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2009年12月

私と仕事とこの一年

平成2111日にこのブログを始め、

1年が経ちました。「スローライフ」なんて銘打って

ほとんど「ス」の字も使いませんでしたが、

書いている根底には常にスローライフがありました。

何しろ、「生活」ですからね、

どんな局面からも切り込める訳で(言い訳?)

で、今年最後のテーマは「仕事への姿勢」

好むと好まざるとに関わらず、

仕事って、時間的でも豊かさの面でも、

人にとって大きな比重を占めますからね。

自分が仕事に納得できないと、

なかなかいい生活、いい人生なんてできません。

さて、私の仕事、保育園の経理ですが

「あれっ、保育士じゃないの?」って言われます。

実際、経理が関わるお金や制度のことよりも、

子どもそのものや生活・発達についての方が、

たくさん記事を書いてきましたし。実際に

職場でも、かなりの時間を現場に割いています。

「私は経理だから」と言って、

事務室に閉じこもることはできるし、その方が、

よりレベルの高い仕事もできるとも思います。

もちろん今も、最低限すべき仕事はやっていますが。

でも、それよりも現場に入ることを選択した。

ここに、仕事に対する私の考えがあります。

それは、「何事も、現場が基本」ということ。

経理のために、保育があるのではない、

保育のために、経理がある、当然ですね。

とすると、経理は保育のことを、

ある程度は分かっていないといけない。

分からずして、たくさんの数字だけ流しても

面白くもないし、数字が「単なる数字」なんですね。

でも、現場が分かって数字に目を通すと

数字が太ってくる、「面白い数字」になるんです。

もちろん、単に面白いだけじゃない、

数字を見た時の「気づき」も違ってきます。

「あ、この数字は何とかした方がいいな、

あそこをあぁしたら改善できそうだし」など…。

これは、数字だけ見ていても、なかなかできません

(少なくとも私には、ね。

現場に割く時間をなくして、更に高い精度で

これができたら、出世はするんでしょうが。

まぁ、もともとそんなのには縁がありませんからf^o^)

とは言え、保育園で働いていて、

何より嬉しい楽しいのは、子どもの笑顔。

どんな姿勢で経理をやっても、

現場で子どもと駆け回る方が何百倍も楽しい、

これは間違いありません。

ぱいなぷる保育園で働き始めた平成21年、

今までで一番、楽しく働けた1年でした。

終わりに。

この1年、このブログを読んで下さった方、

コメントを下さった方、

素敵なブログを読ませて下さった方、

ありがとうございました。

来年も、よろしくお願いいたします。

よいお年をお迎えください。

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スローライフな音楽Ⅷ~             チャイコフスキー作曲                 くるみ割り人形 花のワルツ

街はクリスマス一色ですね。

クリスマスの音楽の中で、何が一番好きですか?

「きよしこのよる」?山下達郎?ジョンレノン?

私は、この曲が一番好きです(歌じゃないけど)

いえ、あらゆる音楽の中で、一番好きかも…。

だから、今年の1月から「スローライフな音楽」

ってタイトルで記事を書いてきて、

「クリスマスイヴはこの曲だ!」って

最初から決めていました。

貧しい家の女の子マーシャ(マリー)の家に

クリスマスの夜、お菓子を狙うネズミの大群が来ます。

それに応戦するマーシャの人形たち。

くるみ割り人形はネズミのボスと切り結びます。

あっ危ない!くるみ割り人形のピンチに、

マーシャは靴を投げて助けました。

「助けてくれてありがとう」人形は、王子様に姿を変え、

マーシャをおとぎの国に連れて行ってくれました。

私たち日本人には、どこか既視感のあるこの展開、

それは、助けた亀に連れられた竜宮城のようですね。

おとぎの国に招待されたマーシャを迎えたのは、

タイやヒラメの舞い踊り、ではなく

こんぺいとうやチョコレート、お菓子や妖精の

色とりどりの華やかな歓待のダンスでした。

そしてそのクライマックスを飾るのが、

この「花のワルツ」です。

澄んだ水の滴が踊り跳ねるような

ハープのカデンツァ(独奏)で始まるこの曲、

次はホルンが軽快な3拍子のステップで駆け上がる、

それは、如雨露から水を浴びた蕾が、

少しずつ花を開かせていくようでもあります。

そして、一度は弦楽がしっとりした風を吹かせてから

曲は交響楽織りなすクライマックスに向かいます。

そして終演へ、この曲の、最後の下り坂、

私などは、何度聴いても鳥肌が立ちます。

ワルツ大好きの作曲者が、

得意のハープのカデンツァで始め、

満開の交響楽で締めくくる、

チャイコがめいっぱいに詰まってる、そんな曲です。

聖夜は、おとぎの国でめくるめく舞踏会

クリスマスを、

こんなに優雅に、こんなに楽しくさせてくれる曲、

今夜、お聴きになりませんか?

