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2009年6月

精神論~エコで大事なものⅢ

エコには精神論が大事、のテーマで

3回に分けて書いています。今回がその最後。

1回目は「もったいない」という言葉を

大切にしなかった日本人としての反省、

日本語・日本文化を大切にしないエコは、

日本人としてはありえないのではないか、

との思いで書きました。

2回目は、その「もったいない」という言葉、

素晴らしいとは思うけどちょっとネガティヴ、

これだけでは楽しくないし、続かない。

で、「自然の摂理に感謝」という概念を提案しました。

私たちがエコを重要視するのも、

環境、つまり自然の摂理なくては生きられないからです。

そして3回目の今回は

「やっぱりスローライフ」というテーマにしました。

移動は、車に乗るより歩く、

タバコは吸わない、

食事は、動物性よりは植物性、

原材料も合成よりは天然のもの、

コンビニ弁当やインスタントより手作り。

健康にいいことと環境にいいことって

一致していることが多いと思いません?

これは、偶然ではありません。

前回書いたように、人間も自然の摂理の中で生きています。

どんなに科学が進んでも、人間も自然の生き物。

だから、自然の摂理に沿った生活や食べ物(洗剤や家も)

環境にも人間にも優しいのは、当たり前のこと。

だから、科学の粋を集めたエコ商品やエコカーが、

商品としてはどんなに素晴らしくても、

根本的にはエコは実現できない。

私たちが、自然の摂理に則って生きること、

最終的にはこれしかないと思います。

それに、上の例では環境=健康と書きましたが、

自然の摂理が与えてくれるのは、健康だけではありません。

天然の新鮮な食べ物は、美味しかったり、

山の中を歩くのはとても気持ちが良かったり、

私たちに楽しさや満足感も与えてくれます。

自然に背を向けて、合成食品ばかり食べたり、

テレビやゲームばかりの生活、

それも美味しかったり、楽しかったりはするけど、

長くそれを続けることは、できません。

飽きたり、身体を壊したりして、

長い人生を、それだけで豊かにするのは、難しいのです。

自然の中で、自然の摂理に則って生きるしかない、

自然の摂理は、健康も楽しさも与えてくれる。

だから、何よりこれらを大切にしたいですよね。

そんな生き方が、スローライフじゃないか、

って思いました。

ぐるっと回って、原点に戻ってきた、

幸せの青い鳥みたいですね。

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甘い香りのプール開き

気持ち良く晴れ渡った、

…とは言えない蒸し暑い曇天の今日、

わたしの勤めるぱいなぷる保育園では、

プール開きをしました。

朝から、(本当は経理の仕事も忙しいんだけど)

準備でバタバタ。

初めて使う(新設園ですから)器具を再点検して、

プールに水を張り、

(いくら注意しても子どもは走るもの)

周囲の邪魔なものを片づけ、

タオルや足ふきをいっぱい並べて、

フルーツを買ってきて、きれいに洗って…、

さぁ、プール開きです。

子どもたちも保育士も、

ワクワクと緊張が入り混じった雰囲気。

これから毎日のようにプール遊びはするけど、

今日はちょっとお楽しみがあるので、

子どもも保育士も、念入りに体を洗います。

そして、プールサイド。

みんながいい子だからか、

さっきまでの雲が晴れ、陽が差しました

そしてプールには、さっきのフルーツを

たぁくさん、浮かべてあります。

フルーツで色とりどり(写真なくて残念!)

あま~い香りのするプールです。

もちろん、泳ぎながら、召し上がれ~。

みんな、はしゃぎながら、

泳ぐわ水を飛ばすわ、そして食べます。

いつも食事やおやつをそんなに食べない子も、

今日は食べまくり~。

やっぱり、楽しいんでしょうね。

今夜、みんなよく寝そうだけど、お腹壊さないかな…?

消毒はちゃんとしてあるから、細菌は問題ないのでしょうが、

水の中、フルーツの食べ過ぎで。

子もんすてら。のここなつ保育園も今日がプール開き。

0歳の頃から海で泳ぎまくってるけど、

プールは生まれて初めて。

あっちも楽しんでいるかなぁ。

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平和のために

想像してみて下さい。

一人が銃を持ち、もう一人に突きつけています

一方は脅えおののき、一方は今にもトリガーを引きそう。

嫌ですね。何とか平和に終わってほしいものです。

この時、平和に終わるか否か、の決定権は

誰が持っていますか?

