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この秋から奪われたこと

♪きききのこ きききのこ

 のこのこのこのこあるいたりしない…

♪かきねのかきねのまがりかど

 たきびだたきびだおちばたき

秋って、愛らしくも美味しそうな歌がいっぱい。

ですが…

先日、私の働くぱいなぷる保育園に、

市から通達が来ました。

①公園で落ち葉遊びやドングリ拾いをしてはいけない

②しかも遊ばせる前に放射線濃度を測定せよ

③給食でシイタケを提供してはいけない

というもの。

理由はもちろん、福島第一原発事故のあおりです。

②については、

「素人の保育士が計測した数値が信用できるのか」

「各園がそれぞれ同じ公園に測りに行くのは不合理では?」

「保育園には通知が来たが、一般の父母には

もちろん通知は行かない。保育園児だけ安全で良いのか」

と、批判したいことはありますが、まぁ置いときましょう。

私がここで書きたいのは①と③

過剰反応でしょうか、それとも

「君子危うきに近寄らず」でしょうか。

私たち素人には、何とも分かりません。

ひとまず、行政の指示に従うしかないでしょう。

が、せっかく外に出ても、

ふんわり積もった落ち葉やドングリで遊べない…、

「旬の味覚」は食育に不可欠なのにシイタケが出せない。

公園でドングリが落ちてたら拾いたくなるし、

落ち葉がフワッとしてたら蹴散らしたり

持って帰って工作に使いたくなる、それが子どもです。

保育所保育指針にも、「自然や身近な動植物に

親しむことなどを通して豊かな心情が育つようにすること」

と明記されているのですが…。

だからこの通達が間違っている、と言うのではありません。

こう言う配慮が必要になったのは何故?

と問いたいんです。

原発のおかげで、私たちは安く電気を使えました。

それは認めます。でも、その事故の損失はどうでしょう?

原発による損と得は、経済や財政、つまり

○○円と表現できる世界では、よく話されます。

でも、こうした子どもの経験(できなかったこと)

これって、数字には出ませんが、

「子どもたちが大人になって日本社会をつくる」

って考えると、このこと、ボディブローみたいに

後から後から日本のダメージになる気がします。

ぱいなぷる保育園の事務室にいる私の頭上からは

冒頭の歌、子ども達の元気な歌声が聞こえてきます。

でも、何だかそれが虚しく響くこの秋です。

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コメント

教わることがあれば、奪われたこともあったのですね。
どんぐりを拾うのが禁止っていうのは
寂しいですね。。。
子供にとって大きな楽しみなのに・・・

保育士さん、自ら測定なのか。。
いろいろ大変な世の中になってしまいましたね

投稿: ゆめ | 2011年10月17日 (月) 22時55分

ゆめさん おじゃりやれ

指導する行政も混乱していると思います。
私たち素人に測らせておいて、その数値や計測したか否かは
素人計測だから公表できないとか、
言っていることが矛盾だらけですから。

子どもたちは、何があってもなくても楽しむことはできると思います。
楽しむことの天才、それが子どもですから。
ただ、私たちが伝えたいことが奪われてしまっている、
これは避けられない現状ですね…。

投稿: すとれちあ。 | 2011年10月22日 (土) 18時07分

こんにちは
行政の立場としては本当に皆様に申し訳ないと思っています
が、個人的には
行政もたぶん原発関係者のほとんども素人であり
対処療法しかできないのが現実なんだなと思っています
それではどうしたらよいのか
皆様の不安を取り除くためにはとりあえずこのような通知を出して「君子危うきに近寄らず」としておくのが行政としては正解なんでしょうね・・・
ただ、安全性についてはワタシも全くわかりません
気にする必要なんかないんじゃないかという思いもあれば
小さなお子さんを持つお母さんたちの心配もとてもよくわかります

こういう基準は結局何も分からないまま原発が動いているということですよね。
中国やアメリカやフランスなど世界では原発推進が多数です
日本で大丈夫でも中国の原発でなにかあったら日本に放射性物質は飛んでくるでしょうか
そういう広い意味での危険性を考えたときに
放射性物質とどう向き合っていけばよいのか
その辺をよく考えてほしいものだなあと思います

投稿: ゆうまま | 2011年10月23日 (日) 11時08分

ゆうままさん おじゃりやれ

こうした通知を受けたことは不本意ですが、
私(含め、私の職場の人間も)市や区に対する不満はありません。
いろんな意見と安全が交錯する中で、大変だなぁ、
とは思いますが。

「君子危うきに…」は、行政や教育機関などの、
責任ある立場なら当然の姿勢だと思います。
車だって、何があってもいいように一定の車間距離を開けますしね。
「~だろう」ではなく「~かもしれない」で判断するのが
大人としてあるべき姿だと思います(過度にならずに、ね)。
末端や現場ではそうなのですが、国家レベルになると
どうしてそれができないのか、甚だ疑問です。

投稿: すとれちあ。 | 2011年10月27日 (木) 11時36分

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