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2010年1月

続:保育のこれからについて思うこと

先日、この表題で「思うこと」を書きました。

「思うこと」がたくさんありすぎて、整理できず、

まとまりのない文章になってしまったこと、

「政治についての是非は極力論じない」と言いつつ、

実質論じちゃってるんじゃないか、ということ、

ちょっと反省と言うか、我ながら残念に思います。

が、頭の中で一つ、整理がつきました

(そんな時、本当に、脳内で裸電球が点くんですね。

それにしても、ブログを含め、文章を書くのは

読んで下さる方以上に、書いている自分のためになる、

とつくづく実感します)

それは、「何が不本意か」ってこと。その時の記事では

「そりゃ、保育園で働く(子を預ける)あなたには

待機児問題は他人事でしょう」って

言われることを不本意と書きましたが、

本当の不本意はそんな所ではないと気づきました。

反対意見に対し穿った見方をする人は、どんな時にもいます。

それにいちいち反応していたら、キリがありません。

不本意の正体は、子どもに健全な発達を、と願う私の考えと

待機児問題の解消(を願う人)と対立軸にされてしまうこと。

自分が認可保育園で働いていようが、預けていようが、

私も、待機児数は、早急に解消すべき問題だと思います。

働く(意思や必要性のある)保護者の生活もあるし、

何より、保育環境の劣悪化と同じくらい、

子どもの健全な発達を阻害する要因ですから。

保育は、質も量も大切。どちらかに優劣はつけられません。

ただ、1つ言うならば、

質を問題視する人で、量を問題視しない人は、多分いません。

それは、上にも書いたように、待機状態それ自体が

子どもの健全な発達を阻害してしまうから。

ですが、量を問題視して質を問題視しない人は、います。

それは、量の問題は数値化しやすいから、

政治、行政の場や報道で取り上げやすいし、

誰の目から見てもわかりやすい。

この問題に、踏み込まずに語れるんですね。

例えば、定員増や基準撤廃という解決方法、

つまり質を犠牲にして量を採るという方法、

私は反対ですが、一つの考え方・やり方ではあります。

ただ、そこには「本当は質も保障したいけど」という

苦渋の決断と言うか、痛みを感じつつ、であってほしい。

あくまで私の印象ですが、これらの解決策に

迷わず賛成する人は、あまりこの問題を分かっていない、

そんな気がします。

逆に、「待機児には目をつぶり、質だけを重視する」

って案が出たとしましょう(まず出ないだろうけど)

これに、「やむなし」と言う人はいるかもしれないけど

快諾する人は、いないでしょうね。

保育所に限った話ではありませんが、私たちの社会、

随分と子どもを置き去りにして発展してきた気がします。

待機児数もそうですし、質の問題、つまり

保育所の人員配置の薄さや一人当たりの面積の狭さ、

そこに表われていますし、学童保育については

制度・現状ともに、保育所以上におざなりにされています。

かわいいとか、精神的な意味でも大きな存在ですが、

未来の社会の主役という点でも、下には置けない存在。

みんなで、もっと大切に育てたいですね。

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久しぶりに

先日、久しぶりに元町に行ってきました。

私もパートナーのさるびあ。も東京出身、

必要性よりも「好きだから」が理由で横浜に住んで10年目、

数年前までは、

毎週のように元町・中華街界隈を闊歩してました

(お金はないから、別に豪遊はしてませんよ)

でも、子もんすてら。を授かってからはそうもいかず、

足が遠のいていました(まぁ、子もんすてら。と一緒に

地元で闊歩する方が楽しいし、

その意味では海あり山ありの金沢区には大感謝です)

