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2010年9月

八丈島に行ってきました2010-Ⅰ

昨年に引き続き、今年も行ってきました、八丈島。

と言うか、八丈島しか行っていません

毎年行って、宿も決まってて、知り合いも結構いて、

感覚的にはほとんど、「里帰り」です。

今年は、パートナーのさるびあ。の体調不良で

子もんすてら。と二人で行ってきました。

実家以外にもんすてら。と泊まりに行くのは初めて。

ちょっと不安の旅立ちでした。

先日、「私の英才教育」で書きましたが、

私は子もんすてら。を「海で育てたい」と考えています。

今回の旅行もその一環。

去年までは、水に浮く事は出来ても水中を見れなかったけど、

今年はゴーグルをつけて潜れるもんすてら。に

きれいな海の世界を見せてあげたい。

例年は飛行機なのですが、

今年はもんすてら。が好きな船にしました。

飛行機と違ってもんすてら。の切符要らないし、

夜出て船室で寝て、朝着くって行程に、

もんすてら。の目もキラキラ。

駅まで送ってくれた寂しそうなさるびあ。を後に、

竹芝桟橋からかめりあ丸に乗りました。

普段、八丈島にはさるびあ丸が行くのですが、

夏の間は100m程しかないかめりあ丸、

最盛期に小さい船にされちゃうとは、八丈島って一体…。

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これは船の中、カメリアって椿、大島の花です。

因みに数年前までは、「すとれちあ丸」って船が

走っていたんですよ

そして出港、レインボーブリッジをくぐって

東京湾をゆっくり南へ。

外洋に出ると速度は速くなりますが、

この頃はもう、夢の中。

船には一等とか特等の船室もあるけど、

私はザコ寝の二等船室が好き。旅情緒があります

(って一等船室に乗れないだけですが)。

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目が覚めたら、トビウオの群れの中を走ってました。

海は凪でしたが、御蔵島を越えるとさすがに揺れます。

酔う人もいましたが、私ともんすてら。は、全く問題なく…。

御蔵島を後ろに、ではなく5時の方向に見ながら走るの

何故だか分りますか?

(しかも船は御蔵島の西側-写真左側-を抜けてきてるんです)

これは、東方向に流れる黒潮に逆らって船が走ってるため。

もちろん、向かう八丈島は11時の方向です。

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船はいよいよ八丈島底土港へ。

さぁて、これからが本番です。

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誤解される「哲学」

私は哲学が好き、好きなだけではなく、

日々の生活はその実践としています。

ブログに銘打っている「スローライフ」も

もちろんこれと無縁ではありません。

ところがこの「哲学」と言う言葉、

どうも誤解されている気がしてなりません。

私の経験で使われるこの表現は

「お金が全て、それが彼の哲学」

「私の哲学は『人にやさしくすること』」

こんな風に使われたりしませんか?

ここで言われる「哲学」は、

厳密には哲学じゃありません。

これは「思想」とか「世界観」「価値観」

と呼ばれるものです。

(※国語的には「哲学」と言って間違いではありません)

ごく乱暴な言い方をしてしまえば「哲学」とは、

「知について、よ~く考えてみること」

と言えると思います。

「生きるって何だろう」「幸せって何だろう」

「常に変わらない正義なんてあるのかな」

これらについて、疑問を持ったことのない人、

多分、いないと思います。

哲学って、知らず知らず誰でもやっているんです。

それを、「何となく」で終わらせずに、

どこまでも納得できるまでトコトン考える、

それだけなんです。

その結果、冒頭にあげたような、

思想や世界観に辿り着く事は、あります。

でもそれは、哲学そのものじゃ、ありません。

考えに考えた挙句、答えが出なくて

形のある思想にならなくても、哲学は哲学です。

似たような言葉として、「料理」があります。

普通、「料理」と言うと食べ物を作る行為を指します。

でも、その食べ物も「料理」って言いますね。

つくる行為とその結果の作品が同じ言葉で表現されます。

どちらも日本語としては正しいのでしょうが、

本来の意味は行為ですね。

「哲学」もまた、同じと言っていいでしょう。

思うに、学校などで私たちが哲学って学ぶ時、

昔のエライ人の思想などを覚えさせられませんでした?

