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あの頃の人への思い

前回の記事も65年前の空襲の話、

よく言われるのが「かわいそうだったよね」

うーん、私ももちろん、その印象はあります、が

もうひとつ、絶対に拭えない思いがあります。

誤解を恐れずに言ってしまえば、

(あの頃の人って)バカじゃない?」ってこと。

ひどいですか?非難ゴウゴウ?

ただし、ここで言う「あの頃の人」は大人です。

子どもは例外として聞いて下さい。

「何で『戦争反対』って思わなかったの?」

って、思いませんか?

ここでよく返ってくる反論は、

①「そういう時代だから仕方なかった」

②「思っていても、言えなかった」

③「思ったところで、戦争は回避できなかった」

そうですね、私も、(読みかじり聞きかじりの

浅い知識の限りですが)①②③その通りと思います。

でも、でも、です…、

①確かに、国を挙げての戦争賛美、

入ってくる情報は、どんどん濃くなって

それに反対の意見は次第に影を薄くしていく中では

わからなくもありません。

でも、戦争の悲惨さ、あの頃の日本人も

(それなりに)知っていたはずです。

それをどうして、保てなかったのか…。

「欲しがりません勝つまでは」とか

「撃ちてしやまん」とか、

あの頃の勇ましくも殊勝なスローガン、

あれ、軍部からじゃなく国民がつくったんですよ。

②憲兵が怖い顔をしする中で、「戦争反対」は言えません。

私も、多分、口では「バンザイ」って言ったでしょう。

真っ向から体制に楯突くべきとは思いません。

でも、①にもメゲずに理性を保って、

お腹の中でそれを思うことはできたはず。

もちろん、言動には出ないから憲兵には何もできない。

そして、みんながそう思うと「匂い」で出るんですね。

③戦争は回避できなかったと思います(素人意見ですが)

でも、国民がここまで従順で好戦的でなかったら

政府や軍部は、「一億総玉砕」「本土決戦」まで

言えなかったと思うんです。

今から思うと不完全でも、一応は民主主義国家。

みんなから、「匂い」が出てたら

政府軍部も無視はできなかったはずなんです。

「ね、最近アメリカより国民のがコワいよ。

そろそろトルーマン君にゴメンしちゃおうよ」

って判断が出てきたんじゃないか、そしたら、

ここまで戦災はひどくなかったのではないか、と思います。

歴史にifはナンセンス、と言います。

確かに、意味はないし、そもそも素人の推測です。

でも、大切なのはそこから学ぶこと、

そして感じるのは、同調圧力に弱い現代の私たちが

あの頃と何も変わらないと言うこと。

流行や空気を読んだり、状況で判断することも大切ですが、

どんな時でも、「大切なものは何?」って

常に疑うことではないか、と思います。

追記

815日を過ぎたら、書店からもテレビからも

戦争ものの本や情報が激減しましたね。

何だか、半年違いのチョコレートと同じ扱いに感じます。

まぁ、北京五輪に沸いた2年前なんか、

15日も忘れられてた感じがしたから、

今年はまだ、マシな方かもしれません

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コメント

戦争を語り継ぐのって難しいですよね
今の子供に何をどこまで伝えればいいのでしょうね
お姉ちゃんなどに何をいっても「フン」って感じで、何かを感じているのかいないのか、馬鹿にしているのか。よくわからない
中学生のYUはまだ原爆の図を見て眠れないくらいなのでこちらは戦争について関心があるみたいですが。。。

投稿: ゆうまま | 2010年8月18日 (水) 20時58分

ちょっと、おひさしぶり。

よく考えたことはなのですけど確かに国民にも責任があるような気がします。
男という人種は基本的に権威・権力が大好きで好戦的だし(これは今も変わってないと思います)。
でも、もし僕があの時代に生きていても何も言えなかったでしょうね。
腹の中ではバカげていると思っていたと思いますが。

関東大震災の時の朝鮮人に対する虐殺。
軟弱外交とか言われ、国民から非難を浴びた某外交官。
国際連盟から脱退した時の国民の喝采。等々。

歴史を紐解くとどこの国の男どもも好戦的なようです。
僕自身も戦争映画、大好きでしたし(今はそれほど好きではありませんが)。
スポーツで戦うことで発散するんだったらいいとは思うのですが(サッカーのワールドカップなど)。

投稿: ばか猫 | 2010年8月19日 (木) 22時16分

ゆうままさん おじゃりやれ

関心を抱いているYUちゃんも、
あまりリアクションの感じられないMIちゃんも、
どちらも今の若者としては自然なんだと思います。
もちろん、全ての子に(いや、大人にも)関心を持ってほしい、
と願ってはいますが…。
子もんすてら。は、今まで地震を恐がってはいました。
以前記事に書いた市電保存館で、震災の写真を見たので。
でも、最近保育園で「かわいそうなゾウ」を読んでもらったりして、
戦争の恐さを少しだけ、わかってきたようです。

投稿: すとれちあ。 | 2010年8月20日 (金) 18時26分

ばか猫さん おじゃりやれ

お久しぶりです。私もなかなか伺わず、すみません。
男性が好戦的だとしても、それ自体が悪いとは思いません。
男性も女性も、その特性があったからこそ、
人類は発展してきたのだと思うし。
ただ、(例えば女性にありがちなブランド志向とかもそうですが)
理性でコントロールはできると思うんです。
それをしないと、みんなが泣くことになるでしょうね。

私も、ばか猫さんと同じく、馬鹿げていると思いながらも
何も言えなかったと思います。
でも、それでいいと思います。
みんなが思えば、思うだけで、何かが変わると思うので。

投稿: すとれちあ。 | 2010年8月20日 (金) 18時30分

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