我思う、故に我あり
NHK教育テレビの朝の番組、「にほんごであそぼ」で、
表題の言葉を取り上げていました。
この言葉が大好きなワタクシ、とても嬉しいのですが、
これについて、思うところがあり、書くことにしました。
この言葉、何を意味するか、分かります?
「聞いたことあるけど、イマイチ…」なのが
多くの方の正直な印象だと思います。
これは、この言葉が一人歩きをしているから。
この言葉を残した哲学者ルネ・デカルト。
彼の哲学の中心は「方法的懐疑」にあります。
先入観を捨て、まずは全てを疑ってみよう、という訳です。
100%の証明ができないものは、一切信じません。
「これって、こう見えるけど、本当にそうなの?」
「それって、そう言われてるけど、本当にそうなの?」
私たちの生活でも、偽りの物・情報は多いし、
この試みは意味あることです
(みだりに他人を疑うとか、そういう意味じゃないですよ)。
ただ、何でもかんでも疑うのは疲れるし、
何より、よりどころのなさに不安になります。
ましてや、自分をも疑ってしまったら…。
しかし、それでも恐れず、彼は自分に関しても、
とにかく全てを、疑います。
でも、100%信じられる(疑う余地0%って証明できる)
ものなんて、見つからない。
世の中には、確かなものなんて何もないんじゃないか?
何だか、陸地の見えない海で漂流している気分になります。
でも、彼はあることに気づきました。
今、自分が何かを疑っている、
このことだけは、疑いようがない、のです。
そう、「我思う、故に我あり」です
ここでいう「あり」とは、
思うからいる、思わないからいない、ではなく、
「思うから、いるって確認できた」って意味。
ここで、彼の懐疑はひと段落つくのです。
絶海の中、ひとまず足を着ける場所を見つけたようですね。
このように、「我思う、故に我あり」は、
彼の哲学の重要な転換点ですが、
全体の中では、出発でもゴールでもなく、
通過地点でしかありません。
もっと大切な「懐疑・疑う」って行為、
彼の姿勢をこそ学びたいものです。
「それって、そう言われてるけど、本当にそうなの?」
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コメント
ありがとうございます!!
めっちゃ分かりやすく説明してもらって
納得した気分です!!
分かるような分からないような・・・(;;;´Д`)だったので。
疑っている自分だけは疑いのない事実。
まずはそこ。なんですよね。
色んな物事のホンモノとは何か。見極める為の
第一歩が疑う。かもしれませんね。
いつも勉強になります~(*^-^)
投稿: ぴぐもん | 2009年7月13日 (月) 23時04分
ぴぐもんさん おじゃりやれ
過去の哲学者の考えや言葉なんて、
知らなくても生きていけるし、充分いい人生は送れる、と思います。
ただ、「過去の」はどうでもいいのですが、「自分の」哲学なくして、
いい人生を送るのは難しい、と私は思っています。
その試みが、「懐疑」なんですよね。
私なら、「エコ商品(健康食品)って、本当にエコ(健康的)なの?」とか。
きっと、この言葉についての意味を懐疑せず、この言葉が独り歩きする現状、
デカルトは嘆いているんじゃないかなぁ。
投稿: すとれちあ。 | 2009年7月14日 (火) 11時45分
うわあ。見た瞬間「デカルト!!」
高校の倫社の時間を思い出しました。
とは言っても、こういうコトだったのね。ということを初めて知りました。ついでにハイデッガーなんて人もいたなあ。。。なんて人物名だけ思い出してもね。
哲学って、勉強すると面白いのかもしれませんね
入口で「うっ」てなっちゃってすぐに引き返してしまうような気がしますが。・・
投稿: ゆうまま | 2009年7月14日 (火) 21時43分
ゆうままさん おじゃりやれ
哲学が好きで、なおかつ倫理社会を履修しなかった私には
哲学者としてのデカルトは敬愛の対象なのですが…、
数学者としての彼は恨みの対象でしかありません。
哲学って言うとしかつめらしいですが、
大切なのは、誰がなんて言ったか?ではなく、
身近なことでも何でも、「何だろう?」って考えること。
自分にとって幸せって何だろう?とか…。
本当は、とっても身近な学問なんですよね。
投稿: すとれちあ。 | 2009年7月15日 (水) 10時29分