言わずと知れたこと、銃を持つ方ですね。

持たない方には、決定権はありません。

できるのは、せいぜい命ごいくらいでしょう。

このように、暴力を食い止められるのは、

(好むと好まざるとに関わらず)強者の側です。

今日6月23日は、沖縄戦終結の日。

県民の1/4が犠牲になったその悲惨さ、

多くの人が、これを語り継いでいます。

唯一の地上戦と言う表現は不適切だと思いますが

(硫黄島や樺太もあるので)、それでもなお、

沖縄戦には、他にはない特徴があると思います。

それは、

「日本軍の行為が、住民の犠牲を大きくした」

ということ。

これは、住民の被害のない硫黄島や、

ポツダム宣言受諾後の樺太と大きく違います。

では、沖縄戦で住民に銃を向けたり、

手榴弾を持たせた日本軍人は、

鬼だったのでしょうか。

いえ、恐らく本土に大切な人を残して来た、

善良で平凡な日本人ばかりだったと思います。

戦争は狂気、と言いますが、

私は、狂気が起こすのではないと思います。

ちょっとした判断の間違いが積み重なり、

いつの間にか狂気になっている、

それが戦争だと思います。

その時その時は、そうせざるをえない状況があった、

でも、どこかで踏みとどまればよかった、

それができなかったから、歴史は牙を剥いた。

沖縄戦で、守るべき住民を死に至らせた日本軍も、

きっと、命令なり、そうせざるを得ない

状況だったのだと思います。

冒頭の例と同じように、

戦争は、被害者が起こしたり、

止めたりする訳ではありません。

住民よりは軍人、兵士よりは上官、軍よりは政府が

戦争を始めたし、回避することもできた。

私たちは明るい未来のために、

過去から何を学ぶべきでしょう。

沖縄の住民の、悲惨な被害も学ぶべきでしょう。

が、被害者側の視点だけで、

戦争を回避することを学ぶのは、難しいのです。

それと同じくらい、学ぶべきは、

銃を突きつけた軍人や、そうさせた軍部の

そう判断するに至った経緯と葛藤ではないでしょうか。

そこから、

似た状況下になってもそうしない、踏みとどまる

ことを学ぶべきではないでしょうか。

戦争は、始めるのも、回避するのも、

終わらせるのも強者です。

弱者は、翻弄されるだけ。

日本軍、私たち日本人の父、祖父、その父でした。

なのに、彼らの悔悟や思いを知る機会は

沖縄県民のそれに比べて、あまりに少ない。

まだまだ、先輩たちには

していただきたいことがたくさんありそうです。

沖縄県民の目、悲劇から、平和の尊さは学べても、

平和を守るためのノウハウは、あまり学べません。

沖縄戦では、強者はアメリカ軍だけではなく、

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精神論~エコで大事なものⅡ

エコには精神論が大事、のテーマで

3回に分けて書いています。

今回は、2回目

(中だるみしないように、自分にピシッと!)

前回のキーワード、「もったいない」

この概念、エコには不可欠、と強く思います。

が、今回のテーマは

-もったいない、を越えて-

「もったいない」は素晴らしい概念だとは思いますが、

これだけをみんなの気持ちを、

長くリードするのは無理だと思います。

野球の投手なら、先発完投は厳しいタイプ?

それは、「もったいない」がネガティヴな概念だから。

歴史上、「もったいない」と同じく、

多くの日本人の物欲を長い期間抑えることに成功した、

有名な言葉があります。

それは、「欲しがりません。勝つまでは」

目的の是非はともかく、この言葉には、

成功しただけのインパクトがあります。

何故なら、これはポジティヴな言葉だから。

物欲を抑える効果は「欲しがりません」という

ネガティヴな主節によりますが、

続く「勝つまでは」というポジティヴな従属節が

この主節を支えます。

これに比べると、「もったいない」は

長く大勢のモチベーションを支えるのに、

ちょっと力不足を感じませんか?

