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2009年8月

海の日に山に行きました(交通編)

前回、箱根旧街道を歩いた「ハイク編」を書きました。

今回はその往復経路編です。

往復経路、単に電車やバスに乗っただけですが、

何しろこの過程こそ、子もんすてら。や

姉の子がじゅまる。には

この夏の最高の思い出かもしれません。

前回書いたように、朝父からTELあり、急いで家を出ました。

父は、私たちの横浜金沢を

「箱根と同じ県」と考えていますが、

実際は東海道線までがひと苦労、

新宿まですぐに出られ、小田急で箱根に出られる父より、

ずっと箱根は遠い場所、とにかく急がないと叱られます。

途中の藤沢駅。大好きな小田急ロマンスカーが来る駅、

停車中、ずっとロマンスカーの姿を待っていましたが、

やはり見られなかった、残念…。

そして、湯本に着いた父から催促の電話が鳴った国府津駅、

東海道線がストップ、どうやら人身事故のようです。

私に似て、突発的なことが苦手なもんすてら。

とっても不安そう。

ともあれ、小田原行のバスに乗り換えました。

バス大好きなもんすてら。今までの不安もどこへやら、

カラフルな箱根登山鉄道のバスに大喜びです。

そして小田原駅。ここからは箱根登山鉄道で、

待ち合わせ場所の箱根湯本へ。

以前、友人のaramiさんから、

「小田原から湯本まではその場でロマンスカー乗れるよ」

と聞いていたので、あわよくばもんすてら。を乗せたい

なんて野望を抱いていましたが

(多少父に怒られても、12本なら待っても…)

ホームに止まっているのは、もんすてら。の好きな

ロマンスカーVSEじゃありませんか。

これ、ロマンスカーの中でも滅多に来ないんです。

ホームのお姉さんから切符を買い、ダメ元で一番前へ。

なんと、展望席が空いていました。何たる幸運!

VSEってだけでもすごいのに、その展望席とは…。

Vse3

卒倒しそうなほど喜ぶもんすてら。

もはや前の窓から顔を離しません。

本当は、新宿から乗せてあげたいんだけどねぇ。

そして湯本で父と会い、登山電車に乗りました。

ゆっくりと、急な坂を登る登山電車。かっこいい

VSEも新幹線も凌ぐ大人の魅力(!?)です。

さて、頑張って街道を歩き、湯本でお湯につかり、

「あぁ今日はいい思い出(VSEのことね)もできたし」

なんて思いながら、小田急の電車に乗りました。

車内には、箱根登山鉄道の車掌さんがいて

(次の小田原発の電車に仕事として乗るみたい)

もんすてら。とがじゅまる。に話しかけてきました。

きっと、電車が好きな方で、

電車好きな子がわかるんでしょうね。

VSEやロマンスカーのことも、登山電車のことも、

いろいろ教えてくれました。

ワタクシ、バカ親ですから

「ウチの子はVSEが大好きなんです。

それが今日乗れたので、本当に嬉しくて…」って、

ディズニーランドでキャラクターに握手してもらったのと

ほとんど同じ会話をしてしまいました。

そして、こんなカードをくれました。

子どもたちには今でも、宝物です

Hakonetozan

別れ際も、(もんすてら。はVSEの運転手さんになりたいので)

