しい。

帰り、園の門を出ると

もんすてら。がベッタリあまえんぼさん。

そう言えば、ほとんど意識しなかったけど、

保育室でも「静かに私にべったり」でした。

いつもなら、「少し落ち着きなさいよ!」なのに。

そっかぁ、さみしかったんだよね…。

大勢を見るのにいっぱいいっぱいで、

ひとり、しかも自分を一番求めてる

もんすてら。の気持ちに鈍感でした。

親として、保育に携わる者として、反省

帰りはちょっと回り道。

まだ日の高い路地を、

二人で手をつないで帰りました。

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5月の休暇Ⅰ

先日、G.Wに仕事した分の振替として

仕事も育児も忘れ、

リフレッシュ休暇をいただきました。

午後は子もんすてら。のここなつ保育園で

保育参観があるので、自由な時間は午前のみ。

最高気温は28度。

西日本に高気圧が張り出し、

安定した北西の風が吹きそう。

気温が高い割には爽やかな一日。

潮巡りは若潮。

海原はうねりも少なく、凪ぎなはず。

クルーズ日和です。

と言う訳で、ちょっと早起きをして、

(午前中限定で)ヨットに乗ってきました。

そうそう、ご紹介をしていませんでした。

私の愛艇、りりをからーに丸です。

Photo

「『りり』を『からー』にする」とか、

そんな意味ではありませんよ。

ハワイの最後の女王からお名前をいただきました。

ハワイ版ラストエンペラーですね。

有名なカ・メハメハ大王の子孫です。

アメリカ政治史上の人物名を船につけるとは

「原子力空母ジョージワシントンと同じ」と

友人に言われたことがあります。

偉大な人と言う意味では共通ですが、

一緒にされたら、ちょっと不愉快です

因みに、船の名と言えば、私と同じ名、

「すとれちあ丸」って船もあったんですよ。

東京から八丈島まで連絡していましたが、

つい数年前、スクラップにされてしまいました

浜では、やはり北風が吹いていました。

南向きの砂浜、陸から吹くオフショアの風は

出船にとっては追い風。

実は私、追い風での出艇が苦手なのです。

何もせずとも走ってくれるのは楽ですが、

舵が効きにくい…。

ちょっと冷や汗での離岸となりました。

ともあれ、海岸を離れたら、

後ろから吹く風に押され、

りりをからーに丸は一路沖を目指します。

今日のコースは…、決めてませんでした。

まずは、北西1.5km沖にある岩礁に向かうことに。

右斜め前から風を受け、45度の角度で

風に逆らって走るクローズホールド。

風下に倒れそうな艇体を、

上半身を外に投げ出すハイクアウトで

バランスをとります。

向かい風なので、体力は使いますが、

艇は最も安定してくれます。

そして岩礁を時計回りに廻って、

今度は南にある静かな入り江を目指します。

さっきとは逆の方向、

左斜め45度から風を受けるクォーターリー。

こんなオフショアの風の吹く日は、

沖からのうねりと、陸からの白波に挟まれ、

艇はサンドウィッチ状態になったりしながら

(私はこれを、勝手にアッチョンブリケと呼びます)

艇はものすごい速さで南へ、

あっと言う間に母港の湾内に入りました。

さて接岸準備。

先ほどまでは追い風でしたが、

湾内は再び向かい風。

この湾は2つの谷の出口にあたるので、

陸からの風は2方向から吹きつけます。

それにうまく逆らって、接岸完了。

今日も無事故無違反でクルーズを終えました。

ほっとしたのも束の間、

優雅な時間はここまでです。

今度は急いで家に帰って、

保育参観に行かなきゃ。

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一人で食べる食事は不味い

私すとれちあ。の3度の食事、

戦場の朝は、子もんすてら。を追いたてつつ、

昼はぱいなぷる保育園の子の介助をしつつ、

疲れた夜も、子もんすてら。に食べさせつつ。

自分の口に運ぶんだか、

子の口に運ぶんだか、

落ちたものを拾うんだか、

立った子を座らせるんだか、

手が何本あっても足りません。

えぇい、1度もゆっくり

食事なんかできないじゃないか!

