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2009年7月

閑話休題Ⅲ

NHK教育テレビ、朝の「ピタゴラスイッチ」

で、面白い歌をやっています。

いたちのたぬき、かにのかとり…、

きゅうりのリトル、ジュースのストロー

いたちのたぬき

→「いたち」から「た」抜き、1

かにのかとり

→「かに」から「か」取り、2

きゅうりのリトル

→「きゅうり」から「り」取り、9

ジュースのストロー

→「じゅうす」から「す」取ろう、で10

なるほどぉ、面白いなぁ…と思い、私も盗作(習作?)

リトル草履

コネが裏目に

縫物の物捕り、転んだ

トップレスのブラックジャック

空っぽのくるま

舞わない

帰途でも転んだ

雲ない砂漠

中身のない香り

っと、今ここで答えを書いてもつまらないから、

お暇な時にでも考えてみて下さいな。

って、7月の最後の記事がこれですか…?

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ゆとり世代の新卒対応

今、いわゆるゆとり教育を受け育った

「ゆとり世代」の新卒社員による、

問題やら珍騒動やらが話題に上ります。

総じて、働くことに対して、

覇気・意欲・謙虚さがかけているようです。

これらの意識、私は公私ともにとても重要と考えます。

過去の記事でも書きましたが、

溌剌さや努力をする人間としない人間では

自己意識・成果・評価全てにおいて、差が出るでしょう。

この点で、これは残念なことかもしれません

私が働く保育園と言う職場、他の職場に比べ

働く環境がとても変わっています。

と言うのも、「ユルい」んです、空気が

恐らく、他の仕事をする人(送迎の際の保護者なんて

その実際の例でしょうが)から見たら、

緊張感が足りない、と思われるかもしれません。

でも、このことで起きる問題もありますが、

職員がリラックスして安心して楽しく働ける、

この気持ちが伝播して、いい保育になる、

感情労働である保育士の仕事は、それでいいと思います

(もちろん、大切なお子さんを預かっているんだし、

目に見えない緊張感は、実はすごいんですが)

作り笑顔の保育士に、大事な子を預けたくないですよね。

その保育園ですら、新卒職員の勤務態度には手を焼くほど。

外出時、園児を引っ張るでも、後ろから見守るでもなく、

重そうに足を引きずって、まさに子に引きずられる人

自分からは挨拶もできない人

仕事の期限を守れない時でも、平然としている人

やれやれ…胃の痛い年配組です。

ですが、私はこの問題を、

新卒者のせいにはしたくありません。

まず第一に、先輩が後輩に教えるのは、

技術だけでなく、勤務に対する心構えもあるはず。

そしてそれは、技術以上に伝えるのが難しい、

多少飲み込みが悪くても、気長に待つことが必要でしょう。

もちろん、待つだけでなくフォローも大切です。

ここで、勤務態度を知らない新卒者を悪者にするのは、

先に社会人になった者の怠慢でしかないと思います。

第二に、私たちも謙虚にならねばなりません。

私たちも、先輩から勤務に対する心構えを教わりました。

それはとても貴重なものですが、

果たしてそれは、完璧なものでしょうか?

その結果が、過労死だったり、働く人のウツだったり、

家庭や私生活を顧みない犠牲的な意欲だったり。

私たちもまた、変わることに挑まねばなりません。

一生懸命働くこと、それはお金とやりがいという、

素晴らしい対価を与えてくれます。

ですが、働く人がそれに潰されない、

ちょうどいいバランスを構築したいですね

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興味は成長のエネルギー           ~紙芝居とクワガタムシ

先日の朝、家の前でクワガタムシ()を見つけました。

以前書きましたが、私は虫が大の苦手なので

見て見ぬふりをしたかったのですが、

職場ぱいなぷる保育園で

カブト虫に目を輝かす子を見ているので、

ここはやっぱり、勇気を出して捕まえました

(う~、怖かったよ~)

Photo

で、家では飼えませんから(無理!)

