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2010年3月

三渓園に行ってきました

桜の花も開き始めましたね^o^

やっぱり、何となく嬉しい、日本人ですね。

私たちは、先週21日に、花に先駆けて

蕾の三渓園を訪れました(酔狂でしょうか?)

例によって、私のケータイカメラでの写真ですが、

いくつかご紹介しますね。

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最初に園内で目を引くのが大池と、

その向こうの山頂にある三重塔

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薄墨桜はもう、咲いていました

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徳川吉宗が暮らしたという臨春閣

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覗いた瞬間は、マックロクロスケが見えます

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そして園庭を突っ切って南門から出ると、

湖心亭と玉蘭庁、やっぱりここは横浜なんだな、

って思い出します。と言うより、

それまでは横浜にいることを忘れてました

他にも、合掌造りや天然の渓流、山門など

和中折衷の見どころと癒しがたくさんありました。

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行政が保育園にくれる「アメ」

保育園の収入(運営費)は、園児の年齢と人数で決まり、

幼い園児ほど高額になります。

もちろん、その分多くの保育士が必要になります。

だから、保育園の事務は、園児の年齢ごとに行います。

1歳が△人、3歳が○人、とか…。

園児のクラスも、そうですよね。

学年で区切られた各年齢ごとに、クラスがあります。

ところが、年度途中に入った子は、違います。

厳密に言うと、誕生日後に入った子と言うべきですが。

当然ですが、誕生日を過ぎると、1歳大きくなります。

2歳児クラスの子も、誕生日で3歳になりますね。

その子が、4月1日から在園していれば、

誕生日を過ぎても3月31日までは事務上も2歳ですが、

年度途中の誕生日後、つまり3歳になってから入ると、

事務上は3歳として扱わなければなりません。

誕生日の前か後か、確率は五分五分と思いますか?

年度途中とは言え、4月中はまず、入園しません。

すると、確率的には中途入園児の半分以上になります。

これが、保育園を運営する側としては辛いところ。

何しろ、同じクラスの子と一緒に手続きできない、

とってもメンドクサイ事になるうえに、

収入は下がってしまいますから。

というのは、今年度までの話。

来年度からは、中途入園の子も、同じ扱いになる、

先日参加してきた行政の説明会で聞きました。

ヤッター!きっと、全国の保育園が思うでしょうね。

私も、嬉しいです。

でも、一つ眉に唾をつけるべきかな、と思います。

と言うのが…、

先日書きました、園児定員の上限を撤廃する決定

実はこれ、「年度途中からの」と言う条件つきなんです。

「年度途中からなら、いっぱい詰め込んでもいいですよ」

って言うお達しなんです。

私は、ただでさえ劣悪な保育条件に

未来ある子どもを詰め込むのは反対ですが、

今回の誕生日後の中途入園に関する改正は、

「だからいっぱい詰め込みなさいよ」って

行政から保育園にくれた「アメ」のように思えます。

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1+1=2ではない?

って言われたら「えっ?」って思いませんか?