って思うことも。

でも、昼は時々、一人になります。

しょっちゅう子どもといるとは言え、

一応は経理が本業。

役所や銀行に出かけたりして、

園児と食事できない日も、あります

(なるべく昼食時間にはいるようにしてますが)

こんな時、「あーゆっくり食べられるぅ」

はずなんですが、美味しくない…。

ぱいなぷる保育園の給食、

悪くはないと思います(薄味なので、

慣れない方にはちょっと味気ないかも)

子どもと一緒に楽しく食べる、

これって最高の調味料なんですね。

とは言え、家ではいつも

食事中にイライラしちゃうんですよねぇ。

「ほら、立たない!」「こぼすでしょ!?

子のおかげで、美味しいごはんなのに…。

感謝と反省の毎日です。

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史上最悪の幼保一元化

幼稚園と保育園の違いって何?

保育園で働いていると、よく聞かれます。

単純に言えば、

幼稚園は学校、保育園は福祉施設。

管轄も、文部科学省と厚生労働省で違います。

とは言え、両者とも対象は()幼児。

学校は勉強、施設は生活するところ、

なんてイメージですが、

この頃の子にとって、

楽しく安心して生活することは、

即ち勉強でもあり、両者不可分。

学校教育法によると、幼稚園の目的は

「幼児を保育し、適当な環境を与えて

その心身の発達を助長すること」ですし、

保育所保育指針で定義される保育とは

「養護と教育が一体となって、

豊かな人間性を持った子どもを育成する」

こととされています。

ですから、幼稚園も保育をしますし、

保育園も、教育をします。

比重の違いはあれど、内容は相似しています。

このため、幼保は一元化すべし、

と言う、論点があります。

しかし、実はこれ、実践例があるのです。

アジア太平洋戦争の敗色濃い昭和19年。

男性は徴兵され、戦時体制下の生産増強は

女性の肩にかかってきました。

となると、勤労時間の増えた母親に代わり、

幼児を養護する必要性が高まります。

そこに来て、空襲の被害も始まり、

園舎の焼失も増えてきました。

となると、幼児教育どころではありません。

こんな状況下で、幼稚園は保育所

(戦時託児所)への切替または閉園を

余儀なくされました。

こうして、幼稚園は姿を消したのです。

時代が、国が、大人が、戦時体制のために

子どもから学ぶ機会を剥ぎとった、

そんな最悪な一元化でした。

幼保一元化は、古くて新しい論点です。

賛否両論あり、それぞれに説得力があります。

私見では、内容は相似している訳だし、

全く違う制度として分断するよりは

一元化する方が合理的なのでは、

と思ったりします。

が、上記のようなケースだったり、

大人の都合での一元化なら、

これは絶対に願い下げですね。

※現行制度でも、

認定こども園という新しい施設形態の導入など、

一元化はすすみつつある、気がします。

これについての、自分の思うところはありますが、

それはまたの機会に書きたいと思います。

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オルゴール♪

ロックをはじめ、現代の音楽も好きですが、

私はクラシック音楽が好きです。

その魅力は多々あり、とても私のような

素人が語り尽くせるものではありませんが、

一つ挙げるとすると、それは

「生演奏を前提としている」ことでしょう。

電気設備に恵まれた現代の音楽は、

マイクやスピーカー次第で大音量を出せますし、

これを前提に、曲はつくられます。

歌手が目の前で汗を流して歌っていても、

耳に入る音の大半は、電気が鳴らすスピーカー音。

これに対し、クラシックは電気を前提としません。

楽器から出た音の振動が、聴く人の耳に

達するまでにあるのは会場の空気だけ。

これが、きれい・楽しいだけでなく、

聴く人にいろんな影響を及ぼすとか。

子どもにこそ、聴かせたいものです。

とはいえこれは、コンサート会場の話。

クラシックは多少安め、とは言え、

普通の人は、時間的にも金銭的にも

滅多に行けるものではありません。

ましてや、子連れで気兼ねなく、

となると、探すのも大変。

子どもにこそ聴かせたいのに…。

こんな時、おススメしたいのが、オルゴール。

ゼンマイが面倒とか、同じ曲しか聴けないとか、

CDやiPodに比べるとデメリットが目立ちます。

雰囲気はオシャレだけど、

音楽の源としては、過去の遺物?

