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2010年8月

夕食後のMoonlight Swim

子どもの頃、夜にプールや海で泳いでみたい、

そんなこと、思った記憶、ないですか?

以前、「私の英才教育」で、子もんすてら。を

「本当の海好きに育てる」と書きました。

そのために、とにかく今は

海を楽しませること、海で遊び込ませること

それだけを心がけています。

同じく以前書いた

子もんすてら。との優雅な時間」のように、

夕方や早朝に近くの海で遊ばせるのも、その一環。

↑って、リンク連発でウザい?

で、夕方や早朝の海水浴だけなら、

離島や海辺の子なら、やるかもしれません。

でも、私たちには「そこまでするか?」があります。

それが、夕食後のMoonlight Swim

もちろん周囲は真っ暗、月明かりだけの海水浴です。

寒くないの?

海水の温度は、真夏より秋口の方が高いのでヘーキ

恐くないの?

浅瀬なら…ね。内海なので波もないし。

夜、寝るの遅くならない?

かえって疲れて寝つきが良くなります。

目標ができて、夕飯もしっかり食べてくれるし。

すぐ近くに、湾で囲まれたビーチがあるここだから、

それも、今の季節でしかできないあそび。

これが私の、子育ての1ページです。

翌日の朝ごはんは、泳ぎながら採ったアサリで

パスタでもつくろうかな。

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「冷や奴」の食べ方

夏の美味と言えば、西瓜、かき氷、枝豆や冷や奴、

その冷や奴ですが、どうやって召し上がりますか?

怪訝な質問、でしょうか?

カツオ節、葱、そして醤油、お好みでおろし生姜や大蒜etc

甘党の私は、ジャムをかけてドルチェとして頂くのも好き。

特に、島豆腐のように水気の少ない濃厚なお豆腐に

ブルーベリージャムをかけると、なかなか素敵です。

って言うと、反応は2つに分かれます。

「あ、それ美味しそうかも!」「え…、気持ち悪~い」

まずもって、「うん、それ美味しいよね」と

自らの経験で同感した人には会ったことありません。

ここで思うのが、後者「気持ち悪い」のコメントについて。

さて、どうして気持ち悪いのでしょう?

食べ物の好みなど、人それぞれ。

食べてみて、本当にそう感じる人もいると思います。

ただ、食さずしてそう言うなら、ちょっと残念。

醤油をかけて食べるもの、って決めつけたら、

新たな美味しさを逃すことにもなりかねません。

別に豆腐の食べ方だから、逃したっていいけど、

これ、いろんな事に言えることで、

試さずして遠ざけちゃうって、よくあると思います。

でも、果たしてそれでいいのかなぁ。

いろいろ知った方が、人生楽しいと思うけど…。

ところで、私が一番好きな冷や奴は、

やっぱり、カツオ節と葱、そこに醤油。

普通の食べ方が一番美味しいとは思いますけどね。

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獅子の子落とし

私が勤めるぱいなぷる保育園では

「ばら組」と言う一時保育のクラスがあり、

毎日違う子が利用しています。

ここに、認可の措置を待ちながら

ばら組を利用するA君と言う子がいました。

車が大好きなA君は、ちょっとひっこみ思案。

ばら組のB先生と、ばら組によく入る私には

とてもなついていましたが、

たまにクラス合同の場があっても、

認可のクラスの保育士や子どもたちとは

なかなか打ち解けられません。

彼にとっては、少人数でいつもB先生がそばにいる

ばら組がとても居心地がいいみたい。

そんな折、彼に認可の措置が決まりました。

A君、晴れて待機児から認可園の利用児になれました。

お母さんはとてもホッとした顔。

そしてA君は同い年の「ゆり組さん」に引っ越しです。

措置が決まってから実際に利用するまでの間、

軟着陸のために、少しずつゆり組で過ごす時間を設けました。

が、案の定彼はなじめません。

同じく車が好きな男の子は、いっぱいいます。

でも、みんな活発に車を走らせたりしてあそんでる。

ところが、一人でたくさんの車を並べて

とにかく静かにゆっくりあそぶのがA君のやり方。

同じ空間にいても、あそびを共有しているとは言えません。

彼が馴染まないうちに、入園の日となりました。

もう彼は、完全にゆり組さんです。

でも、ゆり組に行っても、彼がどこにいるか、一目でわかる。

集団の中で、動きが浮いているんです。

そして、私を見ると必ず聞きます。

B先生はどこ?」

それから、彼は毎日、ばら組を覗きに行きます。

窓越しに、ばら組を眺めているA君のうしろ姿、

本当は帰りたい…。何だか、涙が出ます

見ていて、ゆり組の保育士も、B先生もちょっと辛い。

でも、居心地のいいところに安住するのがいい訳じゃない、

このままだと、彼の世界が広がらない、

獅子の子落としの思いで、彼をゆり組に連れて行きます。

それから3カ月、今はゆり組のプールの時間、

真っ黒に焼けたA君があそんでいます。

ゆり組のお友達とも、元気にはしゃいでいます。

私が近くに行くと、みんなで水をかけてきます。

「やめて~」と言うと、勝ち誇った顔

さすが、子どもの適応能力はすごいですね

(もちろん、ゆり組の保育士の努力も)