子もんすてら。のここなつ保育園に持っていくことに。

虫のためには逃がしてあげたいけど、

やっぱり子どもには、命に触れさせてあげたいし

(そして私は触れたくないし)

迷惑なことに、ぱいなぷる保育園には

山ほどカブト虫がいるし。

ここなつ保育園で、飼って観察するなり、

園庭で、みんなで逃がしてあげるなり、

そんな保育の一環に貢献できたら。

朝の保育室では、パートの保育補助さんが、

紙芝居を読んであげていました。

異年齢の長時間保育の子たちが20人くらい。

後ろで、年長さんたちがつまらなそう。

もう、とっくに卒業したレベルなんですよね

(年長向けの紙芝居じゃ小さい子がかわいそうだし。

異年齢保育って、難しい…)。そっぽ向いてる子に、

他の保育補助さんが何度も叱っています。

「ほら、お行儀よく聞きなさい!」

帰り際、もう1人の保育補助さんに

(専任の先生は朝の打ち合わせ中なんです)

クワガタムシを渡しました。

紙芝居の邪魔にならないよう、こっそりと。

でも、子どもは目ざといもの。

最初はあの、年長さんたちが。

続いて聞き入っていた子たちも、

ワッと押し寄せてきました。

紙芝居は…、崩壊です

「紙芝居が終わったら見ようね~」

先生3人と(仕事モードONになった)私とで、

子どもたちを誘導し、ひとまず紙芝居再開。

そして私はその場を後にしました。

が、紙芝居を聞きたくない子に大人が強要して、

あれじゃ誰だってクワガタムシに行くよなぁ、

って思いました。

紙芝居の進行や聞く子の邪魔してた訳じゃないし、

ただそっぽを向いてただけの子、

その子を叱って前向かせても、

興味なんて生まれる訳ありません。

興味こそ、子どもの成長の一番のエネルギーなのに。

私も先生に協力して紙芝居に誘導してしまいましたが、

子どもの興味関心は、完全にクワガワムシ。

本当なら、紙芝居は後にしておいて、

「ほら、クワガタムシだよ~」って、

その目を惹きつける方が、ずっといい保育じゃないかな。

他の保育園のことだから何も言わなかったけど、

なーんか、釈然としない思いがしました。

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努力って素晴らしい

努力って虚しい、と思われますか?

稚拙なようだけど、

私は、努力って素晴らしいと思います。

自分でもそう思うし、子にもそれを教えたい。

努力を虚しい、と思う方の言い分も、分かります。

残念ながら報われない努力も多いし、

楽して結果を得ている人も、見ますね。

確かに、頑張るの、バカらしくなっちゃいます。

努力を怠って得られる「楽さ」、

努力することで消費してしまう気力体力、

これだって、安く見積もれるものでもありません。

でも、これを計算に入れて努力を怠って、

いい結果が得られる「確率」って、

やっぱり低い気がするんです。

それに、努力して得られるものは、

目標のものだけではありません。

それは充足感だったり、目標以外の対価だったり。

一方で、すり減った気力体力は、

心身が健康なら、次第に回復します。

損得から言っても、努力の方が得だと思います。

例えばワタクシ、学生の時の就職活動を

ほとんどしませんでした。

今から思えば、スーツを着てペコペコ走り回る

所謂シューカツに嫌悪感があったのですが、

他の学生がする努力をしなかったのは、事実です。

その後、紆余曲折あり、今の職に落ち着いていますが、

そうなる前には、採用後、別の努力を強いられたし、

職種は今ので全く不満ありませんが、所得だって

もう少し多かったかもしれません。

何より、あの時頑張っていれば、との思いに

今でも苛まれない訳ではありません。

と言うと、「この努力礼讃は損得勘定なの?」

って質問が来るかもしれません。

子に伝えたいのは、損得としての努力よりも

倫理規範としての努力ではないか、と。

私は、(今ここでは軽く書きますが)

倫理とは、大きな意味での損得勘定だと思います。

みんなが、長い目で見て、得をする、それが倫理だと。

だから、倫理的であることが一番得、

損得勘定でも、倫理でも、結論は同じです。

何を頑張るか、はその人次第だと思います。

汗をかくのもいいでしょうし、

じっくり考えを練るのもいいでしょう。

ただただ無作為に耐えるのだって、努力だと思います。

ただ、その人の歩みたい人生、描きたい生活、

それがあるなら、自ずと、

頑張るツボはうまれてくると思います。

もし、どんな人生にするか、決めかねているなら、

それを考えること、その努力から始めたらいいでしょう。

ともあれ、豊かな人生、後悔しない人生にしたいなら、

努力は惜しんじゃいけませんね。

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小田急ロマンスカー

  七夕の短冊にも書いた、子もんすてら。の将来の夢は

「小田急ロマンスカーVSEの運転手さん」。

電車の運転手さんは子どもの夢の定番ですね。

海もごっこ遊びも好きなもんすてら。ですが、

将来の夢はやはり、この定番コース。

そして、子どもに人気のある電車の筆頭は、

やはり新幹線か、小田急ロマンスカーでしょうね。

小田急も、それを狙ってか、

ロマンスカーを単なる電車というより、

キャラクターとして売り出している気がします。

グッズもたくさんあるし。

一番のライバルは、新幹線よりも

ディズニ―か「きかんしゃトーマス」かもしれません。

でも、「VSEって何よ?」って思いません?