私には、ここで提案したい言葉があります。

「生きとし生きるものみな自然の摂理によって結ばれる」

「もったいない」と同じく、仏教の言葉です。

ただ、「生きとし…」では長くて舌を噛むので、

勝手に、「自然の摂理に感謝」としちゃいましょう。

特定の宗教の是非を論じるのはここでは避けたいのですが、

仏教の、自然の中で生かされている、という視点は

エコにはとても有効だと思います。

思えば、私たちが生きていくために必要なのは、

食糧・水・空気・程よい温度湿度、くらいでしょうが、

これら全て、自然なくして得られません。

どんなに科学が発達しても、

工場だけで食糧や水・空気は作れませんよね。

特に、食糧は動物か植物の命を殺めずには得られません。

私たちは、自然の中で生かされているのです。

これは、いくら感謝をしても足りないくらい。

もちろん、「もったいない」だって、

その感謝の気持ち→大切にしなきゃ→もったいない

って繋がってる訳だし。

エコ、節約って言うと、

どうしても気持ちが小さく沈みがちだし、

そればかりでは楽しめない、持続できない。

結局は、動植物を始め、自然を好きになることが大事。

山でも海でも、近くの公園でもいい、自然に触れたり、

それが無理なら素敵な景色の写真を眺めたり、

美味しい物を食べた時に、その材料を想像したり。

そして楽しみながら、立ち返ってみます。

「これらに生かされてるんだなぁ。自然の摂理に感謝

これなら明るいし楽しいし、ポジティヴ。

これがエコの基本なんじゃないか、と思います。

※前回の趣旨にそぐわず、今回の記事には

固有名詞でもないのに横文字がたくさん使われています。

これらは、本当は日本語でも充分表現できるものばかり。

これは、横文字を使わずには何も訴えられない、

私という現代人の日本語語彙の足りなさ、

この事実を素直に認め、恥を承知で使用しました。

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これは子育てに使える!キックボード

10年ほど前、私が学生か社会人になりたての頃、

流行したのがキックボード。

乗っていて結構楽しいし、簡単だし、

折り畳んでしまえば手荷物になるし、

で、私も乗っていました

(ただ、近い将来、恥ずかしくて乗れなくなる、

と漠然と思ってました)

私の実家には今もあります。

中学生の姪ふぇにくすろべれにー。が

時々乗って遊んでいるようです。

先日、帰った時に、

子もんすてら。との散歩に使ってみました。

もんすてら。は三輪車、

私がキックボードで並走します。

一人じゃ恥ずかしくても、

子連れなら乗れるのが不思議ですね。

そしてもちろん、もんすてら。も興味を抱きます。

ハンドルを短くして(これができるのもいいですね)

乗せてみると、

意外と乗れるようで(上手くはないけど)

三輪車と同じくらいの速度

(もんすてら。は

ものすごい速さで三輪車を扱ぎます)

で走っちゃいます。

そうかと思うと、

もんすてら。を前に立たせて二人乗り。

このスピード感には、大喜びでした

(私の脚力、

国道を走るゴミ収集車を捕まえますからf^^;)

そのまま調子に乗って、

1kmくらい先のスーパーで買い物したり、

土手に登って鉄橋に電車を見に行ったり、

おもちゃとしても、移動手段としても、

子が乗るにも、親が乗るにも

二人で乗るにも、手で持ち歩くのも、全部OK。

使えます!

ただ、自転車と違い、

キックボードは転ぶ時に前に倒れます。

二人乗りする際は(って言うか本当はいけないのかも)