「頑張ってVSEの運転手さんになってね~」

と言ってくれました。

本当は、「登山電車の運転手さんになりたい!」って

子どもたちから聞けたら、一番嬉しいんだろうなぁ…。

山を歩いたこともそうですが、

VSEや登山電車に乗れたこと、

登山電車の(ナマの)車掌さんとお話できたこと、

電車好きな子2人に本当にいい思い出ができました。

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選挙に関心ありますか?Ⅱ

明日日曜日、選挙ですね。

入れる党がいつも同じな人、

「今回はここに入れよう」と決めている人、

まだ決めていない人、いろいろだと思います。

そして、そのどれもが、大切な1票。

私もそうですが、選挙の時、ついつい思うのが、

「この1票が活きるのかな・・・?」って懸念。

この懸念に負けてしまうと、

「私の1票じゃ、どうせ何も変わらないから」と

棄権という選択肢をとってしまいがち。

これは、ちょっと正解、でも大間違い、と思います。

確かに、自分の1票で政治や世の中が変わった、

って実感できるワケがありません。

でも、約1億人、つまり1億票の中の1票が

世界を劇的に変えてしまう訳がない。逆から言えば

「自分の1票で1億票の政治が変わらないから」

なんて思うこと自体、思い上がりもいいところ。

それでも、「この1票じゃ何も変わらない」はずの1票を、

みんな同じように使ってできる「総意」が

政治と世の中を、いい方にも悪い方にも変える、

それが民主主義だと思います。

そして少なくとも、たくさんの棄権は、

最も「悪い総意」をつくるでしょうね。

「無駄になるから、明らかに負ける(勝つ)党には入れない」

って判断する人も多いですね。

私も、少なからずそんな判断で投票した記憶、あります。

でも、これって変な結果を生むんじゃないかな…。

いろんな政党や政治家がいろんな事を言っていて

(大差ないって言う人も多いけど…)

私たちの票はその、どれを支持するか、

の表明でもあります。

その中で、支持を最も集めた政党が、当選する。

ですが大切なのは当落だけではありません。

大差で当選したなら、その政党の政見は

全面的に支持されている、大いに進められるでしょうが、

僅差なら、落選政党の政見も、無視はできないでしょう。

このように、私たちの1票は、

当落を決する以上の意味をもっている、

と考えていいと思います。

その1票を、たまたまどこの政党が優勢か

(つまり他人がどこの政党に入れるか)

で決めてしまうと、投票の結果とみんな「総意」は

違うものになってしまうと思いませんか?

ですから、私たち有権者は、

自分たちが投じた1票がどう活きるか、なんて考えず、

純粋に、賛成したい党に投票する、

それが一番いい結果になると思います。

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明日の百より今日の五十

ってことわざ、有名ですよね。

どんな意味でしょうか?

子どもの頃から、ウサギではなくカメ、

アリではなくキリギリス、であったワタクシ、

このことわざが嫌いでした。

何故なら、これって

「宵越しの金は持たねえ」って意味かと思って。

長い目で見た大きな成果よりも、

所謂アメリカ型経営と言うか、

近視眼的な価値を追いかけるキリギリス、

そんなイメージでした。

スローライフとは相容れませんね。

でも、古人の教えがそんな浅はかな訳はない、

ってある時思いません?

で、このことわざを眺めなおしました。

大切なのは「百か五十か」ではなく、

「今日か明日か」にシフトしてみました。

…とすると、

「明日の(つまり不確実な)大きな成果よりも、

小さくても今日(つまり堅実・確実)な成果でいこうよ」

って意味かと。

おや?今までキリギリスと思っていた教えが

実はアリさんの教えではありませんか。

どんな解釈が正解か、よくは知らないけど、

物事って、角度を変えると全く違って見えますね。

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海の日に山に行きました(ハイク編)

先日、「父の中の山好きにもう一度、火をつけよう!」

と、鷹取山に登ってきました。

そしてその二週間後の海の日

(つまり1か月以上前ですが)の朝、

突然私の携帯に父からの℡。

「今から箱根の旧街道を歩きに行こう。

(姉の子)がじゅまる。も連れていくから」

ええええ、そりゃ暇ですけどね。

OKしました。

箱根の旧街道なら、登山ではないから

鷹取山よりずっと楽だし、

何よりも、箱根って場所は

子もんすてら。の好きな小田急ロマンスカーの

行先でもあり、見せられるチャンスなので。

℡した時には既に準備万端だったようで、

彼らはすぐに出発。

こちらは、今から準備です。

しかも、県内とは言え箱根は遠い。

待ち合わせ場所の箱根湯本まで

果たして何時間かかるのやら…。

一方、彼らは東京出発とは言え、

新宿まですぐ出られる場所、

そこから小田急に乗れば箱根は近いので、

早晩、短気な父から「まだか!?」と

お叱りの℡が来るのは目に見えてます。

さてさて、現地で集合し、芦ノ湖から歩きました。

最初はちょっと登りだけど、あとはほとんど下り。

しかも、「旧」とは言え街道なので石畳、

楽と言えば楽だけど…、

ペースはやたら速いけど、足元を見ないがじゅまる。

1歩進んでこけつまろびつ、を繰り返します。

そして視界全てに興味を持つもんすてら。は

転びまくるがじゅまる。に遠く引き離されるほど、

ノロノロと歩きます。

この二人を連れて歩くのは、道にそぐわずシンドイ…。

Photo_4

道中、ちょっと気に入らない箇所が。

時々、車と同じ新道を歩くのですが、

写真、分かります?