…ではないんです。すごいんです。

クラシックであれ、ロックであれ、

CD等は、それこそ過去の録音を

電気で再生しています。

その再生の精度はすごいけど、

あくまでも「過去の再生」。

オルゴールは、あの小さな箱の中に、

楽器が入っていて、その都度その瞬間、

生演奏してくれるのです。

規模は小さいけど、

自宅で毎日聴けるコンサートです。

子どもにも、たっぷり聴かせてあげられます。

ところで、オルゴールって何語かご存知ですか?

実は、日本語なんです

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Colors

ハイビスカスの花は赤

ブーゲンヴィリアはピンク

ストレチアはオレンジ色

青い空が似合うこれらの花の色

♪どれもみんなきれいだね、

なんて歌いたくなります

実は、これらの花にある色、

「花の色ではない」と言ったら驚きます?

でも、(私も詳しくはないけど)

「色はモノではなく、光にある」のです

その証拠に…、

真っ暗闇ではみんな黒、

有色灯の下ではその色に、

もンのすごい明るい光の下では

真っ白に、なるでしょう?

「そんなのヘリクツだよ。

色はあるけど、光()のせいでそう見えるんだ」

と言う人、多いと思います。

でも、私はその人こそ、ヘリクツだと思います。

と言うか、決めつけ?

黒く見えるモノの本質が

赤とかピンクだなんて、誰も言い切れません。

たとえ、さっき照明をつけた時、

その色に見えたとしても、

今もその色だって保証はありません。

次に明るくなった時、その色だとも限りません

(例えば、枯れちゃってるかもしれないし)

実際、モノにあるのは色ではなく、

その色を主に反射する物質。

赤を反射するハイビスカスに、

白い光を照らすと、赤く見えます。

緑色の光を当てると…、

茶色の、あまり美しくない花になります。

これ、子育てにだって言えること。

人ひとり一人、みんな違うつぼみを持っています。

が、その子の花は、

その子一人で咲く訳じゃありません。

子どもの花がきれいに咲くためには

充分な光、それも白くて色のない光が必要です。

私たち大人の、

温かく寛いまなざしこそ、そんな光でしょうね 

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埃だらけの愛艇

5月のSeaside 人気のないマリーナ

海原を走ることもなく、

潮風に晒されるヨット達

その中にある私の愛艇

波濤を越えた船体も、

クルーズを楽しんだキャビンも埃だらけ

陽ざしを浴びて輝くマストも

風をはらんだセールも砂だらけ

子を授かってからは、

「私のヨットは埃を載せるもの

海なんて子どもとの散歩コース」って

いい親を気取りつつ自嘲してみたり。

でも、そんなの自分じゃない

心のどこかで無理してた

もちろん子どもが一番大事だけど

このまま風化は後悔するから

キャビンも船体もきれいに磨くと

淀んでた自分の何かが落ちたみたい

マストを立てて帆に風を入れたら

自分の元気もふくらんだ気がする

仕事も育児も大好きだけど、

頑張った自分にこんな時間、あっていいよね

私の船には、誇りを載せたいから

夏に向かって出港しよう

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子どもはパワーをくれる?若さをくれる?

子もんすてら。が通っていたぷるめりあ保育園

ぱぱいや先生の後任のぱきら園長が言っていました。

「この年齢(園長になるくらいのオトシ)でも、

真夏でも真冬でも、外で走り回れるんです。

仕事以外の時は、ありえないけどね~。

子どもはパワーをくれるんですよ。

ただ、仕事が終わると脱け殻になるけど」と。

この気持ち、同業として、よくわかります。

ママさん方にも、身をもって体験された方は

多いことでしょう。

もちろん、子どもたちには敵わないけど、

普通ならとっくに老けこんで(落ち着いて?)