獅子の子落とし、やってよかったな。

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あの頃の人への思い

前回の記事も65年前の空襲の話、

よく言われるのが「かわいそうだったよね」

うーん、私ももちろん、その印象はあります、が

もうひとつ、絶対に拭えない思いがあります。

誤解を恐れずに言ってしまえば、

(あの頃の人って)バカじゃない?」ってこと。

ひどいですか?非難ゴウゴウ?

ただし、ここで言う「あの頃の人」は大人です。

子どもは例外として聞いて下さい。

「何で『戦争反対』って思わなかったの?」

って、思いませんか?

ここでよく返ってくる反論は、

①「そういう時代だから仕方なかった」

②「思っていても、言えなかった」

③「思ったところで、戦争は回避できなかった」

そうですね、私も、(読みかじり聞きかじりの

浅い知識の限りですが)①②③その通りと思います。

でも、でも、です…、

①確かに、国を挙げての戦争賛美、

入ってくる情報は、どんどん濃くなって

それに反対の意見は次第に影を薄くしていく中では

わからなくもありません。

でも、戦争の悲惨さ、あの頃の日本人も

(それなりに)知っていたはずです。

それをどうして、保てなかったのか…。

「欲しがりません勝つまでは」とか

「撃ちてしやまん」とか、

あの頃の勇ましくも殊勝なスローガン、

あれ、軍部からじゃなく国民がつくったんですよ。

②憲兵が怖い顔をしする中で、「戦争反対」は言えません。

私も、多分、口では「バンザイ」って言ったでしょう。

真っ向から体制に楯突くべきとは思いません。

でも、①にもメゲずに理性を保って、

お腹の中でそれを思うことはできたはず。

もちろん、言動には出ないから憲兵には何もできない。

そして、みんながそう思うと「匂い」で出るんですね。

③戦争は回避できなかったと思います(素人意見ですが)