後ろに体重をかけるつもりで。

でないと、転んで子を下敷きにしちゃいます。

私は1度、転びました。

もんすてら。を降ろして一人で乗った時、

2人乗りの感覚が残っていたのか、

ベチャッ!と転んでしまいました。

もんすてら。が手を取って起こしてくれた上、

「いたいのいたいのとんでけ~」をしてくれたので

全然、痛くはありませんでした*^o^*

恥ずかしかったけど…

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エコで大事なもの~精神論

世間では、エコが大きな価値観を占めていますね。

自分たちの環境に、

関心を持つのは素晴らしいと思います。

私たちの環境をここまで追い込んだのは、

私たちが、富や利便を追求したから。

それを、科学の力が後押ししてくれたから。

ここで「これじゃまずいよね」って思って、

「では今まで培った科学でエコしましょう」

って言っても

どこかしらに矛盾を含んでいる気がします。

科学もエコに貢献できる、これには賛成します。

が、何より変わるべきは、私たちの姿勢でしょう。

どんな最先端の科学も、私たちの欲を孕んでいたら

今までと違う結果にはならないでしょう。

それに、何の技術も権力もない一般民間人である

私たちにできる第一歩、

それは「心構え」じゃないですか。

ということで、「エコで大事なものは精神論」。

これについて、3回に分けて書きたいと思います。

まずはその1回目。

エコに関する精神的な概念で、

今、もっとも注目されているのは

「もったいない」でしょう。

元々は仏教用語のこの言葉、

私たち日本人にはあまりに馴染み深く、

その反面で、と言うよりだから、というべきか

貧乏くさい、薄汚れたイメージがありました。

それが、4年前に

ケニアのワンガリ・マータイさんにより、

世界的な概念となり、

日本でも、歌の歌詞や環境白書にも載るなど、

一転して流行語ともなったのです。

環境保護の必要性は、以前から認められてましたが、

この「もったいない」という言葉、

私たち日本人には、

どちらかと言えば陳腐化した言葉でした。

それを、海外から気付かされるまで、

大切にしなかった。

エコ(エコロジー)とか

リサイクルとかハイブリッドとか、

横文字の概念ばかり追いかけ、

身近な概念を大切にしなかった。

「日本語が、日本文化がもったいない」

って、私は思います。

私自身、ついつい便利と感じ、

必要以上に横文字を用いる癖があり、

これは自戒を込めて言いたいところです。

おやおや・・・?

エコの話が、いつのまにか

言葉や文化の話にすり替わってしまいました。

いえ、これこそが我が意。

エコで大事なのは精神論ですから。

お後がよろしいようでm(__)m

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やっと花は咲いたけど

Cimg0227

6月も中旬、我が家のブーゲンヴィリアも、やっと花をつけました。

例年なら5月の連休、手入れの悪さも毎年のこと。

実は今、我が家のあるマンションが大規模修繕中、

という訳で、ヴェランダが閉鎖され、

植物は全て、室内に置いている状態。

普通なら、太陽をサンサンと浴びたい時期に室内から出られず、

本調子が出ないって感じ。

まぁ、それでも季節の訪れを感じさせてくれました。

ともあれ私の部屋

すっかり植物で埋め尽くされ、熱帯植物園。

もはや人間が住む空間ではなくなってしまいました

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再投稿~スローライフな音楽Ⅰ

もうすぐこのブログを始めて半年。

以前から考えていたのですが、週に1度くらいのペースで、

この半年間に書いた記事を再投稿したいと思います。

新しい記事を書く時間がなかなか( ̄○ ̄;)!

というのと、ネタ切れが怖い\(;゚∇゚)/

という実際問題もあるにはありますが、

初心忘るるべからず、というか、

過去の思いや表現とも対峙したい、と思いまして…。

ただ、「単なる使い回し」ではなく、「見つめ直し」なので、

再投稿の際には、今の思いを一言、添えたいと思ってます。

で、その第一回目。

今日のような、カラッと晴れた初夏の日に

一番合うんじゃないか、って思い、これを選びました。

H21.1.15投稿

ヴィヴァルディ マンドリン協奏曲ニ長調 RV93二楽章

バロック音楽というと、どんなイメージをお持ちですか?

優雅な宮廷や庭園のイメージ、厳かな礼拝堂のイメージ…。

いずれにせよ、

「等身大」「スローライフ」とはほど遠いような…。

ですが、この曲。

マンドリンが彩なす甘い旋律は、

  初夏の港、昼下がりの散歩。

背景に流れるヴァイオリンは、

  頬を撫でる潮風。

頭上からは、柔らかい日差しが降り注ぎ、

遠くには水面を滑る船の帆と水平線が輝いている、

そんな情景が目に浮かびます。

優美な「四季・春」で有名なヴィヴァルディですが、

このあたり、さすがにヴェネツィア人ですね。

ダイアン・レインのデビュー映画

  「リトル・ロマンス」に使われた曲です。

クラシック好きでない方には

  あまり聴き馴染みないかもしれませんが、

「横浜ベイサイドマリーナ」または

「東京ディズニーシー・メディテレーニアンハーバー」に

  似合う曲、と言えばだいたいビンゴかもしれません。

手軽なスローライフの演出に、

  晴れた日のリビングで、いかがでしょう?

