再投稿~「花」春のうららの隅田川に思うこと
春のうららの隅田川 のぼりくだりの船人が
櫂のしづくも花と散る ながめを何にたとふべき
見ずや あけぼの露浴びてわれにもの言ふ櫻木を
見ずや 夕ぐれ手をのべてわれさしまねく青柳を
錦おりなす長堤にくるればのぼるおぼろ月
げに一刻も千金のながめを何にたとふべき
もうすぐ桜の季節、日本人にとって、
文字とおり「花盛り」の季節です。
そして、滝廉太郎作曲のこの歌も、
墨田川の川岸で咲き誇る桜を描いています。
日本人に広く深く愛される桜をモチーフにする歌は
古今枚挙にいとまがありませんが、
明治時代に作曲されたこの歌と
江戸時代よりの古謡「さくらさくら」ほど、
愛される歌もないと思います。
短調の旋律に、「さくらさくら」と繰り返す歌詞、
古謡が満開から散りゆく儚さを詠うなら、
「花」は、めっぽう明るく春爛漫、
歌詞には一度しか「桜」と出ないのに、
今や満開咲き誇る桜を謳います。
桃色に染まった長堤と川面、
眺める人々、たゆたう船、
何とも華やかでのどかな景色です。
底抜けに明るい風景描写は、一枚の絵。
印象派の画匠、モネの作品を彷彿させます。
この歌で、春を描かれ、都民に愛される隅田川、
どんなにか誇らしいでしょう。
しかし、この歌とともに経た108つの春、
そんなに素敵な思い出ばかりではありません。
隅田川は、歌が発表され、
半世紀も経たぬ間に、二度も、
川面に人の亡骸を流す
「死の運河」となる不名誉を蒙ります。
一度目は、
作曲後20年あまりして起きた、関東大震災。
そしてまた20年あまり、桜の蕾も膨らみ、
まさにこの歌の季節も間近、64年前の今夜、
東京大空襲です。
少しずつ、蕾を膨らませる桜を見て、
指折り数えていた人も、いたと思います。
墨田川も、川面を染める花びらを
心待ちにしていたことでしょう。
しかしこの年、両岸に降り注いだのは、
桜ではなく、焼夷弾。
水面を埋めたのは、桃色の花びらではなく、
炎から逃れんと橋から飛び降りた人の亡骸でした。
多くの大人は大震災を生き延び、
つい1週間前、桃の節句を祝った子どもは
親に抱かれ、安心して眠っていた矢先でした。
隅田川のはじまり、
岩淵水門には、よく散歩に行きます。
土手の上の桜は、蕾も膨らみ、
遠くから見ても、薄く桃色がかって見えます。
河川敷で、野球少年が試合をしていました。
今年の桜も、おそらく、
美しく川面を染めるでしょう。
人々は、それを楽しむでしょう。
この歌のように、明るい春がくるでしょう。
岩淵水門。
ここから墨田川が始まります。
大震災も、戦災も耐え、
東京を水害から守ってくれました。
東京の夜が業火に見舞われて65年になりました。
この記事は、ちょうど1年前に書いたものです。
よければ、この記事の後書きも、
一緒にお読みいただけるとうれしいです。
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