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平和のために

想像してみて下さい。

一人が銃を持ち、もう一人に突きつけています

一方は脅えおののき、一方は今にもトリガーを引きそう。

嫌ですね。何とか平和に終わってほしいものです。

この時、平和に終わるか否か、の決定権は

誰が持っていますか?

言わずと知れたこと、銃を持つ方ですね。

持たない方には、決定権はありません。

できるのは、せいぜい命ごいくらいでしょう。

このように、暴力を食い止められるのは、

(好むと好まざるとに関わらず)強者の側です。

今日6月23日は、沖縄戦終結の日。

県民の1/4が犠牲になったその悲惨さ、

多くの人が、これを語り継いでいます。

唯一の地上戦と言う表現は不適切だと思いますが

(硫黄島や樺太もあるので)、それでもなお、

沖縄戦には、他にはない特徴があると思います。

それは、

「日本軍の行為が、住民の犠牲を大きくした」

ということ。

これは、住民の被害のない硫黄島や、

ポツダム宣言受諾後の樺太と大きく違います。

では、沖縄戦で住民に銃を向けたり、

手榴弾を持たせた日本軍人は、

鬼だったのでしょうか。

いえ、恐らく本土に大切な人を残して来た、

善良で平凡な日本人ばかりだったと思います。

戦争は狂気、と言いますが、

私は、狂気が起こすのではないと思います。

ちょっとした判断の間違いが積み重なり、

いつの間にか狂気になっている、

それが戦争だと思います。

その時その時は、そうせざるをえない状況があった、

でも、どこかで踏みとどまればよかった、

それができなかったから、歴史は牙を剥いた。

沖縄戦で、守るべき住民を死に至らせた日本軍も、

きっと、命令なり、そうせざるを得ない

状況だったのだと思います。

冒頭の例と同じように、

戦争は、被害者が起こしたり、

止めたりする訳ではありません。

住民よりは軍人、兵士よりは上官、軍よりは政府が

戦争を始めたし、回避することもできた。

私たちは明るい未来のために、

過去から何を学ぶべきでしょう。

沖縄の住民の、悲惨な被害も学ぶべきでしょう。

が、被害者側の視点だけで、

戦争を回避することを学ぶのは、難しいのです。

それと同じくらい、学ぶべきは、

銃を突きつけた軍人や、そうさせた軍部の

そう判断するに至った経緯と葛藤ではないでしょうか。

そこから、

似た状況下になってもそうしない、踏みとどまる

ことを学ぶべきではないでしょうか。

戦争は、始めるのも、回避するのも、

終わらせるのも強者です。

弱者は、翻弄されるだけ。

日本軍、私たち日本人の父、祖父、その父でした。

なのに、彼らの悔悟や思いを知る機会は

沖縄県民のそれに比べて、あまりに少ない。

まだまだ、先輩たちには

していただきたいことがたくさんありそうです。

沖縄県民の目、悲劇から、平和の尊さは学べても、

平和を守るためのノウハウは、あまり学べません。

沖縄戦では、強者はアメリカ軍だけではなく、

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コメント

すとれちあ。さん
今日は、そういう日だったんですね。
そんなことも知らなくて。
そうですね。
誰が強者になりうるのか、誰が被害者になりうるのか。
これから世の中がどう動いていくのかわからない。
両方の視線から、しっかりと受け止めて
2度と繰り返さないようにすることが
大切ですよね。
いつも被害者の視線から見ていたこと、
気がつきませんでした。目からウロコです。。。

投稿: ゆめ | 2009年6月23日 (火) 00時25分

ゆめさん おじゃりやれ

弱者、被害者の方が感情移入しやすいし それを知ることなしに平和はありえません
でも それだけでは「そうは言ってもねぇ、君…」って言われたら対抗できません
仕方なく…を繰り返すうちに 加害者になったり破滅が訪れたり
そうならないために 加害者の事実も 反面教師として 知りたいものです

投稿: すとれちあ。 | 2009年6月23日 (火) 22時22分

学生の頃、太平洋戦争の開戦経緯を、大本営陸軍部と海軍部の資料で読みました。開戦主張の陸軍とアメリカへの驚異を唱える海軍の攻防が御前会議の前で広げられていく。。。まさに、小説のような会議資料です。こういうコトが国民の知らぬ間に進み、気付くと一線を越えてしまっている・・・国民も、知らず知らずのうちに煽動されていく。。。。
戦争に限らず、ワタシ達がいろいろなことにアンテナを向けて間違った方向に行かないように、しっかりとした判断基準を持っていたいモノです(が、なかなか難しいんでしょうねえ。)

投稿: ゆうまま | 2009年6月23日 (火) 23時03分

実体験をしていない者にとっては
想像を絶するような時代が本当にあったということ
そして、まだこの瞬間にも
過ちは繰り返されているということ
そして、いつまたそういう間違った方向に
世の中が動く危険性があるってこと・・・
私達ひとりひとりが忘れてはいけないですね。
銃を向けられた人にも向けた人にも
親や妻や子供がいるんですよね・・・
そう思うと・・・本当に悲しいことですね・・・
全ての人、ひとりひとりが
自分の愛する人たちを想うその気持ちがあれば
決して間違った判断をしないはずだと・・・
信じたいですね。 

投稿: ぴぐもん | 2009年6月24日 (水) 10時10分

ゆうままさん おじゃりやれ

難しいんでしょうねぇ(*_*)
誰にも明確な答えなんてありません
でも 苦しくても掴んじゃいけない藁もあるし 私たちは他の藁を選ぶことができると思います

投稿: すとれちあ。 | 2009年6月25日 (木) 06時54分

ぴぐもんさん おじゃりやれ

国の戦争でも 個人のいさかいでも 相手を尊重する気持ちがあれば(多少の意見や利害の違いはあっても)衝突はしないと思いますね

どんなに状況が苦しくても 平和に対してはブレずにいたいものです
一応は民主主義の国なんだから、みんながブレなければ最悪な方には行かないはず(当時も、これからも)

投稿: すとれちあ。 | 2009年6月25日 (木) 07時03分

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