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誤解される「哲学」

私は哲学が好き、好きなだけではなく、

日々の生活はその実践としています。

ブログに銘打っている「スローライフ」も

もちろんこれと無縁ではありません。

ところがこの「哲学」と言う言葉、

どうも誤解されている気がしてなりません。

私の経験で使われるこの表現は

「お金が全て、それが彼の哲学」

「私の哲学は『人にやさしくすること』」

こんな風に使われたりしませんか?

ここで言われる「哲学」は、

厳密には哲学じゃありません。

これは「思想」とか「世界観」「価値観」

と呼ばれるものです。

(※国語的には「哲学」と言って間違いではありません)

ごく乱暴な言い方をしてしまえば「哲学」とは、

「知について、よ~く考えてみること」

と言えると思います。

「生きるって何だろう」「幸せって何だろう」

「常に変わらない正義なんてあるのかな」

これらについて、疑問を持ったことのない人、

多分、いないと思います。

哲学って、知らず知らず誰でもやっているんです。

それを、「何となく」で終わらせずに、

どこまでも納得できるまでトコトン考える、

それだけなんです。

その結果、冒頭にあげたような、

思想や世界観に辿り着く事は、あります。

でもそれは、哲学そのものじゃ、ありません。

考えに考えた挙句、答えが出なくて

形のある思想にならなくても、哲学は哲学です。

似たような言葉として、「料理」があります。

普通、「料理」と言うと食べ物を作る行為を指します。

でも、その食べ物も「料理」って言いますね。

つくる行為とその結果の作品が同じ言葉で表現されます。

どちらも日本語としては正しいのでしょうが、

本来の意味は行為ですね。

「哲学」もまた、同じと言っていいでしょう。

思うに、学校などで私たちが哲学って学ぶ時、

昔のエライ人の思想などを覚えさせられませんでした?

あれは確かに哲学の作品ではあるけど、

それを覚えることは哲学でも何でもない。

なのに、そればかりがイメージに残っている、

それが「哲学」の誤解を招いている気がします。

ぶっちゃけた話、こんなエライ人の思想を

これっぽっちも知らなくても、哲学はできます

(知ってた方が、ヒントにはなりますが)

逆に言えば、知ってたからって

それだけじゃ哲学になんかなりはしません。

自分の頭で妥協なく考える、哲学ってそれだけ。

それだけですが、せっかくある脳ミソを

無駄なく楽しく使えるようになる気がします。

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コメント

ワタシは深く考えるのがどちらかというと苦手
「まあいいや~」
となってしまって。。。
だから生きること、世の中のこと、じっくり考えるなんて仕事でもしていない限りやっていないかも・・・
すとれちあさんのこういう生き方は素敵ですよね。
自分にはできない分、いいなって思います

投稿: ゆうまま | 2010年9月28日 (火) 22時35分

ゆうままさん おじゃりやれ

うーん、素敵と言われると身の置き場が…
でも、ありがとうございます。
生きているうちの99%は、「まぁいいや~」でもいいのかな、と
(私も、よく考えるのの数倍「まぁいいや~」で過ごしてます)。
ですが、たまーに、「ちょっと待てよ」があった方が、
楽しいし有意義かな、と思っています。

投稿: すとれちあ。 | 2010年9月30日 (木) 09時31分

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