私もそのひとりです。でも、よくよく考えてみると、

1+1が必ず2だって、決めた人はいません。

以前書いたデカルトという人は、

数学の計算結果ですら、疑えると言いました。

まぁ、私の高校時代の数学の答案なら、

間違ってる可能性の方が高かったですけどね

デカルトどころか、少なくとも、

私たちの身の回りでも1+1が2ではないと言えるんです。

例えば、二進法の世界。パソコンが普及している今、

そんなに聞き慣れないものではありませんね。

1+110だし、10+10100です。

10010進法で言う41,000なら8ですね。

112だなんて、10進法の世界での限定ルールです。

他にも、私たちに馴染み深いところでは、

時間などで活躍する60進法がありますね。

1(時間)の半分(÷2)は0:3030()になります。

便利だから10進法に変換して、0.5(時間)なんて

言ったりもしますけどね。

そんなこんなで、私たちの身の回りにある数、

10進法だけが全てじゃありません。

この話、単なる数字のイジクリ回し、

机上のちょっと「へ~」で終わりじゃありません。

私たちが生活していて直面する問題、

仕事でも、家事でも育児でも、

ちょっと目先を変えるだけで、

意外な盲点というか、妙案が出ることがあります。

それで解決したらすっごいお得だし、何より楽しい。

日常ズッポリはまっている価値観だけじゃ

人生もったいないって、私は思います。

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花粉症で・・・

例年のことですが、花粉症に苦しむ毎日です。

花も嵐も…、じゃなく、鼻も目もひどいし、

鼻の影響で耳もボワボワ。

以前中耳炎になったことがあるんですが、

一歩間違えたら再発しそう…。

そんな中、聴力が落ちてきました。

普通に生活する分には不都合ないのですが、

困るのが喧噪の中。周りがガヤガヤしていると、

目の前の人の声も聞きとることができません。

保育園で働く身には、これがつらい…。

何しろ保育室に入ると、子どもの声の乱舞。

その中で、子どもが何を訴えてきても、全然分かりません。

大抵は会話を楽しんでいるだけなので、

それなりに聞いているふりをすれば、

その場はしのげますが(最低)

意味のある訴え(:○○ちゃんがぶった~!)だと

そうもいきません。

一応表情や周囲の状況で、判別してはいますが、

何ともやりにくいこの状況。

早くシーズン終わらないかな。

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求められる「個性」って何?

今の就職活動には「個性」が求められるようですね。

私の頃(10+α?)も、その言葉はキーでしたが

今ほど強く意識されてもいなかった気がします。

でもこの「個性」、適正に使われているでしょうか?

企業、つまり就職先は、あそび場ではありません。

従業員が連携して合理的に、何らかの価値

(物とは限りません)を提供して対価を得るところ、

(高い専門性ならともかく)個性なんてないほうがいい、

そう思いませんか?

全員が同じように、博識でセンスが良くて

事務能力も対人能力も優れる満点社員ばかり、

そんな会社なら、伸びない訳がありません。

受験だって同じこと、英語も国語も数学も、

全科目満点なら言うことありません。

そんな生徒ばかりなら、進学率も上がるでしょうね

(そんな生徒なら、それ以上進学する必要ないかも)

そもそも、個性ってなんでしょう?

例えば、「私はテニスが好きで野球が嫌いです」

のような、「趣味的な個性」。

これは、仕事や学業にはあまり活きません。

ゼロではないけど、満点に比べると訴求力が弱すぎます。

一方、事務や営業、英語や数学が得意、

という「能力の個性」。

これは、企業や学校が本当に欲しがるような、

満点の人の前では「他が苦手」に過ぎません。

個性というよりも、ハッキリ言えば弱点ですね。

つまり個性とは、仕事や学業の上では

「役に立たないもの」または「弱点」

どちらかと言えると思います。

企業が選考の際に求める「個性」

求職者が自分を訴える武器としての「個性」

こう考えると、それって何か変じゃないですか?

でも、みんなが満点を求めたらどうなるでしょう?