Photo_3

これ、タイヤの跡と引きちぎれたゴムの破片。

所謂ローリング族ってヤツでしょうね。

周辺は、静かな森林。ってことも、ドライバーには

この跡を見る限り、分からないのでしょうね。

「趣味は自由」なんて言うけど、

それは自分の責任を全うしてのこと。

騒音・排気ガス・そしてゴムの破片、

そして恐らく、周囲を巻き込む「危険」、

公道で、自然の中で、

いろんなものを撒き散らしていること、

そしてその責任を、少しもとれていないこと、

ちょっとは思いを馳せてほしいものです。

トミカと車が大好きながじゅまる。ですが、

この跡は見せたくなかったですね。

さて、山を下りて箱根湯本の駅へ。

駅前の温泉宿で汗を流し、

夕食は小田原でもんすてら。の好きな焼魚

(もちろん、お会計は父です)

父も子どもたちも楽しめたし、

先日の鷹取山で父の山好きに火が灯ったみたいだし

(私の財布はほとんど痛んでないし)

全体を通して、目論見は成功している、

って思っていいですかね?

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選挙に関心ありますか?

ニフティのサイトにも出ていましたが、

今回の選挙、国民の関心が極めて高いようですね。

今までの無関心層や棄権者の多さを考えると、

これは歓迎したいこと、なのでしょうか?

どうも私には、ヘンクツ老人のようなところがあり、

物事を素直に見れません。

その結果、無駄に苦い思いで損をすることもあれば、

世間に流されずに問題点を見つけることもある、

やな性格も、一長一短だと思っています。

さて、この選挙に対する関心の高さ、

もちろん低いよりはずっといいと思います。

ただ、嬉しくないデジャヴュー(既視感)を感じました。

それは、前回の衆議院選、

郵政民営化のために解散し、自民党が大勝した選挙です。

政治なんて、政治家にも有権者にも、

いろんな考えの人があっていい、

だから、あの選挙結果もその後の政治も、

それがいいとか悪いとか、私には言えません。

ただ、確かなのは、

「多くの国民が、流されていた」こと。

今、タイムマシンであの時代に戻ったら、

同じ政党に投票する人は何割いるでしょう?

状況も、支持を得ている政党も、

あの時とは全く違いますが、

国民全体に、同じような一過性の熱を感じます。

でも、この結果が左右するのは、今だけじゃない。

恐らく、数年間は、いや、間接的には半永久的に、

私たちの生活に影響する。

そこまで考えている人は何割いるでしょう?

恐らく、上の段落の「何割?」と、この「何割?」は、

限りなく近い数字ではないかと思います。

選挙って、政治のためにある、

政治って、国民の幸せのためにある、

それ自体が独立した存在じゃありません。

選挙、「私たちの幸せ」をひっくるめて

もう一度考えてみたいですね。

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汚れた海に甘んじる

私と子もんすてら。は、春から秋まで、

ずっと地元の海で遊びます。

泳いだり、貝や海藻を採ったり、砂浜を散歩したり。

よく言われるのが、「そんな近くの海、汚くない?」

はい、決してきれいとは言えません。

ゴミも浮いているし、透明度は1mくらい。

リゾート地の海とは比べるべくもなく、

車で1時間の三浦ですら

もっとずっときれいな海はたくさんあります。

でも、私は地元の海で遊びます。

その理由、1つは「地域で子を育てたいから」

遠くにばかり目が行って、

自分の町に愛着のない子にはしたくありません。

そしてそれ以上に大きいのが、

「それが私たちの海だから」

夏になると、雑誌やテレビでいろんな海が紹介されますね。

どこがきれいとか、どこがおススメとか。

それを見て、「いい海」に海水浴客が集まる。

でもそれでいいのかな、と思います。

「いい海」は「いい海」でいいと思います。

それは素晴らしいことだし、気持ちがいいし、

育児の観点からも、きれいな自然は有意義です。

でも、そこに選ばれない海は「悪い海」でしょうか。

そもそも海が汚れているのはどうしてでしょう?