でも、国民がここまで従順で好戦的でなかったら

政府や軍部は、「一億総玉砕」「本土決戦」まで

言えなかったと思うんです。

今から思うと不完全でも、一応は民主主義国家。

みんなから、「匂い」が出てたら

政府軍部も無視はできなかったはずなんです。

「ね、最近アメリカより国民のがコワいよ。

そろそろトルーマン君にゴメンしちゃおうよ」

って判断が出てきたんじゃないか、そしたら、

ここまで戦災はひどくなかったのではないか、と思います。

歴史にifはナンセンス、と言います。

確かに、意味はないし、そもそも素人の推測です。

でも、大切なのはそこから学ぶこと、

そして感じるのは、同調圧力に弱い現代の私たちが

あの頃と何も変わらないと言うこと。

流行や空気を読んだり、状況で判断することも大切ですが、

どんな時でも、「大切なものは何?」って

常に疑うことではないか、と思います。

追記

815日を過ぎたら、書店からもテレビからも

戦争ものの本や情報が激減しましたね。

何だか、半年違いのチョコレートと同じ扱いに感じます。

まぁ、北京五輪に沸いた2年前なんか、

15日も忘れられてた感じがしたから、

今年はまだ、マシな方かもしれません

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「凧になったお母さん」を読んで

「火照るの墓」で有名な野坂昭如の著作です。

小学生くらいの子ども向けの童話なので、

大人なら10分もあれば読めてしまいます。

でも、私は何だか、とても重い印象を受けました。

主人公のカッチャンは5歳、

昭和16年の8月15日を、たった一人で迎えました。

お父さんは戦地、二人で暮らしていたお母さんは…。

10日前、カッチャンの街を空襲が襲いました。

基地も工場もない小さな田舎町、

B29が、どこかの空襲の余りの焼夷弾を

気まぐれで落としただけの空襲。

身体ひとつで、すぐに逃げればよかったのに、

お母さんは、お父さんの衣服をまとめてから家を出ます。

でも、もう町は火に包まれています。

幼いカッチャンを連れて、安全な所まで逃げられません。

やむなく駆け込んだのが、近所のいつもあそんでいる公園、

消火用にと砂を供出された砂場の跡の窪地でした。

周りを業火に囲まれて、二人は逃げ場を失います。

公園の桜の枝は、炎で満開。

砂があれば、潜れば少しはしのげるのに…。

熱風に晒されたカッチャンの顔は何とも苦しそうです。

そこで何とかカッチャンを助けたいお母さん、

滝のような自分の汗をカッチャンの顔に塗りました。

一時、カッチャンの顔に潤いが戻ります。

でも、汗はすぐに出なくなりました。

そしたらお母さん、何もしてあげられない自分が

悲しくなったのでしょうか、涙が出てきました。

これなら、とどんどん悲しい事を考えました。

カッチャンが生まれた日、ハイハイの思い出、

卒乳には、乳首にカラシを塗りなさいと言われたけど、

カッチャンがかわいそうでとてもできなかったこと、

お父さんと3人で、この公園で遊んだのは最近のこと。

溢れた涙をカッチャンの頬に塗りました。

そして遂に、涙も出なくなりました。

煙のせいか、涙が枯れたせいか、

もう、お母さんは目も見えなくなりました。

お母さんが幼い頃を思い出したのが通じたのか、

ふと気がつくと、カッチャンは

お母さんの乳房を吸っています。

そこで「あとでいくらでも吸わせてあげるからね」

と、お母さん、カッチャンの口から乳房を引き抜き、

母乳を顔に塗りました。

この方が、いくらかカッチャンも楽そうです。

しかし、火の勢いよりも先に、母乳が尽きました。

どこかに水はないのか、と考えたら、

お母さんの身体中、毛穴と言う毛穴から、

血が吹き出し、カッチャンに注がれました。

そして火が消え、夜が明けました。

空襲の後は、必ず強い風が吹きます。

カッチャンを守るように覆い被さったお母さん、

身体中の水分を使い果たしたお母さん、

干物のようにカラカラになったお母さんは、

その風に吹かれて、飛んで行ってしまいました。

8月15日、

孤児となったカッチャン、

10日間、何も食べていないカッチャンも、

お母さんと同じように、カラカラでした。

そして、風に吹かれて、

お母さんのいる空へ飛ばされて行きました。

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私の英才教育

私は、幼児に英才教育は無意味、って考えています

何故なら、発達段階にある乳幼児は、

ものすごいスピードでいろんな物事を吸収します。

生活する事あそぶ事、そこから「生きる力」を吸収します。

それ自体が、どんな塾よりも効率のいい試みなのです。

それを飛ばして勉強なり音楽なり運動なりを詰め込む、

その間、吸収できなかった「生きる力」の欠如は

私たち大人の社会を確実に蝕んでいます。

ですがこの夏、私は一つの英才教育を始めました。

それは「子もんすてら。を本当の海好きにする」。

目標は、あくまでも海が好きな人間、

別に、将来の就職を(海猿みたいな)海関係にするとか

マリンスポーツでインターハイを目指すとか、

そんなことは考えていません。

ただただ、「海が好きな人」にはなってほしい。

好き、って言うのは、夏に海水浴に行くだけじゃなく、

「海とともに活きていく」って思える人。

海って、あそぶ場所なだけじゃなく、生命の源でもあり、

魚介類等、生きる糧(食材)を提供してくれる場所だし、

もっと大きな規模で言えば地球の大気や気温を

安定させてくれる、大きな大きなエアコンでもあります。

それらに感謝したり、楽しんだり、

海と一緒に生きていける人になってほしい。

食事のおかずはほとんどが魚(我が家は3人とも、

肉より魚が好きなので誰もストレスになりません)

休日はもちろん、平日も週に2回くらい、

早朝か夕方に海で泳いだり、夕陽を眺めたり、

夏の間はとにかく海であそばせます。

食卓の魚は地魚ばかりなので、泳いでいると

もんすてら。でも見ることが出来ます。

地元の海では潮干狩りもできるので、

自分で採ったアサリがパスタやお味噌汁になることも。

食卓と海とのつながりを感じてくれるように。

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「海ってきれいだな、楽しいな、美味しいな」

そう心から感じられる人、

海から「生きる力」をもらえる人、になってほしいな。

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♪晴れたらいいねⅡ

先日の日曜日、子もんすてら。と

姉の子がじゅまる。と父と4人で、

奥日光にハイキングに行ってきました。

中禅寺湖の上にある光徳牧場で休憩して、

そこから車でまた登ったところからスタート。

ハイキングと言っても、登山ではなく、

林道から目的地の切込湖・刈込湖まで

下って行って、同じ道を登ってくるコース。

最初に、東京都北区の林間学校の小学生たちとすれ違い。

元気に歩くもんすてら。・がじゅまる。を見て、

「ほら、こんなに小さな子も頑張ってるゾ!」と

先生がヘバッてる生徒にハッパをかけます

実は私も北区出身、同じ林間学校に行きました。

歩くコースもほとんど同じ、

姉からは「ハイキングは本当につらいよ」と

当時聞かされ、雨天中止になったのを喜んだものでした。

「この子たちの姿、約20年前の私もこうなったのか」

今となっては、行けなかったことが

よかったような、ちょっと残念なような。

ひたすら下ると、涸沼と言う湿原に出ます。

2000m級の山に囲まれた、広い湿原。

何だかとても幻想的。子どもたちも嬉しそうです。

ここでお昼ごはん

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実は私、金→土とお泊まり保育(仕事)で疲れている上、

30分前に父親が、

いろは坂を時速80kmで飛ばしたおかげで

(↑ありえなくないですか?子どもも乗せてて)

