学問・資格

本当のお勉強って?

King of Rockエルヴィス・プレスリーは子どもの頃、

学校での授業態度も成績も、散々なものでした。

が、音楽の成績だけはよかったそうです。

音楽は優秀な事も、他の成績が悪かった事も、

彼の「らしさ」を表している気がしますね。

私がここで疑問に感じたのは、

「日本の学校だったら?」

或いは、音楽の成績すら悪かったかもしれません。

ロックの王としての彼はあまりにも偉大だけど、

劣等生に秘められた才能を見抜いた学校教育も、

称賛に値するものだと思います。

勉強って、成績って、何のためのものでしょう?

自然・社会・文化・文字や数字、様々な学問、

私は「生きる力・生き抜く力」を身につける目的に対して

必要な手段だと思います。

ところがこの目的と手段について主客逆転をさせてしまう、

私たち大人が陥りやすい過ちではないでしょうか。

エルヴィスで言えば、

彼は音楽が好きだった、音楽の才能もあった、

それが、成績に繋がりました。

もちろん「生きる力(所得や生き甲斐)」にもなりました。

間違えてはいけないのは、

「音楽の成績のために彼が音楽を愛して、

また才能を持っていた訳ではない」と言うこと。

私たちは、勉強のために生きている訳でも、

勉強のために生きる力を身につける訳でもないのです。

「鉄は熱いうちに打て」

人生のかけだしの幼児期は、まさにこの

「生きる力」を身につけるかけがえのない時期です。

子どもは、自分でもこれらの能力に関心を持ち、

あそびや生活からも充分なほど、吸収をしていきます

(もちろん、環境設定は必要だと思います)

その結果、子どもは個々に様々な能力や興味を持ち、

それが「生きる力」「人生を楽しむ術」として結実します。

その力が就学後の勉強に反映される事もあれば、

残念ながら反映されない事もあります。

しかし、それはそれまでが無駄だったのではなく、

その子が得たものを、勉強が評価できなかっただけの事。

勉強や成績が、全ての力を表せる訳ではありませんので。

しかしながら、私たち大人はどうしても、

数値化できない「生きる力」そのものよりも

数値化できる学校の成績に目を奪われがち。

だから、幼児期に「生きる力」を養うより

学校の勉強を先取りしたくなってしまいます。

そのツケが、確実に日本社会を蝕んでいると思うのですが

本当の勉強って何だろう、

私たち大人が、ちゃんと理解して

「生きる力」を育んでいきたいものです。

さて、今の日本の幼稚園・保育園、保護者と行政、

それをしっかり貫けるかどうか。

幼児期は、学童期の予習期間ではないのです。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

私の仕事と憲法

いまさらですが、5月3日は憲法記念日。

自分の仕事と憲法の関係について、

日々、思っているところを書こうと思います。

実は私、大学での専門は憲法学でした

(こういう、実務にも日常生活にも

あまり役に立たないことが好き。

同じ法律でも、民法や借地借家法なら、

もう少し役にも立つのに…)

私たち、福祉の仕事をする人間にとって、

憲法25条に定められた生存権は、

山の頂のようなもの(遠すぎて、

あまり意識しないというのが本音ですが)

これを実現するのが、意義のひとつでしょう。

加えて、養護と教育を一体として

保育を行う認可保育所では、

憲法261項の「教育を受ける権利」と

親の就労を後押しする意味で271項の勤労権、

これを実現する役割も、あります。

これら憲法で定められた基本的人権の

最前線にいる、これは誇っていいと思います。

が、この最前線にいるのは、

保育士や介護士など、現場の職員。

私のような経理の人間(私はかなり、

現場にも立ってしまっていますが)は

本当の意味での最前線ではありません。

では、私の仕事の意義は何なのでしょう?

それは、やっぱり憲法からも、見出せます。

憲法第89条「公金の支出の制限」です。

「公金は、公の支配に属さないと

使っちゃいけませんよ」

というルールです(保育所の運営費や、

高齢者施設の介護保険収入は「公金」になります)

この「公の支配」に属するために、

福祉施設には、民間企業にはない

様々なルールが課せられますが、

このルールの最前線にいるのが、

福祉の経理なのです。

基本的人権に比べると、

消極的なイメージは拭えませんけど。

でも、国民全体から集まった税金を、

ちゃんと基本的人権の実現に使う、

そんな意義のある仕事だと、思っています。

憲法は、こんな私にも、

やりがいを与えてくれるんですね。

ゴールデンウィーク、終わりですね。

どんな連休でしたか?

私は、結構仕事に追われました。

福祉施設の決算は3月と法で決まっているので、

GWは毎年、多忙です。

これも、「公金の支出の制限」の一端として

甘受しなければなりませんね。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

漢字検定

今は豚インフルエンザがニュースのトップですが、

今年に入ってから、世間を揺るがしたものに、

財)日本漢字能力検定協会(漢検)の不正があります。

詳しいことは書きませんが(不勉強だから…?)