直接にも間接にも、ほとんどが人間の仕業でしょう。

そして今度は、その人間が、海の良し悪しを決める。

これってとても傲慢じゃないか、って思います。

海は、テーマパークではありません。

命ある、「自然」なのです。

海水浴客は、「悪い海」を避けることができても、

そこで生きる魚や貝や珊瑚、たくさんの命は

その海で生きていくしか、ありません。

私だって、きれいな海がいい。

でも、だからって地元の海を見切って、

遠くのきれいな海で遊びたいとは思いません。

その「きれいな海がいい」気持ちとパワーは、

遠出ではなく、地元の海のゴミ拾いに使います。

いつか、私たちの海がきれいになるまで、

汚れた海に甘んじようと思います。

Pic_0011

勘違いされたくないのが、

別に「いい海」に行かないでほしい訳ではありません。

多くの人にとって、海なんて

年に1回か2回しか訪れない場所。

せっかくなら、少しでも「いい海」に行きたい、

それはとても自然な気持ちです。

でも、時々ちょっと思い返してほしい。

「いい海」だけが、海ではないことを。

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♪晴れたらいいね

自他ともに認める、海好きのワタクシ

その最大のルーツは、山好きの父親にあります。

幼い頃からいろいろな山に連れて行かれ、

父やその友人に山の素晴らしさを聞かされました。

中学生の夏に、北アルプス黒部川の最源流まで

沢登りで登りました。

峻厳な稜線と可憐で幻想的なお花畑の対偶、

疲れと怖さの末に得たこの景色と充実感は

私の生涯の最高の思い出かもしれません。

しかし、社会人になり実家を離れたワタクシ、

たまの休みは、海に割くのが精いっぱい、

とても山に行くだけの余裕はありません。

一方、年齢のせいか楽することを覚えたか、

父も音楽など、インドアな趣味以外はしなくなりました。

しかし、傍から見ていると、

運動不足・趣味不足が否めない父、

本人は楽しんでいるのかもしれませんが、

何だか先行き不安…、で作戦を立てました。

「父の中の山好きにもう一度、火をつけよう

で、先月初旬、山登りに誘いました。

もちろん、2人だけじゃもったいない、

子もんすてら。と姉の子がじゅまる。も一緒です。

目指す山は、ウォーミングアップとして、

手近な鷹取山にしました。

我が家からは、自転車でも行ける山です

(父とがじゅまる。には、遠いです。我田引水です)

子もんすてら。と同じ年齢、同じく電車好きのがじゅまる。

京浜急行の電車に乗って大はしゃぎ。赤くて派手な上に、

普段乗るJRの電車よりずっと速いですからね。

子どもの心をとらえる条件を揃えています。

そして神武寺駅で下車、鷹取山へ。

近いとは言え、鬱蒼とした雰囲気は本格的な山。

近くに小川もあるし、遠くは江ノ島まで見えます。

ドリカムの歌と違うのは、

やっぱり私より子より、父の方が足が慣れていること。

ここ数年、ロクに身体なんて動かしてないのに…。

そして山頂。

反対の横須賀側はすぐ近くまで住宅地があるため、

今までの鬱蒼は一転、広い公園になっています。

Toptakatori

ですが、展望台からの眺めは最高。

東はいつももんすてら。と遊ぶ海が、

西は江ノ島や相模湾、

南には三浦半島の先端が、

北は横浜や東京まで見渡せる素晴らしい眺望が広がります。

下山道。山頂からちょっと回ると、

突然、高さ8mの巨大な磨崖仏が現れます。

霊験あらたかな鷹取山の大きな名物が

「お疲れ様」と言ってくれた気がしました。

Magai

足を使うこと、自然に分け入ること、

そして山頂と言う達成感、

山登りって、子どもの発達にもとてもいい影響があるとか。

そして何より、山の楽しさを父が思い出してくれたような。

さぁて、今回の作戦は大成功ですが、

父の身体が慣れてきたら、高い山に連れて行かれそう…。

心しておかなきゃ。

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去年のこの日

私は「怒り」でした。日本人に。

情けない思いでいっぱいでした。

覚えていますか?