車酔いのダメージから回復しておらず、

重い身体、進まない食欲…

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さて、この湿原を越えて湖へ向かいます。

1時間後(大人なら30)

切込湖・刈込湖に着きました。

私と子どもたちは、裸足になって水あそび。

湖の水って、海水よりずっと冷たいですね(当たり前)

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刈込湖

この右奥の細まっている先に、切込湖があります。

2つの湖が、ひょうたんのような形。

歩いてしか行けない湖って、神秘的ですね。

そして帰り道。雨も降りそうなので急ぎます。

しかし、子どもたちのペースに合わせるの、しんどい

そして涸沼湿原を越えたら、後はひたすら登り坂。

お泊まり明け+車酔い+子どものペースで疲れたワタクシ、

さっきの小学生と同じ状態になりました…。

って言うか、下りって登りより足に負担かかるんです。

下りでガクガクになったヒザで登る急な坂

もちろん、子どもたちも同じ。

ほとんど引っ張り上げるように登らせました。

そして中禅寺湖畔の温泉、

こちらは写真は載せられませんが(これまた当たり前?)

ホテルのお庭が素敵だったので撮りました。

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帰り道、車の中でちょっとハプニングが…。

子もんすてら。が風船みたいなゴムの入れ物に入った

アイスを食べていたところ、風船がパンク

アイスが車内に飛び散りました。

父はカンカン私と子どもたちは爆笑…、でした。

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「遊び込む」と言うこと

保育士の仕事は、一言で言えば「子どものあそび相手」

あそびの主体は、もちろん子どもです。

保育士も、楽しまなきゃいい雰囲気つくれないけど

(やってらんないし)

子どもが、自分であそべている、遊び込めている、

その環境設定をするのが、保育士の仕事です。

何であそび込めるかは一人ひとり違うし、

同じ子でもその時々で興味の対象は変わるなか、

子ども自身をあそびの主体とし、かつ遊び込める状態、

簡単なようで、難しいテーマです。

でも、子どもは遊び込むことで成長もするし

(漫然とあそんでいた経験とは影響が違います)

遊びこんでいる方が状態が落ち着きます。

ウロウロしたりしなくなる分、危険も減るので

大人にとっても、楽になります。

逆に、遊び込めていない子はウロウロします。

一日を終えてみると、使った労力に比べて満足度が低く、

不機嫌だったり、夜、寝つきが悪かったり…。

さて、この「遊び込む」こと、

私たち大人も、できているでしょうか?

流行や新商品には飛びつく、

とても知性があるとは言えないテレビ番組を見て、

お腹が痙攣するほど爆笑する、

日々それを繰り返していく人々、

自分であそびを見つけているというよりは、

テレビや周りの人がそうしているから、で

何となくそれを楽しんでいるように見えます。

到底、自分であそんでいるとは思えませんし、

ましてや遊び込んでいるとは言えません。

それでも、それなりに楽しむことはできるのでしょうが

(この、「それなりに楽しめる」ってのが

問題を見えにくくする元凶ではないでしょうか?)

今の日本社会、何か変だよおかしいよ、って思う人、

多いと思いますし、私もその一人です。

これを解決するのには、どうしたらいいですか?

経済成長?科学の進歩?

そんなものは過去にいくらでもありましたが

その結果が今、これです。

政治だって、政権が代わっても、解決していません。

大事なのは、経済でも科学でも、政治でもないんです。

ここで私が投げかけたいのが

「私たちがあそび上手にならなきゃ」ってこと。

私たちが、自分で遊び込めるだけのあそび上手になれば、

一人ひとりの人生が楽しくなります。

人生を楽しんでいる人は、他の人に優しくできます

(何とまぁ、幼稚な論理)。

人に優しくされた人は嬉しいし、もっと優しくなります。

あとは、悪循環ならぬ良循環です。

流行を追わないから、無駄な消費も減ります。

環境への負荷も小さくなって、空や海がきれいになり、

外で遊ぶのも、楽しくなりますね。

経済は、短期的な消費はなくなり縮小しますが、

本当に価値のあるものが残り、安定した状態になります。

失業や倒産は激減するでしょう。

みんなが安心できる世の中になれば、

一人ひとりの人生が楽しくなります。

おや、12行上に戻りましたね。

ここから先は、2回目の良循環です

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