公益な事業を行う法人でありながら、

莫大な利益を上げ、

その利益を適正に管理・運用していなかった、

ということ。

この事実に対して、私の懸念を述べます。

第一に、「漢字の株」が下がらないか?ということ。

漢検が莫大な利益を上げた経緯として、発覚までの

「漢字ブーム」が、あまりに記憶に新しくあります。

私も、受験こそしませんでしたが、

このブームをむしろ好ましく思っていました。

漢検で、ある程度勉強しなければならない

上位級の漢字は、ほとんど

覚えても実務には使えない。

それ以下の級は、履歴書に書けない。

このパラドックスも、

利害より文化・漢字のおもしろさを

際立たせているように思いました。

しかし、今はどうでしょう?

受験者数は激減でしょうし、せっかく取得した級も、

履歴書に書きづらく(資格として使えなく)なっている、

のではないでしょうか?

これは、今まで努力して漢字を勉強し、

受験料を負担して受験・合格したのに、

どちらかと言えば受験者は被害者なくらいなのに、

「泣きっ面に蜂」でしょう。

それに何より、漢字を学ぶ目標の一つが崩れた、

この事実が、私たちの興味関心から

「漢字」の比重を下げないか、と思います。

それは、文化の衰退に他なりません。

もう1つは、公益・非営利に対する世間の目です。

莫大な利益を上げた、と言っても、

営利・民間企業なら、「おめでとう!」でしょう。

これが「不正」となるのは、

漢検が公益・非営利の事業だからに他なりません。

営利・民間企業なら、その事業・商品を

特定の顧客に評価され、その対価を得ますが

公益・非営利は、

特定の誰か、に認められるのではなく、

「特定の誰かではない、みんな」

に認められ、対価を得ます。

その対価は、行政等からの補助金・助成金や

減税という形でなされますが、

これを受けるために、それなりの条件があり、

ボロ儲けはできない仕組みです。

もちろん、

もらった対価の使途も、決められています。

文化や教育と言う「みんな」のために

意義を認められてた漢検は、

これに違反した訳です。

私の勤める保育の世界も、公益・非営利です。

同じように、法により制約が課されますが、

これにより、適正かつ安定した保育がなされます。

が、今、福祉(だけではありませんが)には

自由契約・市場の原理の波が押し寄せています。

公益・非営利の枷も対価も減らしていこう、

利用したい人にサーヴィスを提供し、

その人たちから対価を得る仕組みにしよう、

という流れです。

自由契約でも、保育は、できます。

が、そこに、今のような安定性は、ないでしょう。

人を人として育てたり、支援したりする営みには

どうしても長い、落ち着いた姿勢が必要です。

これには、枷はあっても安定性が必要なのです

(いえ、枷もまた、必要と考えます)

私の世界を例に出しましたが、

これは他の公益・非営利の世界にも言えましょう。

今回の漢検の、

公益・非営利事業としてあるまじき不正が、

それを非難する世間の論調が、勢い余って、

本来、それはそれとして意義のある

公益・非営利の存在意義を

ヒステリックに低く見ないだろうか、

と危惧しています。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

人って、愚かじゃないかも

人間って、愚かだと思います?

人類の歴史は戦争の歴史。

確かに「人間は愚か」と感じたり、します。

でも、戦争の歴史の下に、人は少しずつ、

真理に近づいている、という気もします。

真理。大学で

「人間は真理を追究するが、

真理に到達したと思ってはいけない。

人間は真理に到達しないことが、

唯一私たちが見出した、真理である」と

何かの機会に教わった覚えがあります。

確かに、「これが真理だ~!」とか言う人、

怪しげな新興宗教か、精神疾患か、

いずれにせよ、健全さは感じられません。

しかし、こうも思うのです。

人は真理を見つけたじゃないか、と。

それは、

人にやさしく、だったり、

健康が一番、だったり、

子どもやお年寄りは大切にしよう、とか

ご飯をおいしく食べよう、とか、

人の話は大切に聞こう、とか

自分の意見はちゃんと言おう、とか

仕事はまじめにしよう、とか。

なぁんだ、って感じ、しません?

そりゃね、

宇宙の果ては?とか

神様はいるのか?とか

この世はどうやって始まったか?とか

死んだらどうなるか?とか、

そんな疑問は、解けません。

でも、真理はそんな、

神棚の上にばっかりある訳じゃない。

床の上畳の上、布団やテーブルの上にも、

同じように尊い真理は、ある。

そして人間は、そんな真理を、

とっくに見つけてるじゃ~ん!

って思いました。

あとは、せっかく見つけたこの真理、

踏み外さなければ、人類みな幸せになれる!

これは、真理ではないですけどね。

願望ですが。

| | コメント (8) | トラックバック (0)