あれは確かに哲学の作品ではあるけど、

それを覚えることは哲学でも何でもない。

なのに、そればかりがイメージに残っている、

それが「哲学」の誤解を招いている気がします。

ぶっちゃけた話、こんなエライ人の思想を

これっぽっちも知らなくても、哲学はできます

(知ってた方が、ヒントにはなりますが)

逆に言えば、知ってたからって

それだけじゃ哲学になんかなりはしません。

自分の頭で妥協なく考える、哲学ってそれだけ。

それだけですが、せっかくある脳ミソを

無駄なく楽しく使えるようになる気がします。

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祭りはあと

「後の祭り」って言葉があります。

残念だけど、手遅れって意味ですね。

前向きにとらえるなら、ジタバタしても仕方ない。

「祭りのあと」って言葉もあります。

日本人のワビサビを表していますね。

でも、私が書きたいのは「祭りはあと」

お祭りって、私も好きです。

鎌倉やら葉山やら子もんすてら。と二人で、

近隣のお祭りにいろいろ顔を出しました。

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もちろん、地元のお祭りも参加しました。

こちらは、多少なりとも手伝いにも参加。

その時、感じたことです。

お祭りって、終わってからの片づけが楽しい

参加した人みんなで、力を合わせて片付ける、

片付けるって言うとネガティヴですが、

みんなで日常の「町」をつくるって感じ。

何か、いいなぁって思いました。

でも、これを味わえるのって、

地元のお祭りだけなんですよね。

よそのお祭りは、楽しむことができても

片付けることはできない。

やっぱり、地元が一番だ、って思いました。

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共演~結ばれぬ思い

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我が家でのバルコニーの一幕、

両思いのロミオとジュエリエット?

片思いのシラノドベルジュラック?

でも、そんなけなげさはあまり感じさせない、

暑苦しい我が家の「華」たち。

たとえ見た目が派手でも、

心に秘めた思いは、人知れず…。

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実は、双子だったりします。

我が家のストレチアたち。

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「自由」と「つながり」

「自由」って好きですか?

あまり悪い印象を持つ方はいないと思います。

私も、最大限尊重されるべきもの、と考えています。

ですが、この「自由」について、

ちゃんと考えたこと、ありますか?

よく言うのが、「自由と責任は表裏一体」

責任なくして自由を訴えるのは、稚拙ですね。

私は最近、一つの事に気がつきました。

「自由って、人と人の分断だ」

自由を大切にすると、どうしても個人主義になります。

私は私、私の自由、

他人に干渉することは自由の妨げになります。

そう考えると、自由って、ちょっと寂しい…。

ところで、私の最大のテーマは、「つながり」

いきなり言うとジンマシンが出るかもしれませんが、

「親と子のきずな」

「やさしくされたらうれしい」

「強火で焼いたら焦げる」みたいなもの。

人間関係や因果関係もその中の一つですが、

その性質上、場面場面で「自由」と対立します。

思えば、人間はこの両テーマについて、

揺れ動きながら成長する気がします。

乳幼児の頃は、パパママとのつながりが全て。

思春期頃になると、自我も強くなって

自分は自分、と自由を謳歌します。

が、子を授かり、自分より大切な存在ができたり

老いて誰かに頼らなければならなくなったりすると

再び「つながり」の強さを意識せざるを得なくなります。

西洋は自由を重んじた個人主義、

東洋は「つながり」を重んじているのも、

西洋の精神的バックボーンであるジーザスは

東洋のそれにあたるブッダや老荘孔に比べ

布教も享年も若かったから、と

いくつかの本で読んだことがあります

(単純に言えることではないのでしょうが)。

私も自由を尊重したい個人主義者です。

その私が、「つながり」をテーマにするって、

自分の中に自己矛盾がある気がしますが、

何故ならそれって、「どっちも大事」だから。

どちらかだけでは、人は生きていけません。

一人として尊重されて、でも助け合って、

何とか生きているのが、人間じゃないでしょうか。

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「女」と言う武器、「女」と言う盾

「女を武器にする女」ってどう思います?