Cimg0423_2

※時々投稿する「スローライフな音楽」の第一回目、

二回目以降は、「日本人なら大体知ってる」

曲を選んでいるのですが、この時は

「あまり知られていない」曲にしてしまいました。

でも、(私が大好きな曲なのですが)

本当にウットリするようないい曲です

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夏って季節

ここ最近の横浜は、

何だかジメジメ嫌な感じ。

例年に比べると早い気もするけど、

やはり梅雨の季節なのでしょうか。

この梅雨の次には、全てが最も輝く季節、

夏が控えています。

長いトンネルを抜けたかのように、

空も気持ちも、真っ青になる、

大好きな季節です。

この夏って季節の扱い、

私は何か、奇妙なものを感じます。

と言うのも、他の季節に比べ、

始まりと終わりがハッキリしている。

ここ数年、発表の方法が変わりましたが、

梅雨が明けたら「はい!夏

9月に入ったら「これから、秋

他の季節で、こんなに線で引いたように

めくられる季節はありません。

特に、夏の終わり。

始まりは、「梅雨明け」とは言え、

何月何日か、決まっていません。

でも、終わりは8月31日で決まり。

9月の前半って、実感は夏ですよね。

そりゃ、8月の「夏真っ盛り!」よりは

秋めいては、います。

でもそれって、

梅の花咲く1月を「春」って言うようなもの。

初春、って言葉のとおり、

伝統的な意味では「春」でも、

現代人の私たちの肌には「冬」。

春の足音は聞こえても、まだしばらくは「冬」。

巷で言われるのも「春が近い」即ち「冬」です。

それなのに夏は、

8月31日が大晦日のように言われます。

9月を、「秋が近い、夏」なんて言うの、

聞いた事ありません。

8月は渋谷か新宿のように込み合う海水浴場も

9月になるとぱったり…。

実は真夏よりも水温が高くて、

ずっと気持ち良く泳げるのに…。

季節の変わり目、

新しい季節を待ち望むのもいいのですが、

余韻を楽しむのも、これまた一興。

8月下旬じゃ、余韻なんて雰囲気ではないし。

あまり季節を先取りしないで、

9月頃に、夏の余韻に浸りたいなぁ、

なんて、6月前半の今思うのは

それこそ季節を先取りしすぎでしょうか。

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遠足デビュー×→自転車デビュー

6月6日、ここなつ保育園では遠足の予定でした。

子もんすてら。には、生まれて初めての遠足。

私も、本当は仕事だったのですが、

どこから遠足話を聞きつけたか、

上司から、出勤禁止のお触れが出て

(嬉しいですが、この世界の狭さ、

ちょっとコワいf- -;)

パートナーさるびあ。と3人、同行できることに。

前日は、仕事で遅くなりましたが、

気合いを入れて準備!

お弁当は大したモノ作れませんが、

その分、スイーツで勝負、と

タルトやらサブレやら、

お友達に配布もできるくらい、

つくりまくりました。

ところが…、最近の天気予報は当たりますね。

当日は、朝から雨。

ちょっとがっかりのもんすてら。

親2人は、ちょっと肩の力が抜けたような、

何となく気が楽になったような。

楽しみが消えたもんすてら。がかわいそう。

なので、前々から欲しがっていた

(私もそれで散歩行きたかった)

自転車を買ってあげることにしました。

普段、欲しい物とか全然買ってあげてないしね。

と言う訳で、中古の自転車。

私がマウンテンバイクに乗っているので、

やはりそんな雰囲気の、中古の自転車。

これに、補助輪と手押しハンドルをつけ、

さぁて、出発です。

とは言え、最初は近所。

付近の路地を、グルグル回るだけです。

それでももんすてら。嬉しそう。

1周目、ヨタヨタ…。

バランスが悪く後輪が浮き、空転ばかり。

2周目、何とか普通に走れるように。

横を歩いても、順調になりました。

3周目、スピードが増しました。

もはや私は、走らないとついていけません。

私に似て、

すっかり自転車好きになったもんすてら。

翌日日曜日も、暴走族のように走りまくり。

そのうち、区内全てを巡ってしまうのでは…。

交通事故には気をつけなきゃ、ですけどね。

Photo

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Be Ambitious!

人は二種類に分けられると思います。

楽(らく)と楽しさ、どちらを優先するか。

漢字は同じでも、この2つ、

意味は全く違います。

前者は、気力体力のローコスト(LC)、

後者は、ハイパフォーマンス(HP)