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クリスマス会でミュージックベル

以前書きましたが、子もんすてら。を授かるまで

趣味でハンドベルをやっていました

他にヨットと言う趣味もあり(ベルのがお金かかるし)、

仕事もしたいし(しないと生活できないし)

これに育児が加わったら確実にパンク、で

泣く泣くやめてしまいましたが。

やめてから数年は、見るのも聴くのも嫌でした。

触れない自分がとても歯がゆくて。

先日、職場のぱいなぷる保育園でクリスマス会をしました

職員の出し物の1つが、ハンドベル演奏

(本当は、ミュージックベル。でも、一般的には

こちらをハンドベルと呼んだりしています)があり、

以前やっていた、ということで、私も選ばれました。

曲目は、「きよしこのよる」と「ジングルベル」

ベルなんて触ったこともない若い保育士に、

私が打ち方から教え、何とか曲にはなりました。

保育士は、普段ピアノを弾いているので、

やっぱり音楽の飲み込みはいいみたいですね。

さて、本番。全園児だけでなく、

保護者、そして地域の母子たちも大勢集まり、

総勢120人くらいを前に、演奏しました。

ベルを初めて見る・聴く子どもやお母さん方も多く、

とても喜んでもらえたようで、よかった

私は、と言うと、やっぱり身体が覚えているんですね

気負いもなく、楽しんで演奏することができました。

自分の中に、やっと、ベルといい距離感ができてきた、

そんな感じかもしれません。

いつかはまた、クワイアに入って、演奏したいな

そうそう、余談ですがこのミュージックベル、

以前書いた、ぱいなぷる保育園に

たくさんの遊具を寄附してくれた、

閉園してしまった幼稚園からいただいたものなんです。

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人間は万物の尺度

って言葉、ご存じですか?

以前、ソクラテスについて書きましたが

そのライバル、プロタゴラスの有名な言葉です。

一般的には、ソクラテスという

ピュアな向学心をもった若者を、

鼻であしらった頭の固いオジサマ集団(ソフィスト)のボス、

ってイメージ、歴史上の悪役の一人かもしれません。

でも、私はソクラテスの「無知の地」と同じくらい、

この言葉に惹かれています。

この言葉を聞いて、どんな印象を持ちますか?

人間は、万物の尺度、つまり「俺様がルールだ!」

みたいな、そんな言葉でしょうか?

いえ、いくらなんでも哲学者が

わざわざそんな言葉を残すとは思えません。

ここは、逆から見てみましょう。

「人間が万物の尺度」なのではなく、

「万物の尺度は、人間(がつくったものにすぎない)

って解釈できませんか?

つまり、何が正しいか、とかは絶対のものではなく、

私たちが「~だ!」って思って(確信して)いるものも

所詮人間が紡ぎだした価値観や観念に過ぎない、

私たちは、結局、絶対的に正しいとか間違っているとか、

そんなこと、知らないんじゃないか、

って鼻先に突きつけている気がします。

おや…、そう考えるとこの言葉、

ソクラテスの「無知の知」と、似たようなメッセージを

私たちに送ってくれている気がしませんか?

育児をする上でも、やはりそう。

正解なんてどこにもない、

そんな思いで子に向き合いたいですね。

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カフェで保育学生の読み聞かせ

先日、近くのタリーズで、

絵本の読み聞かせをしてくれると言うので、

子もんすてら。を連れて行ってきました。

内容はもちろん、クリスマス。

トナカイに扮したお兄さんとサンタの衣装を着たお姉さん、

絵本を読んでくれたり、

子どもたちにツリーの飾り付けをさせてくれたり。

(本当は楽しげな光景を写真に撮ったのですが、

お兄さんお姉さんの個人情報でもあるし、

ちょっと載せるのは控えておきますね)

