「凧になったお母さん」を読んで
「火照るの墓」で有名な野坂昭如の著作です。
小学生くらいの子ども向けの童話なので、
大人なら10分もあれば読めてしまいます。
でも、私は何だか、とても重い印象を受けました。
主人公のカッチャンは5歳、
昭和16年の8月15日を、たった一人で迎えました。
お父さんは戦地、二人で暮らしていたお母さんは…。
10日前、カッチャンの街を空襲が襲いました。
基地も工場もない小さな田舎町、
B29が、どこかの空襲の余りの焼夷弾を
気まぐれで落としただけの空襲。
身体ひとつで、すぐに逃げればよかったのに、
お母さんは、お父さんの衣服をまとめてから家を出ます。
でも、もう町は火に包まれています。
幼いカッチャンを連れて、安全な所まで逃げられません。
やむなく駆け込んだのが、近所のいつもあそんでいる公園、
消火用にと砂を供出された砂場の跡の窪地でした。
周りを業火に囲まれて、二人は逃げ場を失います。
公園の桜の枝は、炎で満開。
砂があれば、潜れば少しはしのげるのに…。
熱風に晒されたカッチャンの顔は何とも苦しそうです。
そこで何とかカッチャンを助けたいお母さん、
滝のような自分の汗をカッチャンの顔に塗りました。
一時、カッチャンの顔に潤いが戻ります。
でも、汗はすぐに出なくなりました。
そしたらお母さん、何もしてあげられない自分が
悲しくなったのでしょうか、涙が出てきました。
これなら、とどんどん悲しい事を考えました。
カッチャンが生まれた日、ハイハイの思い出、
卒乳には、乳首にカラシを塗りなさいと言われたけど、
カッチャンがかわいそうでとてもできなかったこと、
お父さんと3人で、この公園で遊んだのは最近のこと。
溢れた涙をカッチャンの頬に塗りました。
そして遂に、涙も出なくなりました。
煙のせいか、涙が枯れたせいか、
もう、お母さんは目も見えなくなりました。
お母さんが幼い頃を思い出したのが通じたのか、
ふと気がつくと、カッチャンは
お母さんの乳房を吸っています。
そこで「あとでいくらでも吸わせてあげるからね」
と、お母さん、カッチャンの口から乳房を引き抜き、
母乳を顔に塗りました。
この方が、いくらかカッチャンも楽そうです。
しかし、火の勢いよりも先に、母乳が尽きました。
どこかに水はないのか、と考えたら、
お母さんの身体中、毛穴と言う毛穴から、
血が吹き出し、カッチャンに注がれました。
そして火が消え、夜が明けました。
空襲の後は、必ず強い風が吹きます。
カッチャンを守るように覆い被さったお母さん、
身体中の水分を使い果たしたお母さん、
干物のようにカラカラになったお母さんは、
その風に吹かれて、飛んで行ってしまいました。
8月15日、
孤児となったカッチャン、
10日間、何も食べていないカッチャンも、
お母さんと同じように、カラカラでした。
そして、風に吹かれて、
お母さんのいる空へ飛ばされて行きました。
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コメント
こういうお話ね、自分が子どもを持つようになってから、真剣に考えるようになりました。
自分だったらと考えれば考えるほどリアルに思えてきます。
怖いけど、知らん顔して通り過ぎてはいけないことですよね。
投稿: クロッカス | 2010年8月16日 (月) 00時26分
クロッカスさん おじゃりやれ
そうですね、私は昔からやたらとこの戦争に関心がありましたが、
子どもを授かってからは一層、リアルに思えてきました。
絶対に、繰り返しちゃいけない歴史ですね。
投稿: すとれちあ。 | 2010年8月16日 (月) 09時18分
昨日、実家から帰る途中で平和資料館と原爆の美術館にYUといってきました
子どものいる今こういうものを見るのはとても辛いです
母だからこそ感じるものなんでしょうか。。。
かっちゃんのお母さんの気持ちも痛いほどわかります、涙が出てきます。。。
戦後65年たちましたね
戦争を知らない人たちが戦争を肯定的に語るようにならなければいいなあ
投稿: ゆうまま | 2010年8月16日 (月) 21時29分
戦争を実際に経験していない私達がいかに
その現実を受け止め
この先の未来にどうつなげるか?
そのためには事実を知ることも大切ですよね・・・
こういう胸が苦しくなる話も
戦争の悲惨な様子の話も
全てが本当にあったこと・・・
想像すらできなくなってきている?
そんな現代の私たち・・・
きちんと向かい合わないとだめですね・・・
もちろん原爆投下や終戦があった夏だけに限らず・・・
ですね
投稿: ぴぐもん | 2010年8月19日 (木) 19時12分
ゆうままさん おじゃりやれ
平和資料館、ゆうままさんの記事で知りました。
埼玉の近くで生まれ育ったのに、
こういったことに興味あるつもりだったのに、
今まで知らなかった自分が残念…。
今度行ってみたいと思います。
そう遠くない未来に、(残酷な表現ですが)
戦争を語れる人はいなくなるはず…。
どうあがいても、少しずつ風化するのは避けられないと思います。
でも、それを少しでも遅らせることはできる、
そして、今まで以上に平和な世の中にすることはできる、
そう信じています。
投稿: すとれちあ。 | 2010年8月20日 (金) 18時20分
ぴぐもんさん おじゃりやれ
私自身も、生まれた時にはほとんど戦争の爪痕はなかった…、
語れる人は減りますし、どんどん風化していってしまいそう、
でも、何とかこれを食い止めたいですよね。
過去のためと言うよりも、未来のために。
投稿: すとれちあ。 | 2010年8月20日 (金) 18時23分