お昼前からは野毛山動物園、

「見る」より「する」が好きなもんすてら。

他の動物はさておき、なかよし広場へ。

ここでは、ヒヨコやハツカネズミを

直に抱いて、触れ合うことができます。

苦手な方、ご容赦を…。

Mouse

そして元町へ。

本当はいろんなお店でいろいろしたいけど、

子もんすてら。がいるからそうもいかず…、

一番気兼ねなく安心できるカフェ、かな~と

【はらドーナッツ】へ。

中のレトロな雰囲気も素敵だし、

ドーナッツもオーガニックな感じでいいです。

ミスドやクリスピークリームを期待しちゃうと

ちょっと物足りないかも、だけど

ここにはほっとできる優しい味があります。

T0010001

Donuts

※店内写真は携帯撮影のため、ちっちゃいの

昔はいっつもいろんなカフェでお茶してたけど、

そのうち半分くらいはお店がなくなってしまいました。

あっても、改装して雰囲気変わっちゃったり…。

それは寂しいけど、はらドーナッツみたいに

新しい素敵が出てきたりもするし、

これからも、たまには遊びにいきたいですね。

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保育のこれからに向けて思うこと

今、保育を取り囲む制度環境は激動の渦にあります。

まず、福祉全体の流れである「措置から契約へ」

先日の事業仕訳で話された「運営費国庫負担の解消」

ちょっと待ち遠しい子ども手当。

そして保育の慢性的な問題である待機児童問題、

これを解消すべく決定されようとする

基準の撤廃と入所定員増。

これらは、11つが分離しておらず、

どれもが密接な「詰め合わせ商品」のようなものです。

私としては、これらの流れには、基本反対です。

何故なら、これらが子どもの健全な成長を保障し、

またそれができる社会をつくれるとは到底思えないから。

その根拠についても縷々書きたいところですが、

基本このブログで政治的な是非は極力触れない、と

自分に課しているので、ここでは最低限しか触れません。

今、ここで書きたいのは、もっと個人的な思い…。

反対の立場を言うと、こんなリアクションが来ます。

「そりゃ保育園で働く、保育園に子を預けられた

あなたには待機児問題は他人事でしょうよ」

「制度改正で給料が下がるのが嫌なんでしょ」

「保育園は詰め込まれない方が楽だもんね」等など。

もちろん、実際はここまで無礼な言い方はされませんが、

とても心外であることに変わりはありません。

あくまで、子どもの発達を真剣に見つめ、

「声なき子どもの声」を代弁しているつもりです。

例えば私は(こんな事言ったら仲間から首絞められるかも)

保育士の賃金水準は低いままでいいと思います。

真夏も真冬も、表で休憩なしに走り回る重労働ですが、

好きな人にとっては、これ以上ない楽しい仕事。

加えて、誰にもペコペコしなくていいし、

失業する不安もほとんど無縁です。

これで安月給に不満を言ったら、バチが当たります

(ただ、今以下にするのは最低賃金法の改正が必要です)

しかし、子どもが過ごす保育環境は、

もっとゆとりがあってほしい。現状は、

走り回るのも、午睡するのも、食事も、全て同じ部屋、

そこには、テーブルもタンスも、遊具も作品もある。

園によっては保育士の事務もそこでやったりします。

それで、幼児一人あたり畳一枚程度、

先進国の中でジリ貧の面積基準、

しかもこれ、戦後の混乱期から改正されてないんですよ。

これで健全な保育が可能とは、思えませんから。

つまり、お金よりも環境を優先して訴えたいのです。

待機児問題や予算の状況は、分からなくありません。

ですが、待機児童の問題は数字に出しやすいし、

困るのは「大人」だから、わかりやすいのです。

でも、詰め込みや基準の緩和で環境を妥協することは

もの言えない「子ども」の発達に影響があるんです。

働く大人には、ちょっと問題が見えにくい、

だからこそ、待機問題だけに終始しちゃいけないんです。

それに、考えてみて下さい。

これだけ少子化が問題になっているのに、

待機児が出るっておかしくないですか?

私は、今の待機児問題は、それだけ日本が、

保育や子どもを置き去りにしてきた結果だと思います。

これは、待機児問題にすり替えられる訳にはいきません。

例えば、「待機児童問題が深刻だから、

(今と同程度かそれ以上の質の)園を増やしましょう。

ただ、完成まで時間がかかるから、

それまでの間、詰め込みで我慢して下さいな」

って言うなら、話は分かります。

でも、足りない⇒詰め込むって方法では

子どもの環境はなし崩しにされる、

それでは、とても応じられません。

と、子どもの代弁者として

訴えてるだけのつもりなんですがね。

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スローライフな音楽Ⅸ~               シューベルト作曲「おやすみなさい」

