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2010年6月

私の好きな「赤い電車」

電車の話です。

私の地元を走る京浜急行で50年間走った電車が、

昨日で引退したそうです。

私は、何となく、「いちばん京急らしい京急の電車」

って感じて好きだったので、残念。

とは言え、私も知ったのは昨日の新聞ですが

50年間走ったって、すごいですよね。

比べて、今の電車って寿命が短い気がします。特に新幹線。

私みたいな素人から見ると、「最新車両じゃないの?」

って電車が、引退しちゃったり。

消費電力が少ないとか言うけど、本当にエコなのかな…?

少なくとも、子どもに与える影響は、期待できません

話が脱線してしまいましたね。

先日、京急ファミリー鉄道フェスタに行ってきましたが、

今から思うと、何か虫の知らせがあったのでしょうか。

毎年やっていましたが、全く行く気なかったので。

この電車、できた当初は、すごく注目されたみたい。

速く走っても静かで揺れないとか、赤い外観がきれいとか。

でもそれは、デビューした昭和30年代の話。

私が乗るようになった平成の時代には、

新しい電車がいっぱいあって、

この電車が一番乗り心地悪かったなぁ。

京浜急行の電車って、すごく速くて、

横を走るJRの特急とか、追い越しちゃうんですけど、

やっぱりこの電車がスピード出すとすごく揺れるし、

他の電車に比べて、旧1000型が来ると

何だか損した気がしたものでした。

それでもやっぱり、一番「京急らしい」外観、

両開きではなく片開きの古めかしい扉、無骨な車内、

不思議なあったかさを感じる電車でした。

子どもの頃、京急と言えば海水浴の電車でしたが、

潮風をまとって走る、私の思い出の中ではそんな電車。

そんな、良くも悪くも思い出の詰まった電車が

今日からもう、見れないと思うと寂しい気がします。

また、昭和の火がひとつ、消えてしまいましたが、

どこか地方や海外の鉄道で第二の人生が待ってるのかな。

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大切なのは「答え」ではなく「問い」

半年くらい前でしょうか、

NTTドコモのキャッチコピーで

「ひとりひとりに、こたえを」と言うのがありました。

言葉の響き、なかなか素敵じゃないですか、

私は、悪くないセンスだな、と思いました。

でもその一方で、疑問が頭をよぎりました。

「私たちの『答え』って、業者から出してもらうもの?」

フツーの人、こんなこと考えるほどヒマじゃありません。

ワタクシ、ヘンクツですから…。

思うに私たち、今まで「答え」を

誰かに依存してきた気がするんです。

それがあれば幸せになれるって保証なんてないけど、

そう宣伝されて「これからはそう言う時代だ」って

思い込まされて。

別に冒頭にドコモの例を挙げたからではありませんが、

今、問題とされている携帯電話のガラパゴス化なんて

まさにその結果としか思えません。

10数年前からでしょうか、新機能新機能の目白押しで、

私たちが本当にそれが必要か、と言うよりも

メーカーや電話会社の開発した新機能が

イコール「新しい」イコール「いいもの」って

錯覚してしまった、買ってしまった、

その結果、私たちの「携帯電話」、

随分と無駄に「高性能」になってしまった気がしませんか?

携帯電話の例で言えば、どうして私たちはあの時、

「本当にそんなの必要なの?くだらなくない?」って

自分に問うて、そっぽを向くことができたはず

(少なくとも携帯電話の機能は、パソコンと比べて、

仕事と言うよりも趣味的な比重が高いので、

「私には必要ありません」と言いやすいはずなんです)

そうしたら、こんな現象は起きなかったでしょうね。

もっと古く、もっと重い例を出せば、70年前

あの戦争に向けて、国民の多くが賛同しました。

冷静に考えれば、それが良いことか得することか、

当時の情報量でも分かり得たことだと思います。

それでも、人々は政府や軍部の「答え」に乗りました。

世論として疑問が幅を利かせていれば(いくら憲兵でも、

大多数の国民を取り締まるのは無理ですから)

犠牲はもう少し軽かったのではないか、と思います。

私は哲学が好きですが、哲学を初めて最初に知るのも、

「大切なのは『問う』ことだ」ということ。

過去のどんな偉大な哲学者の思想よりも

自分の「どうなんだろう?」の方がよっぽど大切だ、

それが哲学なんです。

日本人、そろそろ自分の頭で「どうなんだろ?」

始めてもいいんじゃないかな、なんて思います。

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京急ファミリー鉄道フェスタ

・・・に、行ってきました

(もう3週間も経ってしまいました)

電車好きの子もんすてら。

本命は小田急線ですが、地元は何と言っても京浜急行。

これは楽しまない訳にはいきません。

とは言え、混んでる…。

京急久里浜駅で降りると、改札から長蛇の列。

何かって、会場までの無料バスなんです。

4歳児連れて歩いて行ける距離じゃないから、

仕方ない、並びました。

そして開場、こちらはもっと混んでる…。

そして、子どもと保護者、鉄道マニアさん。

今回の一番の目玉(だと私は思う)は、

もうすぐ引退になる(とこの時知りました)