この記事を読む人には「私だよ」って人は

あまりいないのではないかと思いますが…。

仕事や恋愛以外の人間関係で(恋愛で「女」を

武器にするのはある意味当たり前ですから)

「女」を武器にするのは、フェアじゃない気がします。

だって、そんなところに性別は関係ありませんから。

少なくとも、あまりいい印象は持たれませんし、

そう言う人がいるから「だから女は…」って言われちゃう。

でも、どうも私は、この類の女性が嫌いではありません

(いや、実際その場を見たら「いやらしい」って感じますが)

むしろ、それ自体たくましいことだと思います。

何故なら、性別であれ何であれ、

自分の持って生まれたアドバンテージを活かすのは、

誰でもやっている事だし、それで社会は回っている。

身長の高い人は、低い人より何かと有利です。

男性だって、力仕事はもとより、

専門・総合職での信頼は女性より圧倒的に有利。

みんなそれぞれに、なくせない有利不利はあるんです。

その中で頑張ることに、何らおかしい事はありません。

それに、女を「武器」にする女も女だけど、

その「武器」に負ける男も男です。

でも、「女を盾にする女」はどうも好きになれません。

言葉を換えるなら、「女であることを言い訳にする女」

違い、わかります?

女であることを武器にして、前向きに頑張るのと、

「女だからできない、許される」って思ってるの、

全然違うと思いませんか?

もちろん、女と言う「盾」に負けてしまう男も男。

しかも、男性にしか通用しない「武器」と違って、

女性にもこの「盾」に負けてしまう人、多そうです。

悪い意味での「おたがいさま」の意識、

自分もこの「盾」で身を守りたいからでしょうか。

男であれ女であれ、仕事であれプライベートであれ、

前向きに頑張る姿、それが一番カッコイイと思います。

もちろん、「武器」にもしなければ

 もっとカッコいいですけどね

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意外な「震災の跡」

昨日は防災の日、

言わずと知れた、関東大震災のあった日です。

台風やその他の天災と違って、

いつ来るかわからないのが地震、怖いですね。

私たちにできるのは、訓練と備蓄くらい、

命を守るこれら、やっていますか?

私は、一応…(って声が小さくなる程度です)

このブログでは、過去に何回か、

先の大戦の事には触れました。

人の命を殺め、残った人にも不幸を落とす

戦争そのものから、何かを学びたいから。

でも、地震については書いたこと、ありません。

と言うことで今回は、意外な「震災の跡」

戦争と違って、自然災害である地震は

悲しむべき・学ぶべきではあっても、

憎むべきではないと思います。

そして、あまり知られていない関東大震災の跡が、

実は、横浜のとても身近なところにあって、

市民のみならず、日本中の人がここを訪れています。

それが、氷川丸のある山下公園です。

ご存知でしたか?

あの公園は、震災の瓦礫で埋め立ててつくったんです。

だいぶ昔の話ですが、

初夏の頃に子もんすてら。と訪れました。

お花がとってもきれいだったな。

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姉妹都市サンディエゴから送られた水の女神

マリンタワーを背負って、海と氷川丸を眺めます

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公園前の海岸通り、エキゾチックで日本じゃないみたい…

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公園の隣、「人形の家」には

青い目の人形「ポーリン」の像があります。

当時建設中の山下公園を眺めて横浜港に上陸したポーリン、

震災直後のハマッ子たちに、

どれだけの夢を与えてくれたでしょう。

でも、時代の波は彼女らの恩を仇で返してしまいました。

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港の見える丘公園から見ると、こんな感じ。

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ちょっと素敵な「震災の跡」

でも、帰ったらもう一度、家の備えも確認しましょうね

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