最近毎日寒いですね。

冷え性のワタクシすとれちあ。には辛い季節。

横浜では、明日から暖かくなる予報ですが。

でも、寒くない冬ほど、寒々しいものはありません。

日も落ちた夕方、

身体を温めてくれるスープや暖炉はとても素敵ですが、

それは、早く沈む夕陽や凍えるような冷たい北風、

そんな引き立て役があるからこそ、ですよね。

こんな思いにぴったりなのがこの曲、

F.シューベルト作曲「冬の旅~おやすみなさい」

「アヴェマリア」「野ばら」「ます」、

数多の名曲を残した歌曲王フランツ・シューベルト、

どちらかと言うと暗いイメージのあるこの人の作品の中で、

晩年のこの作品には、最もクラ~い雰囲気が漂っています。

それもそのはず、W.ミュラー作のこの詩は

冬空の下、恋に破れた傷心の青年を描いています。

愛をささやき合った春の日はもう帰らない、

私の居場所はもう、この町にはない、

青年は、今はもう、「元…」とつけるべき恋人の住む家に

「おやすみなさい」と書いた手紙を置いて

「あなたの夢を妨げないようにそっと」扉を閉めます。

ただ、この手紙を読んだあなたが、

私の本当の気持ちを知ってくれますように!

その思いを胸に、足を旅路に向けて踏み出す。

日本よりはるかに緯度が高いドイツでのこと、

その寒さ、夜の長さは私たちの冬を凌駕します。

きっと、その足が引き摺る道はどこまでも凍っていて、

目に入る景色は白ばかり、

いや、長い夜はそれすら見せてくれなかったかもしれません。

そして、私が連れ添うのは、月光の映す私の影、

私を温かく待っていてくれるのは、死ただひとり。

合唱ではないバリトンのソロ、沿うのはピアノだけ、

ひたひたと雪道を歩く情景が目に浮かびます。

最初は短調で暗い曲調なのに、

最後、それはちょうど、恋人の家を去ってからは

長調の明るい曲調に変わります。

それは、誰も愛してくれないこの町よりも、

「死」という唯一の拠りどころのある旅の方が

いくらか希望が持てるからかもしれません。

凍てついた道を歩く冬の旅は、始まったばかりです。

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いかがわしい「情報」って嫌じゃないですか?

普段はバイクで通勤する私ですが、

さすがに真冬は堪えるので、

1月後半から2月前半は電車で通勤します。

この方がエコですしね。

でも、電車に乗るのが、嫌なんです。

もっと言うと、世間に触れるのが嫌。

電車の宙吊り広告や、コンビニの店頭にある

いかがわしい男性誌やスポーツ新聞、

人様のプライバシーを喰い物にする女性誌、

そしてそれらが人目をはばからず並んでいる光景、

その状態に、正直、嫌悪感が沸きます。

ワガママでしょうか。そう思われてもいいけど、

同じ思いの方も多いと思いますし、

子を育てる身としては我が子に見せたくない、

もっと言うと、大人として恥ずかしいです。

こんな思い、語気強い方だと

「発行・販売・宣伝禁止にすればいい」

なんておっしゃったりしますが、

そこは表現の自由、経済活動の自由がありますから、

そんな大ナタはない方がいいと思います。

では、こんな思いは飲み込んで、

「そんなものさ」と耐えるしかないんでしょうか。

思うに、これらのメディア類は、

世のため人のために発行されている訳じゃない、

それは確かですよね。

発行・販売する者の利益のために、な訳で。

ならばそんなもの、(もし嫌悪する気持ちがあれば)

