わたしたちのこころがまえ
未曾有の…、挙国一致、救国大連立、
節電、自粛、「がんばろう日本」、
震災以来、よく聞く言葉です。
なるほど、確かに大変なことがあったし、
頑張らなきゃいけない、我慢しなきゃ。
それは分かります。
これらを叫ぶ声には、真摯な思いもあるでしょう。
でも、どこかで「酔っている」人も多いと思います。
と言うのは、
被災者や復興支援に携わる方ならいざ知れず、
そうでない大多数の人がすべきこと、
私たちの社会があるべき姿は、
地震があろうとなかろうと、
ほとんど変わりがないのではないか、
と思うからです。
-挙国一致・大連立-
一時、政治の世界では大連立が模索されました。
でも、それが政治のあるべき姿でしょうか。
多数の政党が牽制し、切磋琢磨、高め合う、
それが私たちの民主主義だと思います。
よく見られる、足の引っ張り合いは論外ですが、
与党と野党、異なる立場だからできる、
そんな提案があるはずです。
これは、経済にしてもその他にしても同じこと。
それを、安易に「みんなひとつ」と括ってしまうことは
健全なシステムを壊してしまう事になりかねません。
「みんな違ってみんないい」は、
子どもから大人の世界まで、例外なく適用されるべきです。
-節電-
電力供給がひっ迫しているのは分かります。
でも、節電すべきだったのは震災前も同じこと。
それを、どこか「まぁいっか」があっただけ。
夜は暗いものなんです。
健康な人間は、階段を登ればいいんです。
目的もなくテレビをつける必要はないんです。
そんな当たり前のことを、
忘れていただけじゃないでしょうか。
-自粛ムード-
いろんな事が不謹慎と言われていますね。
お花見、パチンコ、バラエティ番組。
でも、今が不謹慎ならいつだって不謹慎なんです。
本当にそう思うなら、卒業するべき。
そう思わないなら、それなりにあってもいい。
自粛したって被災者が助かる訳じゃありません。
雰囲気に酔って、損失を受けた景気を
一層冷え込ませてどうする?と言いたいところです。
-がんばろう日本-
悪くないフレーズだと思います。
頑張りどころだとも思います。
でも、何を目指して頑張るのか、
一向に見えてこない。
そもそも日本人、頑張りすぎと言う人もいました。
もしかしたら、「がんばらなくていい社会」を
つくるように頑張るべきかもしれない。
まずは、方向性を模索することを頑張るべき、
私はそう思います。
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コメント
全く同感です。
こういうことが言いたかったんだけど、うまく言葉に表せなくってモヤモヤしていました。
全く、そう思います。
うんうん、そうそう。
投稿: クロ | 2011年4月15日 (金) 14時43分
クロさん おじゃりやれ
強~く同意して下さって、ありがとうございます

正直、書くのにちょっと勇気が要りました
「あなたは被災した事がないから、そんな風に言えるんだ」
なんて言われたら、返せる言葉はありませんから。
地震があってもなくても、本質は変わらない、
目先の惨状に目を奪われているだけじゃ、
次の困難を生むだけだと思うんです。
私は、「がんばろう」より「しっかりしなきゃ」って言いたいです。
投稿: すとれちあ。 | 2011年4月15日 (金) 18時27分
こんにちは
被災地でもいわゆる『応援エール」がそろそろ辟易と感じられる方もいるようですね
確かに「がんばらなくてもいい社会」が普通であるというのが一丸いいのかもしれません。みんなが、むりに「がんばろう」というムードを作るのはいかがかな。と
でも、ワタシはあえて自分自身は、がんばって自分のできるところから世の中を変えていきたいと思っています。自分自身のできることは小さいことですが、一人が始めなければ何も始まらないこともたくさんあるからです
投稿: ゆうまま | 2011年4月16日 (土) 09時23分
ゆうままさん おじゃりやれ
そうですね。
私たちにはまだまだ、やれること、頑張るべきこと、
実はたくさんある、と言うのは、賛成です。
ただ、私の考えでは、「地震があってもなくても」、と言うことと
ゆうままさんのおっしゃるように、「一人ひとりが」と言うこと、
この2つが前提ですけどね。
一人ひとりが、何かに頑張る、と言うことと
「日本が一丸となって、がんばろう!」と言うのは
似ているようで、何かが違う気がするんですよね…。
投稿: すとれちあ。 | 2011年4月19日 (火) 06時45分