続:保育のこれからについて思うこと
「思うこと」がたくさんありすぎて、整理できず、
まとまりのない文章になってしまったこと、
「政治についての是非は極力論じない」と言いつつ、
実質論じちゃってるんじゃないか、ということ、
ちょっと反省と言うか、我ながら残念に思います。
が、頭の中で一つ、整理がつきました
(そんな時、本当に、脳内で裸電球が点くんですね。
それにしても、ブログを含め、文章を書くのは
読んで下さる方以上に、書いている自分のためになる、
とつくづく実感します)。
それは、「何が不本意か」ってこと。その時の記事では
「そりゃ、保育園で働く(子を預ける)あなたには
待機児問題は他人事でしょう」って
言われることを不本意と書きましたが、
本当の不本意はそんな所ではないと気づきました。
反対意見に対し穿った見方をする人は、どんな時にもいます。
それにいちいち反応していたら、キリがありません。
不本意の正体は、子どもに健全な発達を、と願う私の考えと
待機児問題の解消(を願う人)と対立軸にされてしまうこと。
自分が認可保育園で働いていようが、預けていようが、
私も、待機児数は、早急に解消すべき問題だと思います。
働く(意思や必要性のある)保護者の生活もあるし、
何より、保育環境の劣悪化と同じくらい、
子どもの健全な発達を阻害する要因ですから。
保育は、質も量も大切。どちらかに優劣はつけられません。
ただ、1つ言うならば、
質を問題視する人で、量を問題視しない人は、多分いません。
それは、上にも書いたように、待機状態それ自体が
子どもの健全な発達を阻害してしまうから。
ですが、量を問題視して質を問題視しない人は、います。
それは、量の問題は数値化しやすいから、
政治、行政の場や報道で取り上げやすいし、
誰の目から見てもわかりやすい。
この問題に、踏み込まずに語れるんですね。
例えば、定員増や基準撤廃という解決方法、
つまり質を犠牲にして量を採るという方法、
私は反対ですが、一つの考え方・やり方ではあります。
ただ、そこには「本当は質も保障したいけど」という
苦渋の決断と言うか、痛みを感じつつ、であってほしい。
あくまで私の印象ですが、これらの解決策に
迷わず賛成する人は、あまりこの問題を分かっていない、
そんな気がします。
逆に、「待機児には目をつぶり、質だけを重視する」
って案が出たとしましょう(まず出ないだろうけど)。
これに、「やむなし」と言う人はいるかもしれないけど
快諾する人は、いないでしょうね。
保育所に限った話ではありませんが、私たちの社会、
随分と子どもを置き去りにして発展してきた気がします。
待機児数もそうですし、質の問題、つまり
保育所の人員配置の薄さや一人当たりの面積の狭さ、
そこに表われていますし、学童保育については
制度・現状ともに、保育所以上におざなりにされています。
かわいいとか、精神的な意味でも大きな存在ですが、
未来の社会の主役という点でも、下には置けない存在。
みんなで、もっと大切に育てたいですね。
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
最近のコメント