ロマンスカーって、いろんな種類があるんです。

赤いの青いの、二階建ての(トーマスもアンパンマンも

いろんな仲間がいるじゃないですか)

VSEは、この中で、(多分)一番豪華で、

実用性のなさそうな、白いロマンスカーなんです。

小田急のホームページとか見ても、真っ先に目につくし、

恐らく、トーマスかゴードンあたりなんでしょうね。

ところが、横浜に住む私たちには、

小田急ロマンスカーは近くて遠い存在。

乗るどころか見る機会さえ、あまりありません。

仕方なく、絵本やプラレールで楽しむ毎日。

一度だけ、新宿駅で入場券を買って、

見せに連れて行ったことがあります。

が、主役は遅れてくるもの。

2時間くらい、待たされました

(それまでも、他のロマンスカーを見れて、

それはそれで楽しみましたが)

Vse_8

いつか、本物に乗せてあげたいなぁ。

そして大人になったら、夢を実現させてね。

きっと、一部上場企業の専門職、

少なくとも、保育園よりは待遇いいはず。

そして私たちの老後を支えてちょーだいね。

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スローライフな音楽Ⅵ~「浜辺の歌」

あした浜辺を さまよえば 昔のことぞ 忍ばるる
風の音よ 雲のさまよ 寄する波も 貝の色も

ゆうべ浜辺を もとおれば 昔の人ぞ 忍ばるる
寄する波よ 返す波よ 月の色も 星の影も

Jan08_1656_1

今日は海の日。

私のように海が好きな人も、嫌いな人も、

身近な人も、ほとんど行かない人も、

夏という季節に海に思いを馳せない日本人は

ほとんどいないのではないでしょうか。

「母なる海」という言葉があります。

しかし私は、「母なる大地」の方が好き。

何故なら、人は大地にいだかれる事も

それをしっかり踏むこともできますが、

海にはそれができません。

海は生命の源であるにも関わらず、

私たちの命はそこで安住し得ないのです。

さすれば、今日のように「海の日」があるのに、

「山の日」「大地の日」がないのは、

いささか残念であるかもしれません。

ともあれ私たちは、海に憧憬と安らぎを求めます。

が、実はこの気持ちも、大地に足を降ろした上で、

という前提があるのではないでしょうか。

大海原や深海にも、好意はあったとしても、

そこにあるのは単なる憧憬であって、安らぎではないはず。

この、憧憬と安らぎ、その両方をうたった、

心休まる歌が、この「浜辺の歌」でしょう。

クレシェンドとデクレシェンドの往復は、

寄せては返す波にも、

吹いては息つく潮風のようにも聴こえます。

そこに浮かぶ情景は、海原でも、深海でもなく、

潮風を浴び、砂浜から眺める水平線、

振り返れば、自分ひとりの足跡。

どこか何かが、懐かしくなります。

大正中盤につくられたこの歌、

きっと、当時はこんな浜辺が、各地にあったのでしょう。

今とは違う豊かさに人々は恵まれていたのでしょうね。

なんて、「昔のことぞ忍ばるる」のは、

この歌の魔法の力かもしれません。

最後に。

気づかれた方もいらっしゃいますか?

このブログのタイトル、

この歌の2番から拝借したんですよ

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淡水デビュー!

先日、久しぶりに平日休みを取って、

が好きな子もんすてら。に

伊豆急行のリゾート21に乗せてあげることに。

私も、伊東あたりで温泉入りたいし。

って思ったら、前日に実家からtel

「ちょっと用事があるから、来て」

仕方なくもんすてら。を連れて、

実家に泊まりに行きました。

もんすてら。にとっては、それはそれで嬉しい話。

翌朝、暑いし、今日一日、何しようかな。

って思ったら、もんすてら。「泳ぎたい!」

・・・あのねぇ、ここは近くに海ないんだよ。

でも考えたら、近くに人工のせせらぎのある公園があります。

海では何10回も遊んでるけど、淡水はまだ・・・。

よし、行ってみよう!

