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「自由」と「つながり」

「自由」って好きですか?

あまり悪い印象を持つ方はいないと思います。

私も、最大限尊重されるべきもの、と考えています。

ですが、この「自由」について、

ちゃんと考えたこと、ありますか?

よく言うのが、「自由と責任は表裏一体」

責任なくして自由を訴えるのは、稚拙ですね。

私は最近、一つの事に気がつきました。

「自由って、人と人の分断だ」

自由を大切にすると、どうしても個人主義になります。

私は私、私の自由、

他人に干渉することは自由の妨げになります。

そう考えると、自由って、ちょっと寂しい…。

ところで、私の最大のテーマは、「つながり」

いきなり言うとジンマシンが出るかもしれませんが、

「親と子のきずな」

「やさしくされたらうれしい」

「強火で焼いたら焦げる」みたいなもの。

人間関係や因果関係もその中の一つですが、

その性質上、場面場面で「自由」と対立します。

思えば、人間はこの両テーマについて、

揺れ動きながら成長する気がします。

乳幼児の頃は、パパママとのつながりが全て。

思春期頃になると、自我も強くなって

自分は自分、と自由を謳歌します。

が、子を授かり、自分より大切な存在ができたり

老いて誰かに頼らなければならなくなったりすると

再び「つながり」の強さを意識せざるを得なくなります。

西洋は自由を重んじた個人主義、

東洋は「つながり」を重んじているのも、

西洋の精神的バックボーンであるジーザスは

東洋のそれにあたるブッダや老荘孔に比べ

布教も享年も若かったから、と

いくつかの本で読んだことがあります

(単純に言えることではないのでしょうが)。

私も自由を尊重したい個人主義者です。

その私が、「つながり」をテーマにするって、

自分の中に自己矛盾がある気がしますが、

何故ならそれって、「どっちも大事」だから。

どちらかだけでは、人は生きていけません。

一人として尊重されて、でも助け合って、

何とか生きているのが、人間じゃないでしょうか。

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コメント

ちょっとずれるかもしれませんが、仕事上、「自立自尊」が大切だ=自由でいいけれど自分で自立していこう。というのと、共助=支えあい、つながり。という言葉をよく使います。
やはりどちらかだけでは、世の中回らない。
自由でいるのはいいけれど自分勝手では困る。なんでも人におんぶ抱っこではこまるけれど支え合いがないと生きていけない
最近特にこういうことを忘れがちな世の中
新しい菅政権には期待できるかなあ

投稿: ゆうまま | 2010年9月16日 (木) 21時14分

すとれちあ。

ゆうままさん おじゃりやれ
そもそも、本来の【自由】って、裏に【責任】があって、
両隣には【平等】【博愛】があったりして、単品じゃないんですよね。
だから、突出しちゃってる今(の一部の人)は、
ちょっとはき違えちゃってるのかな、って気がします。
ゆうままさんのコメントの中の言葉を使うなら、
【共助】を保つ範囲内での【自由】、または【自由】に【共助】する、
ただ、人はどうしても【共助】より【自由】に流れがちだから、
前者の考え方の方がバランスがいいのかな…。

最後のコメントですが、私は(菅さんや民主党がいいとか悪い
じゃなく)政治そのものにあまり期待ができないと思っています。
先に変わるべきは、私たちの意識かな、と。

投稿: すとれちあ。 | 2010年9月20日 (月) 10時23分

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