みんなで、買ったり読んだりするのを、

やめてしまえばいい、って単純に思いますが、

そもそも嫌悪しない人が読むから、成り立つのでしょうか。

私は「嫌悪しつつも買っちゃう読んじゃう」

って人、少なからずいると思うのですが…。

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ちょっと心温まるできごと

少し前の話になりますが、

子もんすてら。はサンタクロースに

小田急ロマンスカーの目覚まし時計をもらいました。

時計自体は、見た目は普通のもの。

ただ、文字盤にロマンスカーの絵があるだけ。

目覚まし音が、その警笛なんです。

って言っても、とてもやわらかい音、

電子音のオルゴールみたいな。

聴いていて心地いいのですが、目覚ましには使えません。

でも、この「ロマンスカーの音」がする時計、

もんすてら。にはとってもお気に入り。

そんな折、ワタクシ風邪をひきました。

もんすてら。のここなつ保育園で流行ってたのですが、

胃腸の方に来る風邪、

連休でもんすてら。がかかったと思ったら、

その間つきっきりだった私も、ひどい吐き気と悪寒が…。

病院の開診までは時間があるので、

朝の準備を終えると、ひとまず布団に潜り込みます。

って言うか、もはや身体が動かない状態。

枕元で、登園前のもんすてら。が何かを言っています。

「…で起きれるからね~」とか。

1時間後、目が覚めたら、

枕元に例の目覚まし時計が置いてありました。

まるでサンタクロースが置いてったたみたいに。

もんすてら。私が寝坊しないように

置いてってくれたみたいです。

4歳になったばかりの、その思いやりに

胸がぽっと温かくなりました。

親バカです。

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子どもに罪はないのに…

保育園で働いていると、毎日、

子どもと笑ったり、怒ったり、泣いたり、

そんな日々が楽しくて仕方ありません。

でも、それも全て、年長クラスの3月、

卒園式には楽しい思い出として

子どもたちは羽ばたいていきます。

私たちも、ひとつひとつの記憶を大切にして、

ちょっとほろ苦い、でも笑顔で送り出します。

無認可保育園や幼稚園では、

認可保育園に入れることが決定したから、と

途中退園するケースもある、それを考えたら、

ほぼ全員を、卒園するまで一緒に過ごせる、

そんな果報な職を、感謝せずいられません。

しかし、だからこそ、と言いましょうか、

たまの途中退園はよくよくのことが多いです。

親の転勤とかなら、

(背中で泣いても)笑顔で見送れるのですが…。

お盆近い頃、こんなこともありました。

4歳児クラスのC君が無断欠席。

家や保護者の携帯電話に電話しても繋がりません。

時期も時期だし、旅行かも、と思いましたが、

2~3日続いたので、職場に電話してみました。

すると、職場にも無断欠勤しているとか。

となると、事態は楽観できません。

家にも訪問しましたが、誰もいません。

お母様の実家に電話しても、来ていないとか。

こんなご時世、「夜逃げかも」とも思われました。

とにかく、私たちには打つ手もなし。

騒いで迷惑になってもいけないので、

更に数日、様子を見ることにしました。

すると、お母様から電話が入りました。

「急遽離婚した、居場所は言えない、

申し訳ないが、退園の手続きをしたいが

事情あり、すぐには園や区役所には行けない

この電話があったことも、口外しないでほしい」

とのことでした。

何らかの形で、実家から連絡を受けたのでしょうね。

いえ、もしかしたらご実家に

「居留守」をしていたのかもしれません。

私たちは「DVだろう」と直感しました。

が、それはあくまでも推測です。

私たちは、事実を決めつけることも、

この父母をどう評価することも、許されません。

が、確実なのが1つ。

「幼いC君にとって、望ましくない何か」が

そこにはあったということ。

どんなであれ、親が急遽離婚し、住む場を離れる、

このことが、こうなるだけの経緯が

子どもの心に傷をつけない訳がありません。

後日、C君の母親が退園手続きにきました。

土曜日の夜、他の園児も職員もいない時間、

C君を連れずに、ごく短時間だけ。

私たちは、その時に渡せるよう、

精一杯、思い出の品をつくりました。

楽しく友達と遊ぶC君、職員だけの寄せ書き…。

それを渡すこと、それしか、できませんでした。

受け取ったC君ママ、

一礼だけしてすぐに帰って行きました。

一刻も早く、園から出る他なかったのでしょうね。

子どもは、あそびの天才です。

どんな状況も、楽しむ力を持っています。

が、それは温かい人間関係に支えられてこそ、です。

夫婦、家族、大切にしましょうね。

えぇ、我が身を省みて、恥じるばかりですが…。

※個人情報を推測できないように、

書かれた事実(年齢や時期等)は

実際とは違えて書きました。

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最高のお年玉

私の冬休みは12/291/36日間、

この間ずっと、子もんすてら。と一緒でした。

6×24時間で、計144時間…

うぅ、仕事の方がずっと楽だ~

なんて言ったら怒られますが

その分、得るものも多い年越し、お正月でした。

と言うのも…、

自転車が大好きなもんすてら。ですが、

今までは補助輪が手放せませんでした。

車輪の大きな自転車だし(中古だから選べなかった)