でたどりつくと、

20090716

さっそく水着になって、ジャボーン!

私は、膝までしか濡らさない、と心に決めて

Tシャツをたくし上げて近くに。

どうやら近くの幼稚園年長さんが遊びに来ていました。

ナンか、イヤ~な予感・・・。

は的中します。

どうやら私には、子どもを招く天性があるのか、

公私のけじめがつけられないのか、

気がついたら幼稚園児に囲まれていました。

そして、お定まりの「水しぶき攻撃!」

着いてから3分も経たないのに、既にズブ濡れです

(先生たち、絶対わかってて放任してるよな~)

でも、もんすてら。は楽しそう。

水大好き、おにいさんおねえさん大好き、で大はしゃぎ

それに、いつもの海と違って狭いから、

何となく子ども同士に連帯感が生まれ、

いつもはマイペースで遊ぶもんすてら。も

おにいさんおねえさんの泳ぎを見て、

できないなりに、泳ごう潜ろう、とします。

そして遂に、水に顔付け&半潜り成功!

せせらぎと幼稚園児に、ちょっとプレゼントをもらった気分。

そして最後に幼稚園の先生から、お定まりの一言。

「先生が1人増えたみたいで、助かりました」

毎度言われるこの言葉。

お世辞を差し引いても嬉しいけど、

ONOFFスイッチがないと言われているような。

でも、海から遠い実家でも、こんないい場所があるなんて。

イマドキの育児環境、捨てたものではありませんね。

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好きこそ…

恋は盲目、なんてぇ申しますが、

はたして本当にそうでございましょうか。

いえね、あっしは存外、

嫌いはもっと盲目、って思いましてねぇ。

おっと、盲目ってな差別用語でござんすがね、

ここじゃぁちょいと、勘弁下せえまし。

あっしなんかほら、

テレビのバラエティ番組が嫌いざんしょ。

だってねぇ、粗暴猥褻下世話な話題、

人間の本質に切り込もうとか、

お天道様の下に流す情報なのに、

その価値を高めようなんて気概もない。

そんなんで、こっちをダラダラ笑わせて、

金稼ごうなんざぁ、浅ましいじゃありませんか。

でもね、そうとも言えねぇかもしんねぇ。

中には、涙や怒り、人情とか、

とにかく人間様の味を深めた話も時にはある。

あるんですけどねぇ。

でも、あっしは嫌い嫌いって思ってんから、

そんな番組見やしねぇ。

もちろん、良さもわかんねぇ。

無理もねぇですがね。

好かねぇものを見よう知ろうなんてぇ酔狂は、

聖人君子か変態のやるこったから。

ただ反対に、好き、ってなると話は違う。

またまたあっしの例で恐縮ですがね、

あっしは海が好き。

海をやだやだ言う奴よりは、

海のいいとこ、いっぺぇ知ってんから。

でも、海のやなとこ知らねぇかってんと、そりゃ違う。

やなとこも、嫌いな奴より、多分知ってる。

そりゃそうでさ。

好きなあっしは、始終行ってんから。

だからね、嫌い嫌いって言う奴ぁ、

言ってんほど、それをわかっちゃいねぇ。

わかっちゃいねぇから、嫌いなんじゃねぇか、って。

遊びについても、人間様についても、

嫌いは盲目、好きな奴ぁわかってる。

そうじゃござんせんか。

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夏だ~

14日朝、目覚めると、世界の空気が違いました。

何と言うか、

カラッとして、それでいて暑さに焦げるよう…。

晴れていると言っても、

梅雨の晴れ間とは全く違います。

梅雨明けだ!そう直感しました

夏、私が大好きな季節、

一年の中で、思い出の宝箱のような季節。

大きな入道雲、はしゃぐ子どもの声、

風鈴の音、セミの声、

麦茶の香り、スイカの甘さ。

何故か、夏を彩る主役は暑より涼が演じます。

さて、今年はどんな夏になるか、

大人にとっては、毎年のことでも、

子どもには今しかない輝きの季節、

思い出の宝箱、開けてみましょうか。

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我思う、故に我あり

NHK教育テレビの朝の番組、「にほんごであそぼ」で、

表題の言葉を取り上げていました。

この言葉が大好きなワタクシ、とても嬉しいのですが、

これについて、思うところがあり、書くことにしました。

この言葉、何を意味するか、分かります?