走ったり踊ったり大声出したり、なんて

かったるくてできない年齢なのに、

それが、できちゃうんです。

そして、ぱきら園長の言葉とおり、

仕事スイッチがオフになると、

一気に、しぼみます…。シュワーッと。

そしてそれは、

仲間の保育士も同じ。みんな元気。

その成果と言うか、頑張ったごほうびと言うか

保育士は、福祉職を含めた他の職種に比べ、

肌も顔も、若々しいんです。

若いエキスを全身で浴びてるから…?

でも、よくよく考えても、これって変。

空気中を若いエキスが飛んでくる?

私たちに若さを分けてくれた子は、

その分、老けるでしょうか?

そんなこと、ありえません。

でも、ぱきら園長の話は、

身をもって、同意できるんです。

そこには、何があるのでしょうか?

実際のところ、子どもがパワーをくれるのではなく、

彼らと接することがきっかけで、

私たちが押し込めていたパワーが、

引き出されるんでしょうね。

火事場の馬鹿力と同じで。

実際、子どもが周囲にいなくても、

スポーツをしたり、何かに取り組んでいる人は

やはり若々しいように思います。

511日の神奈川新聞のコラム欄に

内館牧子さんの作内のセリフが引かれていました。

「私たち、何かをしようとした時が一番若いのよ」

私たち、本当はもっと、パワーがあるはず。

それを出し惜しみしないで、溌剌といれば、

自ずから若さは保てる、のではないでしょうか。

以前ご紹介した、「アラカンパワーに脱帽」の

かわらなでしこ。さんも、若々しさが溢れてますし。

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閑話休題Ⅱ

最近、肩に力の入る記事が多かったので、

今回はらく~に、書きました。

ベートーフェン作曲「運命」、

ジャジャジャジャーン!を知らない人は

100人に1くらいでしょう。

でも、この部分以外を聴いてもわかる人も、

100人に1人くらいしかいないはず。

ドリームズカムトゥルー「雪のクリスマス」

♪「街灯が灯る頃に降る雪が少し粒の大きさ増」す

山下達郎「クリスマスイブ」

♪「雨は夜更けすぎに雪へと変わる」

ことは、気象上、ほとんどありえないらしい。

ピアノがうまくなりたくて、

「のだめカンタービレ」ののだめの真似したら

「『おかあさんしょいっしょ』のズズの真似?」

と言われた…。

ってゆーか、

のだめの真似したってピアノ上達しないって。

ってゆーか②、

ズズって既に古いし…。

今やほとんどテレビで見ないけど、

レイザーラモンHGの声、覚えてます?

すっごく声量のある、セクシーな声してます。

これ、漢字で書けるの、笑っちゃいません?

すっとんきょう(素頓狂)

すかんぴん(素寒貧)

コーヒーを飲んだ後のマグ、

とってもいい香りがするんですよ。

是非、洗う前に堪能して下さい。

甘~いシロップのような香りです

って、3日ぶりの記事がこれかい!?

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コンビニのお弁当に思う

3月から、西日本のセブンイレブンの店舗で

賞味期限前のお弁当の値引き販売を始め、

これについて、本部では

「全国に広まったらセブンはつぶれる」と

コメントされていたそうです。

しかし、売上は前年同月比で5%の減少ながら、

廃棄処分費用の削減で、利益は3割のアップ。

詳しい事は分かりませんが、蓋を開けてみたら、

エコにも損益にもプラスだったということでしょう。

※この件については、

本部の「加盟店いじめ」・独禁法違反の

ニュースも報じられていますが、

この記事では、エコの観点からだけ、述べます。

先日、「エコは自分を見つめて

と言う記事を書いたところ、

「大切なのは『もったいない』『ケチ』だ」

と貴重なコメントをいただきました。

私も、本当にそのとおりと思っています。

お弁当を廃棄しない、ということは

この精神にとって、一歩前進と思います。

ここで一つ、押さえたいことがあります。

本部の方のコメントは、結果はともかく、

商売としてはそれなりに的確でしょう。

が、それは裏を返せば、

大量に廃棄して、無駄な食材を使っても、

その廃棄処分にお金を使っても、

それでも収益が出ていたということ。

コンビニのお弁当の金額は、高が知れてます

(それでも私には安くないけど…)