この月齢なら、補助ありも乗れない子もいるし、

焦る必要はないのですが、山と海に挟まれた私の町では、

道は狭く、曲がりくねって、前後左右に起伏があって、

横に斜めの歩道ではまっすぐ走れず車道に押し流されたり

(危険!歩道は「人に優しく」あってほしいです)

とにかく補助輪があるが故の危険も…。

それに何より、自転車が大好きみたいだから

(どーせ私の子だから他の運動はダメに決まってるし)

それくらいは、人に先んじてもいいかな、と。

で、1229日、今まで頼っていた補助輪を

片方、外しました。

1230日、片輪の補助輪で完璧に乗れました。

大晦日、両方の補助輪を外し、ある程度乗れました。

元旦、走り出しを押さえてあげれば、

ほぼ完璧に乗れるようになりました。

ここで調子に乗って、近くの称名寺まで初詣。

今日は参拝客が多く、見慣れた庭が別世界。

T0010008_2 

何て言うか、気心知れた友達の結婚式、

花嫁衣装に「えっ、あの子?」って気持ちです。

T0010009

そして更に調子に乗り、

八景島シーパラダイスまでサイクリング

(大人でも普通に走ったら10分以上はかかります。

まず、補助外したばかりの子が行く距離じゃありません)

無料でイルカが見れる窓があるのですが、

今日はベルーガが泳いでいました。

Photo

でも、走り出しだけは、どうしてもできません。

私が教えても、身体がこわばっちゃいます。

こればかりは、一気には無理なのかなぁ。

でも、怖いのが、車が来た時、

とっさにブレーキをかける判断力はあるのですが、

止まったらもう、動けません。

道の真ん中で止まってしまうと、もはや座礁船です。

迷惑だし、第一危険極まりない()

でも、翌日のこと、

やはり自転車で近くの公園に行き、遊んでいると、

小学生のお姉さんが、話しかけてきました。

そして、

「ちょっと地面を蹴って、進んだらペダルを漕いでみな」

私も何度もしたアドバイスですが、

もんすてら。、お姉さんの言葉なら、実行できました。

そして、できました

帰途はもう、私の手助けは要らない状態。

まだ経験が浅いから危なっかしいけど、

どんどん走らせて、どんどん上手くなって、

いろんなところでいろんなものをみてほしいな。

何とも素敵なお年玉をもらえたお正月でした。

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新年の抱負

あけましておめでとうございます

このブログを始めて、2年目になりました。

最初は、自分の思ったことを書き留める、

「自分のノート」みたいなつもりでしたが、

いろんな方の素敵なブログを拝見して、

また、読んで下さってありがたいコメントを頂戴して、

張り合いが出てきて、それなりに

「読まれる」ことを意識して書けている今、

皆様に本当に感謝しています。

思えば、年越し、そして新年と

これを意識しないでいることが難しいくらい、

大きなイベントですよね。

お盆やクリスマスはそっぽを向いていても、

これは無視できない、という方もいると思います。

それくらい、存在感のある節目。

新たな抱負や意気込みを持つ方も多いでしょう。

特に、世の中が世知辛くなっている昨今、

昨年の反省をバネに、と言う思いが

強いのではないでしょうか

(かく言うワタクシも、失敗や反省が

何よりの原動力です、ハイ)

しかしながら、何でしょうか…、

この新年の思い、これを抱き続けるのは、

新年を意識しないこと以上に、

難しいことなのだと実感しております。

七草粥を頂いたら、日々に忙殺され

「あれ、抱負ってなんだっけ?」

いや、そんな思いすら来さないのが実情でしょう。

思い通りにならないのが人生の常、

結果が達成できたかは問わないにせよ、

大晦日まではその抱負に対し、ベストを尽くす、

これだけ新たな思いで抱いた抱負なのだから、

それくらいの持続力はあってほしいものです。

これ、誰よりも私自身に投げかけていますが…。

さて、そんな私の今年の今年の抱負、

昨年からの課題を引き続き取り組むことにしました。

「人を尊敬できる自分になろう、

自分を尊敬できる人になろう」

昨年できていたか…、

できていないから、継続課題なワケで。

大晦日まで、弛まず不断のベストを尽くしたいです。

元旦と言えば初日の出ですが、

今年の元旦は月がきれい。

車に乗りながら、シャッターを切りました。

残念ながら、月の美しさは出せてないけど、

ベイブリッジの上で不思議な写真を撮りました。

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