「聞いたことあるけど、イマイチ…」なのが

多くの方の正直な印象だと思います。

これは、この言葉が一人歩きをしているから。

この言葉を残した哲学者ルネ・デカルト。

彼の哲学の中心は「方法的懐疑」にあります。

先入観を捨て、まずは全てを疑ってみよう、という訳です。

100%の証明ができないものは、一切信じません。

「これって、こう見えるけど、本当にそうなの?」

「それって、そう言われてるけど、本当にそうなの?」

私たちの生活でも、偽りの物・情報は多いし、

この試みは意味あることです

(みだりに他人を疑うとか、そういう意味じゃないですよ)

ただ、何でもかんでも疑うのは疲れるし、

何より、よりどころのなさに不安になります。

ましてや、自分をも疑ってしまったら…。

しかし、それでも恐れず、彼は自分に関しても、

とにかく全てを、疑います。

でも、100%信じられる(疑う余地0%って証明できる)

ものなんて、見つからない。

世の中には、確かなものなんて何もないんじゃないか?

何だか、陸地の見えない海で漂流している気分になります。

でも、彼はあることに気づきました。

今、自分が何かを疑っている、

このことだけは、疑いようがない、のです。

そう、「我思う、故に我あり」です

ここでいう「あり」とは、

思うからいる、思わないからいない、ではなく、

「思うから、いるって確認できた」って意味。

ここで、彼の懐疑はひと段落つくのです。

絶海の中、ひとまず足を着ける場所を見つけたようですね。

このように、「我思う、故に我あり」は、

彼の哲学の重要な転換点ですが、

全体の中では、出発でもゴールでもなく、

通過地点でしかありません。

もっと大切な「懐疑・疑う」って行為、

彼の姿勢をこそ学びたいものです。

「それって、そう言われてるけど、本当にそうなの?」

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帆の下のアクシデントレポート

ヨットが好き、で

過去に何回か、クルーズの記事を書きました。

海の上で、風を繰って帆走する爽快感は

この上ないものです。

が、本当はいいことばかりではありません。

陸の上の生き物である人間が、

海の上で、それも風と水という自然を御するヨット、

一たび間違えば、命をも落としかねません。

私も、自分の判断や技術の甘さにより、

怖い思い、痛い思いを何度もしました。

この経験、ヨットに乗る者ばかりではなく、

多くの場合、陸の上でも一般生活でも、

特に海水浴など、水に親しむこれからの季節、

反面教師として参考になるのではないか、と思い

これを、シリーズとして書いていきたいと思います。

今回は、その1回目。

テーマは「沈(チン)

浮力のあるヨットは、絶対に沈みません。

なので「沈」とは、沈没ではなく、転覆を意味します。

これは、ヨットでもウィンドサーフィンでも共通。

ただ、マストだけが倒れるウィンドサーフィンと違い、

ヨットの沈は船体そのものがひっくり返るので、

即ち、海に投げ出されます。冬なら、最悪です

イメージは恐ろしいのですが、

実は最も身近なアクシデント。

縦長の船が、横から風を受けるのだから、

ヨットは簡単に、横に倒れます。

被害も、冷たいとか、帆や積み荷(私ならお菓子とか)

が濡れるとか、せいぜいその程度。

自転車の転倒よりはずっと安全で、

車のエンスト(今はしませんよね)くらいのものです。

船から落とされても、鉄棒の懸垂のように、

水面に横たわった船体の下から出るセンターボードに

体重をかければ、ヨットは静かに、元の状態に戻ります。

但しこれ、他の条件が重ならなければ、の話。

起こし方が乱暴だと、起きたヨットが反対側

(つまり自分が乗っている側)に倒れてきます。

下手をしたら頭を打たれるし、

起こしたいのに起こせないと、気が滅入ります。

また、本当に風が強かったり、油断したりすると、

横に倒れるのではなく、上下さかさまになる「完沈」。

こうなると、起こすのは大変。積み荷も、全滅です。

最悪なのは、波に舳先が突っ込んで、

船体がでんぐり返しになる「バウ沈」。

私はまだ経験がありませんが、確実に完沈になるし、

人間も荷物も、船の前に投げ出されるし(轢かれる事も)

暗礁があったりすると(波が立つ=暗礁or浅瀬なので)

マストが折れてしまったり、船体も無事では済みません。

ですが、多くの沈は、やはりポピュラーなもの。

ヨットは、沈を経験して上達するものです。

最初に、私は「10回沈したら一人前」と言われました。

実は、とっくに10回以上やらかしていますが、

まだ一人前とは言えません。

うぅ、先輩の嘘つき~!