が、何か違和感…。

どうも、お兄さんお姉さんの声が小さいし、

何て言うか、自分を捨て切れてない。

だから、子どもを惹きつけるパワーに欠けるのです。

これなら、私がやった方が絶対盛り上がる。

まぁ、子どもたちはあそびの天才、

そんな場面でも、それなりに楽しんではいますけど。

どうもこのお兄さんお姉さん、

保育専門学校の学生さんらしい。

と言うことは、来年か再来年には

保育士か幼稚園の先生になるのでしょうか。

子どもたちは、どんなんでも最初は楽しみますが、

これではすぐに、飽きられてしまいますからね。

とは言え、(おそらくボランティアな)この機会、

感心な学生さんだなぁ、とも思いました。

成長するのは、子どもだけじゃない。

今日の主役は、半分は子ども、

もう半分は、お兄さんお姉さん、

少しずつでいいから、この「照れ」を克服して、

いい先生になってほしいな。

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再投稿~「ゆりかごのうた」

「歌は器」と思います。

気持ちや心を注ぎ、

誰かに差し出す「心の器」。

やさしい歌詞と旋律、

幼な子を慈しむ母の愛を注ぐには、

この歌に優る器はないでしょう。

大正時代に作られ、平成の今に至るまで、

どれだけの愛がこの器に注がれたでしょう。

どれだけの子が、この愛を注がれたでしょう。

子もんすてら。が乳児だった頃、

寝かせつけによく、この歌を聴かせました。

「かなりや」の箇所の音が低すぎで、

寝つきの悪い夜は

咽喉が痛くなった覚えがあります。

この歌がつくられた頃に思いを馳せました。

大正時代中頃。

大正浪漫、なんてハイカラな雰囲気もあれば、

終盤には大震災があり、

そして昭和の軍靴が聞こえてきそう。

そして、当時この歌で育てられた子は、

どんな人生を歩んだのでしょう。

ちょうど、成人するか、しないかの頃、

日本は戦争を始めます。

戦場で散った方、

沖縄で自決された方も、

させた方もいるかもしれません。

外国で苦しんだ方も、

現地の方を苦しめた方もいるでしょう。

飢えに苦しんだり、大切な人を喪くした方、

たった今、この歌で寝ついたばかり、

「あつい」という言葉も覚えていないのに、

B29の焼夷弾で焼かれた幼子もいたはずです。

日本中、大勢の方がこの歌で育てられたはず。

いろんな人生が待ち受けていたのでしょうが、

間違いがないのは、

「この歌を聴かせた母親は、

そんな人生を願ってうたった訳ではない」

ということ。

国際関係とか、政治とか経済とか、

赤とか白とか右とか左とか、

詳しいことはわかりません。

ただ、子どもの笑顔と寝顔、

これに優る富はありません。

私は、祈ります。

ゆりかごが二度と

乱暴に揺すられないように。

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今日は、真珠湾攻撃の日ですね。

あの時の世界情勢、攻撃に踏み切った日本にも

「いろいろな事情」があったのだと思います。

ただ、どんな事情があったにせよ、

人が人を殺め、未来ある子が命を落としていく、

それが愚行であることに、疑いはありません。

子どもたちに、平穏と笑顔を。

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子どもが最初に獲得すべきもの

私たちの何より大切な存在、子ども。

親にとっては自分の子、社会にとっては、その全ての子

子どもはそれ自体、愛すべきものだし、

未来を担う存在としても、

その存在の大きさに、異議を唱える人はいないでしょう

さて、この子どもたち、

どう育て、どんな大人にしたいですか?

ここで返ってくる答えは、人によって違うでしょう。

優しい人に育てたい、強い人に育てたい、

いつまでも子どもの心を持った人がいいか、

達観し老成した大人になってほしいか。

思いの方向はそれぞれ違えど、

どれもが、優劣つけ難い立派な思い。

でも、そのどれを目指すにせよ、私は

子どもが最初に獲得すべき能力は同じだと思います。

それは、「人を信頼する」能力。

ご存じのとおり、人は一人では生きていけません。

時には一匹狼な生き方もいいでしょうけど、

それで人生が全うできる人は、ありえません。

人は、人を助け、人に助けられ、

初めて生きることができるのです。

ましてや、より有意義な生き方は言わずもがな。

ここで、最低限求められるのが、「人を信頼する」こと。

猜疑心に凝り固まっていたら、無理ですね。

そして根っから人を信頼できない人は自分も信用できません。

いきおい、意志の弱い、腰の座らない人になってしまいます。

ニート、学力だけ高くて社会生活の送れない大人、

流行に翻弄されたり、すぐにキレたりする若者、

全て、とは言いませんが、これらの社会病理と、

この能力の欠如は、無関係ではないはずです。

ではこの能力、どうやって獲得するのでしょう。

まさか、能力を獲得したい大人がやるように、

勉強や練習を繰り返してできる、はずはありません。

「愛される」「望みを満たされる(誰かが満たしてくれる)

経験を通してしか、獲得しえないのです。

獲得する、と言っても子どもは受動的、

大人が、愛し、安らぎや楽しみを与えることで、

子どもはこの能力を「獲得」するのです。

しつけや生活能力の獲得も大切です。それは否定しません。

でも、それは後からでもできます、と言うか、

後から自然に身についてきます。

何でも子どもの言うとおり、とは言いませんが、

まずは子どもにとって、楽しく安らげる状態をつくる、

全てはそこから始まるのではないか、と思います。

さて、我が身を振り返ってみると、

「しつけ」の名の下、叱ってばかり…。

言ってることとやってること、矛盾しまくり

うぅ、子もんすてら。よ、ごめん。

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