1000型という電車。

私は、一番京浜急行らしくて好きだったのですが、

ちょっと残念です。

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↑の写真で言うと、一番右側のレトロっぽいやつ。

それから、路面電車みたいな昔の電車。

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こちらは、レトロと言っても、レトロ風

鎌倉を走るバス、りんどう号です。

制服を着てハンドルを握るのはパンダもんすてら。

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一番面白かったのは、Nゲージ鉄道模型。

こんな風に、電車は京急ばかり(1台だけトーマス)

情景も、横浜やら三浦やら、京急沿線です。

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これが、(写真では伝えられませんが)

電車の前にカメラを搭載していて、

走っている電車から見た景色が、テレビに映るんです。

もちろん、観ている子どもたちは巨人のよう。

そして、模型の電車って、速いんですね。

きっと、実物大だったら

120kmくらいは出てるんじゃないかな、

画面を観ていて、乗り物酔いしそう…。

周りのママさんたちのコメント、

「男の子たちが鉄道にハマる気持ち、わかる」

私も、同感です。

とは言え、鉄道マニアさんと同じ世界には、

なかなか入れそうもありませんが…。

帰りは、車庫内の乗り場から、

臨時列車に乗りました。

駅ではないところで電車に乗るのは初めて。

何から何まで、楽しかった一日でした。

もんすてら。も「また来たい!」と。

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保育現場から見た日本Ⅲ

日本社会って、どうもうまくいってない…、

その原因が、「基本的自尊心」のなさである、

そのルーツは、乳幼児期の頃の処遇ではないか、

と、前回までで書きました。

さて、我が国の子どもの処遇、ですが、

現状決して、豊かとはいえません。

私は保育園で働く者なので、そこからの問題提起ですが…。

まず、誰にも問題の見えやすい待機児童問題。

働きたいのに働けない人がいる、とよく言いますが、

それだけだったら、大人の都合でしかありません。

「みんなが質のいい保育」を受けられる事で、

大人も安心して働けるし、子どもも健全に成長する、

結果、最初から書いている「いい日本」ができる。

だから、問題意識は量だけに留まらない、

質と量の両方を探らなければなりません。

保育園で子どもが過ごす時間は、平均して11時間

(親の勤務時間9h+通勤2h)、起きている時間の大半です。

そこでの経験が、人間形成に大きな影響力を持つ、

私のような発達についての素人でも、それはわかります。

私は公私両方の局面で、いろんな保育園を見てきました。

感じるのが、「子どもが溢れている」ということ。

大人なら絶対にストレスになる人口密度

(子どもは身体は小さいけど、動きは速く大きいので

その意味では大人以上の面積を必要とします)

決してゆとりあるとは言えない保育士数。

公立や社会福祉法人立の保育園は比較的良いのですが、

建設に補助金の出ない民間の保育園は本当にイモ洗い、

無認可の保育園になると、環境は更に厳しくなります。

これ以上の詰め込みは明らかに人権侵害、

きっと、誰でもそう感じることでしょう。

この、決して豊かとは言えない保育園の面積や人員は

「児童福祉施設最低基準」で定められたものです。

つまり、この基準そのものが決して豊かではない、

と言っていいと思います。

この「最低基準」、戦後の混乱期に

「みんな貧しいから、子どもに豊かな環境は無理だけど

まず頑張って働いて、少しずつ改善していこうね」

そんな趣旨で、ごく最低限のレベルで制定されました。

ところが、戦後60余年、ほとんど改善されず、

現在に至りました。その結果が、今の「イモ洗い」です。

日本国民、戦後のようなバラックに住んでいますか?

重い荷物をリアカーで運ぶ必要ありますか?

いろいろあるけど、あの頃よりずっと豊かになりました。

それでも、貧しいままの水準を保ってしまいました。

他の先進諸国の基準と比べても、面積・保育士数とも

だいたい半分くらいしか保障できていない状態です。

待機児問題にしてもそう、現状こうなることは、

数十年前から、保育関係者や識者は予想し、

増園を求めてきたのに、それはほとんど叶いませんでした。

今、待機児を理由にこれ以上子どもを詰め込むことは、

大人たちの無策を子ども達に押しつけるだけだと思います。

日本は、子どもを置き去りにして大人が豊かになった国、

私はそう思っています。

話は振り出しに戻りますが、

そんな環境下で育てられた日本の子どもたちが

大人になってつくってきた国が、今の日本です。

「三つ子の魂百までも」と頭に置きながら

外国に比べて貧しいる保育環境を比べると、

日本社会の「うまくいかなさ」はむしろ当然に見えます。

もっと、広い空間や自然の中で思い切り遊んだり、

大人とゆったり心を通わせる経験をたくさん積んだら、

「基本的自尊心」は育まれたのではないでしょうか。

みんなが幸せになれる素敵な日本社会は、

そこからできるのではないでしょうか。

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