でも、技術はまだまだでも、

沈に慣れた事で、沈が怖くなくなり、

沈をしそうな状況でも、した時でも、

冷静でいられたり、冒険できるようになったのは確か。

トラブル対応に慣れると、自分に幅ができますね

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虫の命を無視するな

タイトルからして、

どーしよーもないオヤジギャグっぽいですね

スローライフを志す私、

育児しながら保育園で働く私、

これらは自分の中で、密接に繋がっています。

そして、子どもが好きなこと、

これが、この両者に共通する、

私の一番の強みだとも思います

(ウラを返せば、それくらいしかウリがない…)

が、一方で、両者に共通する弱みも、

しっかり頑固に根強く、あります。

大好きな夏になると、思い知らされるそれは…、

「虫が苦手」

こればかりは、ダメです。

ゴキちゃんはもちろん、飛ぶのも歩くのも、

みーんな、ダメ。

カブトムシだって、なるべくなら見たくもない。

考えただけで、貧血起こしそうになります。

そんな私が言えた義理ではありませんが、

昨今の「虫」に対する世間の扱いが、

どうにも頷けません。

何とかキングとか、かんとかバトルとか、

カードやロボットじゃないんだから、

って思いません

生きてるんですよ、虫。

私たちに必要な生態系

その重要な一役を担っているはずなのに。

何だか、子ども(一部の大人)の玩具にされている、

そんな気がしませんか?

エコだ何だって言っても、

命を大切にできなかったら、

絵に描いた餅だと思います。

命を大切にする、ではなく、命を弄ぶ、

そんな「遊び」から、子らは何を学ぶでしょう?

なんて、虫嫌いの私が言うのは、

あまりに虫のいい話でしょうか。

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たなばた

ささのはさらさら

夏の夜空にまつわるロマンス、

私は勝手に、クリスマス、ひな祭りと並ぶ、

3大オーナメント行事と位置付け、

子どもの頃から大好きでした。

七夕とクリスマスの対比に顕れますが、

日本人って、冬は脱亜入欧気分で

何となく西洋っぽいものを追いますが、

夏はしんみり日本古来の文化を堪能する、

そんな気がしませんか?

私が夏を好きなのは、

単にマリンスポーツが好きだからではなく、

その辺が多分にある気がします。

って、私の大和魂も怪しいものですけどね。

でも、七夕が夏でよかった、って思いません?

だって、冬に寒空の下、天の川を眺めるのは、

ちょっと身体に堪えますから…。

その点、この季節なら、虫刺されとか、

たまに遭遇する恐い人さえ気をつければ、

夜が一番快適な時間帯。

加えて、流れ星も多い季節だったり、

陸の川、水のきれいな小川には蛍が、

海原には夜光虫の光が灯ったり。

そんな幽かな光が飛び交います。

こんな素敵な光の饗宴も、夏ならでは。

それが、来年も再来年も、いつまでも楽しめる、

これからも、そんな夏であってほしいですね。

なんて願いを、短冊に書きました。

みなさんは、何て願いを込めましたか?

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日本語には「え(E)」が少ない?

ほとんど話題に上ることがなかった

パートナーのさるびあ。

今日は、この人が発見した、面白い話を1つ。

先日、パートナーのさるびあ。が唐突に言いました。

「日本語って-えの段-が少なくない?」

最初、意味が分からなかったのですが、

「こんにちは、さようなら、おはようございます、

こんばんは、…ごめんなさい、の--

初めて-えの段-が出るよ」

うーむ、なるほどぉ。

例があいさつの言葉ばかりとは言え、

そうなのかもしれないなぁ。

他にも、「うみ・やま・まち・ひと・くうき・

みず・つち・ひかり・おと・かぜ・

じかん・ばしょ・しごと・あそび・おとな・こども

にほん・とうきょう・かながわ・よこはま、

でんしゃ・バス・くるま・どうぶつ…」

主要な名詞を思いつく限り挙げてみましたが、

-えの段-は、かぜ、の--しかありません

(動詞の仮定形や五段活用の命令形は

押し並べて「え」が入りますが)。

辞書でよくわかるように、

あかさたなの--では、後ろに行くほど、

頻度が下がります(さ行は例外的に多いけど)

