究極のエコ?
昨日から3月ですね。
芽吹き啓蟄花粉症、
嫌でも自然の営みを意識する季節です。
自然と言えば、今、私たちの周りには、
「エコ」なる概念が飛び交っています。
飛び交うという言葉があまりに当てはまるほど、
いろんな局面で出てくるもの。
例えば、ゴミの分別なんて当たり前、
エコマークの商品を買って使うとか、
ハイブリッドや電気で走る自動車に乗るとか、
トイレの便座の蓋を閉めてヒータを切るとか、
冷蔵庫の中身をなるべく整理するとか、
挙げればきりがありません。
でも、「エコ」ってそもそも何?と考えると
生産的なものでは絶対にないんです。
どんなに頑張っても足し算にはならなくて、
引き算の減数をなるべく小さくできるだけ…。
だから、いろんな「エコ」ができると言う事は
それだけ私たちが、環境に負担をかけている
って事実があるに過ぎません。
と考えた時に頭をよぎるのは、
「私たちは環境にとって、寄生虫みたいなもの」
と言う切ない事実。
環境にとって、私たちにできる最大の貢献は
「死ぬこと、絶滅すること」なんです。
これは真実でしょう。科学的にも正しいと思います
(そしてそれは、2000年以上も前に仏教では「業」、
キリスト教では「原罪」として扱われてきました)。
この事実の前には、
「エコ商品を買ってエコに貢献しよう」なんて
体のいい宣伝文句にしか聞こえません。
ですが、これは本当に正しいのでしょうか?
理屈では言えないけど、私は間違っていると思います。
「エコ」なんて言ってるのは人間だけ。
その人間が、自分を否定する結論を出すのは、
たとえ世界中の動植物が喜んでも、間違ってる。
やり方はいろいろあるにせよ、
私たち人間が提示する方法は、
人間と自然が共生できるものでなければいけない、
人間が自然に感謝できなければならない。
私たちが、環境に貢献できる、って思いあがりや
エコ商品を必要以上に消費するのは誤っている、
答えはこの両方の間にあるのではないか、と思います。
春のぼやきでした。
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コメント
人間は生活するだけでエコではないですね。と思います
今も私はパソコンを使っていますし、ストーブをつけ、電気もこうこうとついているし、お風呂にさっさと入ればいいのにまだ入っていないし。。。夕食は飲み会だったのですがたくさん残しちゃったし。
そんななかでエコを一人一人が意識することはだいじですよね。
エコ商品を購入するのもいいと思いますが、そもそも必要のないものまで買ったりするのはいかがかなと思ったりね。エコポイントも嘘っぽかったようだし、なかなか何を信じていいのかわかりませんね~
投稿: ゆうまま | 2011年3月 3日 (木) 22時51分
ゆうままさん おじゃりやれ
私たち人間は、傲慢になりすぎているんじゃないか、とよく思います。
その結果が、環境破壊に表れているけど、そうなってもなお、
エコできる、って思う人の多さに問題を感じます。
まぁ、悲観的になっても面白くないですけどね。
私は、人間が自虐的になるのでも、エコの主に君臨するのでもなく、
自然に親しんで楽しみながらそれらを大切にできれば、
自ずとエコは達成できる、と思うんですけど、机上の空論でしょうね
投稿: すとれちあ。 | 2011年3月 4日 (金) 18時48分
エコ商品を必要以上に購入・・・確かに笑える事実ですよねー。
エコ・エコって言葉ばかりが言われ
その本質的なところまでは考えられていない気もします。
本当の意味で、自然と仲良く共存できるといいんでしょうね。
ところで、水族館のウラツアーってできるんですね!
知りませんでした!
いつかトライしてみたいと思います♪
投稿: ゆめ | 2011年3月 5日 (土) 09時08分