本当に努力したら、かなり近い状態にはなれるでしょう。

しかし、そのために払う努力は、今の何倍にもなるし、

自分の時間なんてとてもなくなってしまいます。

そんなの、いやですよね。

そう、「人間性」が失われてしまうからです。

私は、大事なのは、「人間性」だと思います。

個性って言葉の役割は

「本当は能力がほしいけど…」って思いが強まって

人間性を阻害してしまう力にブレーキをかけること、

だと私は考えます。

選考者が「あなたの個性は?」って問う手段ではなく、

応募者や採用後の部下に苦手な事があった時、

「まぁそれも個性だから…」って温かく見守る、

そのための言葉だと私は思います。

「個性」って言葉は、求職者よりも企業にこそ、

投げかけられた宿題ではないでしょうか。

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再投稿~「花」春のうららの隅田川に思うこと

春のうららの隅田川 のぼりくだりの船人が

櫂のしづくも花と散る ながめを何にたとふべき

見ずや あけぼの露浴びてわれにもの言ふ櫻木を

見ずや 夕ぐれ手をのべてわれさしまねく青柳を

錦おりなす長堤にくるればのぼるおぼろ月

げに一刻も千金のながめを何にたとふべき

もうすぐ桜の季節、日本人にとって、

文字とおり「花盛り」の季節です。

そして、滝廉太郎作曲のこの歌も、

墨田川の川岸で咲き誇る桜を描いています。

日本人に広く深く愛される桜をモチーフにする歌は

古今枚挙にいとまがありませんが、

明治時代に作曲されたこの歌と

江戸時代よりの古謡「さくらさくら」ほど、

愛される歌もないと思います。

短調の旋律に、「さくらさくら」と繰り返す歌詞、

古謡が満開から散りゆく儚さを詠うなら、

「花」は、めっぽう明るく春爛漫、

歌詞には一度しか「桜」と出ないのに、

今や満開咲き誇る桜を謳います。

桃色に染まった長堤と川面、

眺める人々、たゆたう船、

何とも華やかでのどかな景色です。

底抜けに明るい風景描写は、一枚の絵。

印象派の画匠、モネの作品を彷彿させます。

この歌で、春を描かれ、都民に愛される隅田川、

どんなにか誇らしいでしょう。

しかし、この歌とともに経た108つの春、

そんなに素敵な思い出ばかりではありません。

隅田川は、歌が発表され、

半世紀も経たぬ間に、二度も、

川面に人の亡骸を流す

「死の運河」となる不名誉を蒙ります

一度目は、

作曲後20年あまりして起きた、関東大震災。

そしてまた20年あまり、桜の蕾も膨らみ、

まさにこの歌の季節も間近、64年前の今夜、

東京大空襲です。

少しずつ、蕾を膨らませる桜を見て、

指折り数えていた人も、いたと思います。

墨田川も、川面を染める花びらを

心待ちにしていたことでしょう。

しかしこの年、両岸に降り注いだのは、

桜ではなく、焼夷弾。

水面を埋めたのは、桃色の花びらではなく、

炎から逃れんと橋から飛び降りた人の亡骸でした。

多くの大人は大震災を生き延び、

つい1週間前、桃の節句を祝った子どもは

親に抱かれ、安心して眠っていた矢先でした。

隅田川のはじまり、

岩淵水門には、よく散歩に行きます。

土手の上の桜は、蕾も膨らみ、

遠くから見ても、薄く桃色がかって見えます。

河川敷で、野球少年が試合をしていました。

今年の桜も、おそらく、

美しく川面を染めるでしょう。

人々は、それを楽しむでしょう。

この歌のように、明るい春がくるでしょう。

この平和に感謝するばかりです。Cimg2083

岩淵水門。

ここから墨田川が始まります。

大震災も、戦災も耐え、

東京を水害から守ってくれました。

東京の夜が業火に見舞われて65年になりました。

この記事は、ちょうど1年前に書いたものです。

よければ、この記事の後書きも、

一緒にお読みいただけるとうれしいです。

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フラッと横浜散策

先日の土曜日、実家の父から℡

「がじゅまる。(私の甥)と横浜に来てるから来ないか?」

「え~(ぶっちゃけ面倒くさい。まぁ、子どもたちが喜ぶからいっか)、わかったよ」

で、行ってきました。

その時に撮った写真をいくつか、載せますね。

全部、ケータイ撮影だから、画質の悪さはお許し下さい

(まぁ、いいカメラ使ったってシャッター切るのが私だから大差ないか)。

シーバスから見た、みなとみらいと氷川丸

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中華街の馬姐廟

あ、ランチは中華街でいただきました(もちろん、私の財布は傷みません)

Maso

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そして山手、アメリカ山公園。

ふらんす山やいたりあ山に比べて、スッキリしてます。

私は、ふらんす・いたりあの方が庭らしい味があって好きですが、

この、眼前にマリンタワーが立つ眺めは素敵ですね。

Americayama

洋館(元町公園のエリスマン邸)では、

お雛様が飾られていました。

箪笥に三人官女を並べるセンスに、惹きつけられました。

Ohina2 

Kanjo

Ohina_2 

写真には撮っていないのですが、

山手の洋館では、よくクラシックなどのプチコンサートをしていて、

この日も、木管楽器の演奏会をやっていました。

このお雛人形の目の前で。

アンコール曲は、「崖の上のポニョ」。

子どもたちには、かなり嬉しいサプライズでした

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