人名も、そう。特にら行で始まる名は少ないですね。

でも、あまりあいうえおの--

意識しませんでした。

私と子の名前、

すとれちあ。・もんすてら。・には、

それぞれ「れ・て」と-えの段-が出ます。

でも、これは語源が英語だし…。

あっ、そう言えば

「えいご」って日本語、「え」が頭文字ですね。

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民間施設給与等改善費

タイトルを見て、「何だそりゃ?」って思いません?

「あぁ、ジンマシンが出そうだから読むのやめよう」

って思われたら…、切ないです。

これ、私立保育園に入る運営費収入の一つなんです。

名前のとおり、私立保育園の職員の待遇を

少しでも良くするって名目のモノ。

もちろん、私の勤めるぱいなぷる保育園も、

子もんすてら。のここなつ保育園も、

これを受給しています。

収入の少ない保育園にとっては、貴重な財源です。

この受給額、ヴェテラン職員が多ければ多いほど、

金額は高くなります。

人件費に使うお金だし、

他の業種でもそうでしょうが、保育園では、

経験者ほど、賃金は高くなりますから、

これは、的を得ていると言えますね。

また、経験者ほど、「いい保育ができる」と期待できるので

いい保育をするヴェテラン揃いの保育園に、

税金が財源のこのお金が流れる仕組みです。

経験者の力量を評価した加算とも、

その賃金の高さを補填する加算とも言えますね。

経験=いい保育、とは一概には言えませんが、

この仕組み、納税者としてもそれなりに納得できます。

が、ヴェテランかどうか、を判別する基準になると、

ちょっと疑問が残ります。

単純に言うと「認可保育園や社会福祉法人で働いた年数」

がその基準。

一見、的を得ているようですが…、

これに則ると、例えば特別養護老人ホームで

介護の業務に就いた経験年数は、加算されます。

他の業種の経験も、活きなくはないでしょうけど…。

そして、(主体が社会福祉法人ではない)

無認可保育園や幼稚園での経験は、一切考慮されません。

これらの経験は、現場としては非常に頼もしいもの。

その経験が無認可か認可か、幼稚園か保育園かによらず、

現場では、これらの経験者は頼れるヴェテランです。

なのに、介護の経験は評価されても、

無認可や幼稚園での経験は評価されません。

多くの保育園では、他の施設の経験者の賃金は、

認可保育園での経験者とほぼ同等に扱います。

実際、同じくらいの力量が期待できますからね。

でも、それを評価はされないし、

補填する加算もつきません。

うーむ、理不尽だと思いませんか?

こういったところでの縦割りが是正されれば、

きっといろんな施設を渡り歩いた経験者が、

それぞれの施設に新しい風を送り込んでくれるし、

結婚・出産で退職した方などの再就職先も、

選択肢が増える気がするんですけどねぇ。

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夜明け梅雨明け??明け

今日から7月。横浜の梅雨明けはまだですが、

やっぱり世間の雰囲気は、夏ですねぇ。

この季節が大好きな私としては、嬉しい限りです

(精神的に幼いということ?)

実は、梅雨が明けに先駆け、我が家ではもう一つ、

長いことかかっていた覆いが晴れました。

って言っても、何のことか、わかりませんね。

実は、5月からずっと、

我が家のマンションは大規模修繕をしています。

このため、マンションの周囲に足場を組まれ、

覆いがかけられていました。

傍から見ると、建設中のビルみたいに…。

最上階の我が家は、東西にバルコニーが伸び、

陽当たり、風通しが何よりの名物。

僅かな風や陽差しの違いがすぐ分かる、

空が近い家でした(その代わり、狭いけど…)

それが、このところずっとかかっていた覆いのために、

風は来ない、景色も見えない、

晴れているのに、薄曇りみたいな陽差ししかない、

そんな、歯ならぬ窓に衣被せた日々でした。

が、この度、工事も終わりが近づき、

晴れて覆いが外されました。

見慣れた景色も、いつもの風と陽差しも、

何だかとってもうれしい気分。

早朝に寝室から眺めた山も、心なしか霊験あらたか。

何でもない、そんなことに感謝、ですね。

あとは、梅雨明け、かな。

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