去年の今頃は、北京五輪で湧いていました。

そして、今年も去年も一昨年も、

815日は「終戦記念日」。

年々記憶が風化する中で、

今一度その記憶をたぐり、平和を祈る、

誰かが定義した訳ではありませんが、

そんな日のはずだと、私は認識しています。

五輪で湧くかの地では

この日を「解放記念日」と呼んだりするそうですね。

この認識の違いを尊重するのも平和には大切でしょう。

その、立場の違う両者がともにスポーツで汗を流す祭典、

見方によっては、そんな機会でもあったと思います。

が、実際にはそうではありませんでした。

少なくとも、大多数の国民にとっては。

恐らく、各国のカネと、それによる華美な演出、

アスリートの澄んだ汗にすら、

色を塗ってしまいそうな演出に

目も心も、記憶すら奪われていたように思います。

平成20815日、民放番組やスポーツ紙はおろか、

主要紙もニュースも、トップは五輪関連ばかりでした。

ちょうど、元号が違うだけの昭和20815日、

日本人が、過去を悔み、犠牲者を悼んだあの日は、

どこへいってしまったのでしょうか。

国民もマスコミも、揃って乱痴気のお祭り騒ぎは

どちらかというと、

終戦と言うより開戦前夜のようでした。

そして、これだけ五輪を盛りたてた世界のカネは、

一ヶ月後、やはり大戦前を彷彿させる恐慌により、

世界を混乱に陥れることになるのです。

みんなが、キリギリスになってしまった夏。

今年の夏は、

非核や平和への意識が高まっているのを感じます。

これが、秋も冬も、来年もそれ以降も、

ずっと続いていくこと、

64年前の戦争も、去年の乱痴気騒ぎも、

二度と起きないことを願ってやみません。

平成21年8月15日 正午

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おじゃりやるな 地震。

813日朝、出勤・当園準備に追われている時、

ゆらゆらゆらっと、揺れました。

最近地震多いですからね、

それに、東海地震との関連も気になるし。

で、つけていたテレビで地震速報を待っていたけど、

いつまでも、やらない…。

NHK教育じゃ、やらないんでしょうかね?

で、NHK総合をつけたら、やってました。

震源は八丈島付近、島の震度は5弱…。

前にも書いたかもしれませんが、

八丈島は、我が家が毎年秋に訪れる場所。

知り合いもいて、もはや第二の故郷って感じです。

すとれちあ。ってHNは、

この島の花ストレチアから頂いているし、

下さったコメントへのレスに必ず書く

「おじゃりやれ」も、島の方言でWelcome

以前UPしたこの写真も、島の景色です。

Cimg0319

その八丈が…。

気になったけど、バタバタしてると悪いから、

2時間後にtelしてみました。

テレビのとおり、被害って被害はないけど、

額縁やら小物やら結構壊れたし、

何よりメッチャ揺れて怖かったらしい…。

島はいつも、こんな波も来るから、

津波って恐怖はあまりないみたいだけど、

地震→火山→三宅島みたいな全島避難

ってケースも頭をよぎったり…。

しかも、島にとっては年間で一番のかきいれ時、

たくさんの観光客がいる時の地震は、

イメージダウンの方がこわいかも。

1,000円高速道路のあおりで

ただでさえ打撃を受ける島の観光産業、

どうかリピーターが減りませんように

(すいてる島は、客としては嬉しいですけどね)

そして、東海地震やら何やら、大地震怖いですよねぇ。

我が家も、活断層だらけの三浦半島に位置するので、

明日は我が身、です。

とりあえず、水と食糧と雨具防寒具、

それくらいはちゃんとしておかないとね。

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海で遊んだらカフェで一息

          

って別にどこかのカフェのマワシモノではありません

が、海好きのカフェ好きとして、おススメのコラボです。

太陽輝くこの季節(って言っても冷夏ですが)

家族や友達と一日海水浴、なんて日もありますよね

(我が家は近所の公園感覚なので、そればっかりですが)

とても楽しい思い出にもなりますが、後に残るのは、

日焼けと疲れと混んだ電車や渋滞する道路、

やれやれ…

こんな時、カフェでお茶してひと休み、

少しは体力も戻るし、混雑のピークもかわせる。

疲れた身体は、お茶の水分とスイーツの糖分で

癒してあげましょう。

楽しかった思い出を語らったりしながら。

T0010008_2 

そればかりではありません。

もっと現実的なメリットもあるんです。

例えば、友達どうしで行ったりすると、

お金の精算やら、持ち物の整理やら、

興ざめだけど、そんな作業もしなくちゃ、です。

この辺をちゃんとしないと、

楽しい思い出が一転してトラブルの元ですからね。

これだって、砂浜や車内では間違いをしやすい、

落ち着いて、テーブルを囲んだ方が無難というもの。

ただ、気をつけて下さいね。

日焼けで火照った時、

冷たい飲み物とクーラーがほしくなりますが、

疲れた身体と日焼けの肌は、

体温調節の機能が落ちています。

そう、心と身体では、求めているものがバラバラ。

大抵のカフェは、クーラーが効いていて、

冷たい飲み物も用意されていますが、

身体を冷やしすぎませぬよう…。

もちろん、運転手さんはアルコール厳禁

さて、忘れ物はありませんか?