その中に、材料費・加工費・運送費・販売費、

それに上の無駄なコストと、収益が入ってます。

素人としては、

「どんだけ材料費や加工費を削ってるの?」って

疑問を持たざるを得ません。

先日の記事で、私は

「エコ商品でエコは実現できない」と書きました。

エコ商品の意義を認めない訳ではありません。

ただ、「つくる・使う・捨てる」ありきでは

エコは実現できない、と考えるからです。

エコ商品の性能が優れていようとも、

それを取り巻く経済が

エコ商品を作りましょう買いましょう

エコ商品を売りましょう売らせましょう

という旧態依然では、本末転倒です。

私には、今のエコ商品ブームが、

「乱開発して作った道路を、

電気自動車で走ることが環境にいい」

と錯誤しているように見えます。

エコ商品であれ何であれ、

なるべくつくらない、買わない、に

シフトしていきたいものです。

もちろん、ただ単にそう移行したら、

きっと経済は成り立たないでしょう。

そこで、企業も政府も、私たち消費者も、

これを両立させる、新しい経済のスタイルを

模索していくべきのではないでしょうか。

例えば、エコ商品に付随する

減税やエコポイントを、

古い物の修理やリユースに回したり。

私たち消費者も、

一つひとつの物を大切にしたり、

鮮度や装飾に過度にこだわるのをやめたり、

できることは多々あると思います。

今回のセブンの「良い誤算」は

「もったいない」の成功例。

いいヒントになるのでは、と思います。

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私の仕事と憲法

いまさらですが、5月3日は憲法記念日。

自分の仕事と憲法の関係について、

日々、思っているところを書こうと思います。

実は私、大学での専門は憲法学でした

(こういう、実務にも日常生活にも

あまり役に立たないことが好き。

同じ法律でも、民法や借地借家法なら、

もう少し役にも立つのに…)

私たち、福祉の仕事をする人間にとって、

憲法25条に定められた生存権は、

山の頂のようなもの(遠すぎて、

あまり意識しないというのが本音ですが)

これを実現するのが、意義のひとつでしょう。

加えて、養護と教育を一体として

保育を行う認可保育所では、

憲法261項の「教育を受ける権利」と

親の就労を後押しする意味で271項の勤労権、

これを実現する役割も、あります。

これら憲法で定められた基本的人権の

最前線にいる、これは誇っていいと思います。

が、この最前線にいるのは、

保育士や介護士など、現場の職員。

私のような経理の人間(私はかなり、

現場にも立ってしまっていますが)は

本当の意味での最前線ではありません。

では、私の仕事の意義は何なのでしょう?

それは、やっぱり憲法からも、見出せます。

憲法第89条「公金の支出の制限」です。

「公金は、公の支配に属さないと

使っちゃいけませんよ」

というルールです(保育所の運営費や、

高齢者施設の介護保険収入は「公金」になります)

この「公の支配」に属するために、

福祉施設には、民間企業にはない

様々なルールが課せられますが、

このルールの最前線にいるのが、

福祉の経理なのです。

基本的人権に比べると、

消極的なイメージは拭えませんけど。

でも、国民全体から集まった税金を、

ちゃんと基本的人権の実現に使う、

そんな意義のある仕事だと、思っています。

憲法は、こんな私にも、

やりがいを与えてくれるんですね。

ゴールデンウィーク、終わりですね。

どんな連休でしたか?