「幸せ=快楽=HP-LCの数値が大きい」

と私は定義しますが、

どちらも、快楽・幸せに貢献するという点では

共通していると言えましょう。

しかし、私たちの多くは、

前者、楽を優先しているように思えます。

ハイキングなんか、例として代表的ですが、

疲れることを厭わず、労を投資して初めて、

得られる楽しさはたくさんあるはず。

オフの時間、いえ仕事中でも、

ひと頑張り、ひと工夫をすることで

いろんな事が楽しくなるような気がします。

「楽しい」と思えたら、

それは反復してやりたくなるし、

その選択肢を持っていることは、

人生の中でとても有意義なこと。

もちろん、選択肢だから、

疲れた時、忙しい時、

「楽しちゃえ~」は、アリです。

以前、スローライフを志す者として

「ローコスト・リスク・リターン」

書きましたが、

こと楽しむことに関しては、

私たちは貪欲な方がいいと思います。

私の周りにも、

前者後者を重視する人、それぞれいますが、

総じて、後者の方が、

若々しく、人生を満喫しているように思えます。

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この恐るべき絵心のなさ(;;;´Д`)ゝ

ルノワールやモネ、印象派の絵が好きです。

色が溢れ、光飛び交う明るさ、

音楽の話ですが、以前の記事で、

滝廉太郎の「花」が最も好きな歌、と書きましたが、

時代背景も同じころ、

明るい描写には相通ずるものを感じます。

しかしながら、ワタクシ

子どもの頃から、美術についてはまるきりでした。

運動ダメ、美術ダメ、音楽も下手の横好き、

では、何が取り柄なのか、

自分でもよく分かりません。

パートナーのさるびあ。も

あまり絵心がある訳ではなく、

両者の血を引いた子もんすてら。

その絵心は、やはり悲しくなるほど…。

ぬりえが好きなのですが、

ぬりえと言うよりは、

ただ、白抜きの絵の周辺を

グシャグシャと塗っているだけ。

まぁ、絵は下手でも、

生きていくことはできますから。

そんな、センスなし、造詣なし、に

印象派の明るさは、間口の広い門戸。

せめて、下手なりに絵を楽しんでほしいもの。

下手の横好き!の達人(ワタクシ)

の血を引いてるんだから、できるはずですね。

Photo

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「青い目の人形と横浜」を書いて

前回、5月の最後に、表記の記事を書きました。

童謡「青い目の人形」から、ポーリンたちと

その後の横浜の戦争被害の1頁について、

私なりにまとめてみました。

戦前に日米の子どもの思いを載せて

人形が交換されたこと、その後、

両国で悲惨な戦争があった皮肉は

あまりにも有名ですが、

実はこの歌が、大正につくられ、

所謂人形交換とは全く無縁であることは、

意外と知られていません。

しかし、明るい出だしで勢いある序盤、

短調が寂しさや不安を表す中盤、

そしてまた、明るく楽しい終盤と

コロコロ変わる曲想は、

ポーリンらの波乱を暗示するかのようです。

人形が横浜に着いた昭和2年、

まだ大震災の記憶も生々しいはまっ子は

遠い国からの使節にどれだけ励まされたでしょう。

なのに、その人形にも軍刀を振り上げるほど、

後の日本人はヒステリックになってしまいます。

国内では切ったのは人形の首でも、

アジア諸国では現地の人の首を切りました。

あまりにも、愚かな行為です。

しかしながら、私には当時の日本人が、

血に餓えた野蛮人だったとは思えません。

喰うや喰われるやの国際情勢の中、

豊かな国土も、資源も乏しい日本にとって

奇襲も侵略も苦肉の決断であり、

国民の総意でもあったのです。

だからと言って、正当化もしませんが、

ただ、今の私たちだって、同じ情勢になれば

(そうなる可能性は、否定できません)

同じ選択肢を採りかねない、と懸念するのです。

それでも、私たち現代の日本人には

過去の日本人にはない強みがあります。

それは「過去の愚行から学べる」こと。

実は、過去の記事

『ゆりかごのうた』『花』『青い目の人形』は、

どれも、音楽が好きな自分として、平和を願い、

過去から学ぼうと3部作で書きました。

『ゆりかごのうた』は、

   「未来の平和を祈ること」。

東京大空襲の日に書いた

『花』は、「現在の平和に感謝すること」

をテーマとしましたが、これらは

「過去を知る」ことなくして、なしえません。

そして、横浜大空襲の日に書いた

今回のテーマは、その「知る」こと。

「過ちを繰り返さぬ努力をすれば

自ずと未来は明るくなる」

日本軍の軍刀も

アメリカ軍の焼夷弾も砕けなかったポーリン、

大震災直後から、80年以上に亘って

市民に愛されてきたポーリンは、

日本語でも、英語でもなく、

静かにそう語っている気がします。

本日の横浜、

150年目の開港記念日、晴れ。

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