楽しい思い出を胸に、

明日からまた、頑張りましょうね

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衝動は受動~本当の自由って?

ま~た訳のわかんないタイトルです。

これ、私が常々思うことなのですが。

人は誰でも、いつでも、

自分は自分の主体である、って思いますよね。

多少の例外はあるにせよ。

私も、基本的にはそう思っています。

昔、奴隷や階級が制度としてあった時代、

一個人は自由ではなかった、

自分のやるべきことを、自分では決められなかった。

でも、現代の私たちはそんな枷がない、

自分のやるべきことは自分で決められる、

そこに嵌められる枷は「自分の責任」だけ。

私たちは常に、能動的に動けるはずです。

でも、本当にそうでしょうか?

確かに、私たちには枷も鎖もありません。

目に見えるものとしては。

ただ、私たちはもう1つの枷を嵌められています。

その綱を握っているのは、自分。

例えば、「分かっちゃいるけど…」って状態。

分かってはいるけど、抑えられない、

経験ない方はいないと思います。

これに勝った経験も、負けた経験も、

誰にもあることでしょう。

私自身の勝率も、怪しいものです

そして、綱を握る自分を更に支配する者がいます。

ちょうど、奴隷頭を更に支配する貴族や富豪がいるように。

それは、流行だったり、魅惑的な商品・サービスだったり…。

それらが、テレビ・雑誌・ネットなどを通じて、

もう1人の自分を突き動かします。

そう、衝動です。

衝動的に動く人の多くは、

「自分の自由」であることを訴えます。

でもこれ、本当に自由な人間が

自由に判断してのことでしょうか?

本当の自由、本当の自分って一体何か?

かく言う私も、よく分かりません。

自由って、スミレのようにありふれているようで

未踏の霊峰に咲く花のようでもありますね

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熱帯夜の涼に…

毎晩暑くて寝苦しいですね

夏の夜の涼と言えば、花火ともう1つ

「こわいはなし」があります

霊の存在を信じますか?

私は、自分に霊感がないので何とも…、ですが

霊に限らず無の証明は最も難しいし、

これだけ見た経験談も多い中で、

「いない」って言う方がよほど非科学的だと思います

そしてこれは、私の仕事上の経験談から…

以前働いていた保育園には、

隣に墓地がありました。

ちょっと薄気味悪いけど、

静かだし、陽あたりもいいし、

大都市横浜の中で、悪い保育環境ではありません。

日中なら。

夕方以降になると、やっぱり怖い。

墓地って言う存在もあるけど、静かだけに、

遅くにお迎えに来るお母さんたちも落ち着かないし、

最後に鍵を閉めて帰る遅番の保育士は嫌なもの。

忘れ物を取りに暗い園に戻った時に見た保育室は、

遊具の配置が全く違っていた、なんて話もあります。

さて、季節は今頃の「青の時間」だったでしょうか。

夕立が降りそうな、空がどんどん暗くなっている時。

私は、もうすぐに迫った夏祭りの器具を

地下の倉庫に取りに行かねばならなくなりました。

地下倉庫、ちょうど墓地方向に通風孔があって、

その格子の向こうは真っ暗。

こんな時、絶対に行きたくないところです。

たまたま、なのですが、私はその時、

3歳の知的障がい児(Fちゃん)と一緒にいました。

一人では心細いというのも正直ありましたが、

大人のお手伝い、というのも、保育の一環なので

Fちゃんを連れて階段を降りました。

子どもや障がい者には、私達とは違うものが見える、

本当にそうかは知りませんが、よく言いますよね。

後から知りましたが、Fちゃんも「見える」子でした。

倉庫では、Fちゃんと一緒に、器具を探しました。

1年前に使ったきりだし、保育士は大体が整理下手。

大捜索です。埃は舞うし、ヘトヘト…。

何年も換えてない蛍光灯も暗いし

(保育園って、大抵こうですね)