私は、結構仕事に追われました。

福祉施設の決算は3月と法で決まっているので、

GWは毎年、多忙です。

これも、「公金の支出の制限」の一端として

甘受しなければなりませんね。

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スローライフな音楽Ⅴ~「トロイメライ」

こどもの日の今日、

初夏の風の中、思い切り遊びたいのだけど、

横浜はあいにくのお天気。

こんな日は、子どもと音楽でも愉しむ、

そんな過ごし方も、いいかもしれません。

それならば、こどもの日だし、でこの曲を選びました。

ロベルト・シューマン(1810-1856)作曲、

ピアノ小曲集『子供の情景・トロイメライ』

彼は、後に妻となるクララに

「私たちの将来のように平和で、穏やかで、幸福な作品」

と伝えています。

何とも、素敵なラブレターですね。

全体の印象は、曲名とおり、

子どもがいる情景を描いているので、

元気に走り回ったり、遠い世界のお話にときめいたり、

そんな印象です。

ピアノの鍵盤が子どもの足音や

笑い声に聴こえてきそう。

ですが、この『トロイメライ』は、

「夢」の名のとおり、静かにまどろむ、

もう一つの「子どもの顔」が描かれます。

さっきまであんなにはしゃいでいたのに、

今、ピアノから聴こえてくるのは

静かな寝息だったり、夢の世界だったり。

本当に、天使のようですね。

シューマンの若き友人、ブラームスが

優しくも美しい、有名な子守歌

「ゆりかごの歌」を作曲したのも、

何かつながりがあるのかも、

なんて勝手に想像してしまいました。

ただ、シューマン自身、先ほどの手紙に

「子どものためのものではなく、

子どもとの思い出を抱く大人のため」

のものと書いています。

本当は、子どもの日よりも、

母の日、父の日にこそ、

聴きたい、聴かせたい曲かもしれませんね。

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エコは自分を見つめて

今日はみどりの日。

近年、地球環境に対する意識が高まり、

この日の意義は大きくなりつつあります。

私も、海をはじめとする自然が好きだったり、

親として、子には豊かな自然を残したかったり、

自然・環境問題には、一応の関心は持っています。

素人ながら、この私から見て、

のエコロジー(エコ)を述べたいと思います。

今、環境に配慮した商品や、

政府が導入するエコポイント制度など、

政経ともに、エコには取り組んでいます。

が、その多くは、「エコな商品を買うこと」

でエコに貢献する図式になっています。

が、私はこれを眉唾だと考えます。

それは第一に、

「地球温暖化」の視点ばかりが偏重されていること。

数年前までは、温暖化と同列に問題視されていた

ゴミ問題、乱開発、酸性雨、オゾン層破壊、

大気・海洋・土壌の汚染は、

ほとんど忘れられています。

Co2排出量を抑えることだけが、

流行のように唱えられていないでしょうか?

第二に、

環境問題は、「開く・つくる・使う・捨てる」の

繰り返しにより起きた、と言っていいでしょう。

エコ商品が、(使用する上では)

環境に与える負荷が小さいのは、認めます。

この点で、エコ商品にも、意義はあります。

が、それはあくまで、「先代の機種に比べたら」。

ハイブリッド車も、省電力洗濯機も、

次に開発される新商品から見たら、

環境負荷が高く見えるでしょうし

自転車や公共交通機関、洗濯板から見たら、

Co2を垂れ流す源に過ぎません。

ましてや、その製造や、それに買い替えたために

旧式を廃棄することで生じる環境負荷を考えたら、

むしろ「環境破壊を促進」しかねません。

私は「エコ商品でエコは実現しない」と考えます。

大切なのは、

一人ひとりが、無駄な消費を抑えること。

そのために、「何が無駄か」を考えること。

メーカーや政府が「環境にいいですよ」と

推薦するものを片っ端から使うのではなく、

自分の生活に適した無駄の削り方があるはずです。

車を例にとると、

ハイブリッドだろうが何だろうが、

乗らないに越したことはありません。

必要ないなら、

乗らないなり、手放すなり、しましょう。

必要でも、今の車がさほど問題ないなら、

それに乗りましょう(しばらく乗って、

いよいよ怪しくなる頃には、

もっとエコな車があるかもしれません)