と、Fちゃんが壁を指さしました。

「ゴ」のつく虫だったらと思うと鳥肌が立ちましたが

?…何もありません。

でも、Fちゃんは壁を指さします。

そしてその指は、うごめくものを追うかのように、

不規則に動きます。

言葉を話せないFちゃんですが、

「うー!」と何かを訴えています。

そして指先の照準は、通風孔からこちらに動きます。

何度も…、何度も。

たくさんの何かが、倉庫に入ってきている感じです。

声と指だけでは分からないので、

暗い中、Fちゃんの目を見ました。

…怯えている目でした

Fちゃん、一度みんなのところ、戻ろう」

とにかく後ろを見ずに、

Fちゃんを抱えるようにして倉庫を出よう。

でも、慌ててるから扉がなかなか開かない!

って、何とか戸を開けて、階段を上りました。

後ろで何か、崩れる音。

きっと、私がいーかげんな置き方をしたから

って自分に言い聞かせました。

涙目になって保育室に戻りました。

みんなもいて、とりあえず安堵。

後で、先輩に話しました。

結構みんな、見たり感じたり、していたみたい。

「すとれちあ。先生なら、鈍感だから平気かと」

全く、まったくゥ

Fちゃんは、ちゃんと夕食もたくさん食べ、

翌日も元気に登園しました。

後日探したら、必要な備品は園庭の倉庫にありました

(全く、保育士って本当にいい加減!)

でも、あれって一体、何だったんでしょうね?

※例の判じものの答え

リトル草履→ぞう

コネが裏目に→ねこ

縫物の物捕り、転んだ→いぬ

トップレスのブラックジャック→クジャク

空っぽのくるま→クマ

舞わない→うま

帰途でも転んだ→トキ

雲ない砂漠→サバ

中身のない香り→雁(カリ)

「何で?」って思うのがあったら、解説しますね?

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祈りの力

平和であってほしい

豊かな環境をいつまでも

人に優しい世の中でありたい

誰もが抱く願いだと思います

でも、どうしてどうしてこの世の中は、

悲しく裏腹な方向に進むことばかり

それに対して私たちには何ができるでしょう

時間もお金も余力はないし、

デモ行進に参加するのもちょっと抵抗が…、

多くの人の正直なところだと思います

ですが、誰でも今すぐにできることがあります

それは「祈り」

平和、環境、人に優しい社会、何でも

その思いを強く祈りましょう

祈りは、別に宗教上の信仰を必要としません

神様のような存在を信じても信じなくても、

祈ることは誰にでもできます

祈りが実現するなんて、非科学的と思いますか?

でも、祈る人は、目が違います

動きが、匂いが、全てが違います

例えば、豊かな環境を願う人は

物を無駄にしたり、不当に廃棄したりはしません

そしてそれは、周囲の人にも影響します

これを大勢の人がやれば、

社会全体の空気が変わります

有権者の支持がほしい政治家や

消費者のニーズを捉えたい企業も、無視できません

みんなが祈れば、社会は、変わります

りましょう

世界のためみんなのため

子のため自分のため

広島原爆忌の今日、私は祈ります

~安らかにお眠り下さい

過ちは二度と繰り返しませんから~

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スローライフな音楽Ⅶ~夏の音

8月ですね。暦の上では晩秋も近いのでしょうが、

やっぱり一年で最も、「夏らしい季節」でしょう。

子どもの頃の思い出も、一番濃いのではないでしょうか。

昔からコーヒーと音楽が好きだからでしょうか。

私は、コーヒーって楽器、って思います。

それにまつわる好きな音があります。

それは、ドリッパーに落とした時の、コポコポと言う音。

これ、美味しさのプレリュードです。

ただ、嬉しい季節は冬。

言うなれば、「冬の第一楽章」でしょうか。

それに対して、「夏の第一楽章」も、

ちゃんと奏でてくれるんです。

氷を落としたアイスコーヒー、

タンブラーに入れたストローをくるくる回すと鳴る、

カランコロンと言う音。

大きな氷や丸い氷だと、低い音、

小さな氷や四角い氷だと、高い音。

風鈴の音に次ぐ夏の音だと思いませんか。

そうそう、前回の記事の判じもの。

ヒントは「全て動物」です^o^

次回の記事に、答えをアップしますね。

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