必要なのに持っていなかったり、

今の車が怪しかったら、

この時点で初めて、購入を検討しましょう。

このように、

一人ひとりのエコは、みんな違うはずなのです。

政府の音頭や企業の宣伝文句に踊らず、

地に足をつけて「自分のエコ」を見出したいですね。

みどりの日の今日、エコ商品など持たない私は、

塩害でボロボロになった自転車で、

子もんすてら。と近くの海にでも遊びに行こうかな。

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景色に、なる

今日から5月、初夏らしい世界にご招待しましょう。

今では年に2~3回くらいしか行けませんが、

ヨットに乗るのが、好きです。

ヨットと言っても、エンジンのない

「ディンギー」ですが。

今は、三浦で乗っていますが、

最初は逗子をベースに、

毎週のように乗っていました。

家から近いし、何よりヨットの盛んな地域です。

今日の目的地は、江ノ島。ウェットスーツを纏い、

ヨットの艤装をし、マリーナから出艇します。

最初の難関は、出艇後の波打ち際。

暗礁や、季節を先取りした海水浴客が

水面の下にいないとも限りませんが、

砂が混ざった不透明な海水が視界を妨げます。

それに、今では下火、とは言え、逗子はメッカ。

狭い湾に、ヨットやウィンドサーフィンがひしめき、

数十mごとに風上方向に舵を切る、

「タック」を余儀なくされます。

艇の大きさは大きめの車と同じくらいですが、

車と違い、ヨットの安全な艇間距離は50m以上、

ニアミスを繰り返す、ギリギリの過密状況です。

湾の出口が近付いてきました。

さすがに艇の数は減り、

ニアミスの恐れはなくなります。

が、緊張感は増すばかり。

湾の出口は風の向きや強さが突発的に変わる上、

小坪大崎付近は暗礁が多く、

転覆(-チン-と言います)や座礁の危険大。

周囲の海面を見て、右にある岬を通過すると…、

景色は一変。大きな海原が広がります。

右には南欧のような逗子マリーナ、

左には果てしない水平線、

そして目の前にあるのは、目的港江ノ島です。

この季節、日中の風は大抵海から陸への南風。

真西に向かう艇には、左舷からのウィンドアビーム、

ヨットが最も安定した帆走のできる状態です。

太陽に照らされた水面はキラキラ輝き、

波間から出たトビウオが浮遊します。

Cimg0423

賑わっている鎌倉由比ヶ浜を過ぎ、

稲村ケ崎を超えます。

右に見える道路は渋滞。

新田義貞は、天然の要衝を避けるため、

ここから太刀を投げ入れ、海上に道を開き、

鎌倉幕府を攻めたという伝説ですが、

鎌倉までの陸路が険しいのは、

今も昔も変わらないのかもしれません。

そして七里ガ浜沖に差しかかります。

江ノ電と国道134号が並行する、

最も湘南らしい景色です。

ただ、違うのは、それを眺めるアングル。

江ノ電や車の車窓として、

海を眺める景色は有名ですが、

今、こちらからは陸が見えます

と言うより、陸から海を眺める景色、

ここに自分が描かれている、

ちょっと、優越感に浸れるというものです。

江ノ島が近づいてきました。

今度は、こちらのヨットが増えてきます。

また、艇間距離が狭くなってきます。

が、湾ではないから余裕はあるし、

風もさほど癖はありません。

逗子に比べたら、変な緊張感はありません。

周りの艇にあいさつしつつ減速しつつ、

ハーバー内に進入します。

風を孕まない帆がバタバタと音を立てます。

ゆっくり桟橋に近づき、左舷から接岸。

帆を解放し、

ブーツをひっくり返したようなボラートに

バウロープを結びつけ、接岸完了。

見慣れない艇と顔に、江ノ島のハーバーの

オジサマ方が歓迎してくれます。

初対面でも、ベースが違っても、

ヨット乗りってだけで、仲間なんですよね。

今まで走ってきた海原、

小さな光が沖から陸へ南から北へ、

走っては消え、走っては消え、

穏やかな南風が吹き続けている証拠、

今度は右舷からのウィンドアビームです。

帰りも、順調な航海ができそう。

休憩しつつ島内を散歩したら、

また帆を立てて、逗子に向けて出艇です。

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