文化・芸術

私たちの「楽しさ面白さ」

私は、テレビのバラエティ番組が嫌いです。

理由は、一言で言ってしまうと、くだらないから。

タレントがバカ騒ぎしたり、奇抜な行動をしたり、

時に粗暴、時に卑猥、子どもには見せたくありません。

教育上良くない、と言う人もいますが、

それ以上に私は、「大人として恥ずかしい」から。

新聞のテレビ欄を見ると、所謂ゴールデンタイム、

各社民報はどこもかしこも、バラエティばかり。

NHKのニュース以外、ほとんど選択肢はありません。

これ、視聴者のニーズを汲み取った判断でしょうから、

日本人全体が挙ってそれを求めているかと思うと、

背筋に寒さすら、覚えます。

子どもたちを見ていると、それを一層感じます。

バラエティ番組の模倣が幅を利かせて、

あそびの中にあってほしい創造性が、

奪われていると感じざるを得ません。

そして、社会問題となっているイジメも、

バラエティ番組との関連なしには語れません。

冒頭から、全く歯に衣着せず、書いてみました。

「敢えて」ですが、でも、本音です。

中身のない番組ばかりではないし、

面白いこと、楽しいことは、それ自体、いいことです。

でも、私はやはり、これを否定的したい。

それは、これらが「つまらないから」ではなく、

むしろ「結構面白いから」です。

子を授かる前、私もバラエティ番組を視ていました。

面白いと思ったし、笑わせてももらった。

恐らく、よほど極端な人でない限り、

誰でもそれなりに手軽に面白いとは思える番組。

でも、楽しい、面白いってそんなものでしょうか?

スポーツや文化芸術がいい例ですが、

私は、本来楽しいとか、面白いって感じるには、

それなりに知識や感性、体力や根気が必要だと思います。

テレビのスイッチをつければ誰でも得られる面白さ、

手軽なのはそれ自体悪いことではありませんが、

視る側はついつい、それに依存して、

どうしても、本来の「楽しい」「面白い」を見失いがち。

それに、手軽に堪能できる「面白さ」の味付けは、

やっぱりどぎついまでに刺激的、濃くなります。

それが、粗暴さだったり、卑猥さだったり。

上述の、子どもの創造性の欠如やイジメは、その代償。

だから、長所を含めて、まるごと否定したい。

ちょうど、ジャンクフードの味付けに似ていますね。

安くても、誰でも「美味しい」と思える味付け…。

たとえその中に、栄養価の高い食材が使われていても、

それが人体に与える悪影響を、相殺してはくれません。

人体に危険なものは、何が入っても危険ですからね。

そんなバラエティ番組にも、先月、

BPO放送倫理・番組向上機構)から、

自粛要請が出たそうですね。

上記の思いを抱く私としては、拍手喝采したい。

ですが、ことはそんなに単純ではないのでしょうね。

規制はしたけど、これで番組が良くなる保証はないし、

何より、バラエティ番組と言えど、表現の自由の対象、

関係団体とは言え、

規制も自粛もない方がいいのは大前提です。

(逆を言えば、それだけひどかったのかもしれませんが)

最悪、規制だけで結果をもたらさないなんてことも…。

人を笑わせる、テレビを視て笑う、

本当は、とても良い試みなのだと思います。

視聴者、テレビ局、機構みんなが力を合わせ、

番組の質が、良くなればいいですね。

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この恐るべき絵心のなさ(;;;´Д`)ゝ

ルノワールやモネ、印象派の絵が好きです。

色が溢れ、光飛び交う明るさ、

音楽の話ですが、以前の記事で、

滝廉太郎の「花」が最も好きな歌、と書きましたが、

時代背景も同じころ、

明るい描写には相通ずるものを感じます。

しかしながら、ワタクシ

子どもの頃から、美術についてはまるきりでした。

運動ダメ、美術ダメ、音楽も下手の横好き、

では、何が取り柄なのか、

自分でもよく分かりません。

パートナーのさるびあ。も

あまり絵心がある訳ではなく、

両者の血を引いた子もんすてら。

その絵心は、やはり悲しくなるほど…。

ぬりえが好きなのですが、

ぬりえと言うよりは、

ただ、白抜きの絵の周辺を

グシャグシャと塗っているだけ。

まぁ、絵は下手でも、

生きていくことはできますから。

そんな、センスなし、造詣なし、に

印象派の明るさは、間口の広い門戸。

せめて、下手なりに絵を楽しんでほしいもの。

下手の横好き!の達人(ワタクシ)

の血を引いてるんだから、できるはずですね。

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漢字検定

今は豚インフルエンザがニュースのトップですが、

今年に入ってから、世間を揺るがしたものに、

財)日本漢字能力検定協会(漢検)の不正があります。

詳しいことは書きませんが(不勉強だから…?)

公益な事業を行う法人でありながら、

莫大な利益を上げ、

その利益を適正に管理・運用していなかった、

ということ。

この事実に対して、私の懸念を述べます。

第一に、「漢字の株」が下がらないか?ということ。

漢検が莫大な利益を上げた経緯として、発覚までの

「漢字ブーム」が、あまりに記憶に新しくあります。

私も、受験こそしませんでしたが、

このブームをむしろ好ましく思っていました。

漢検で、ある程度勉強しなければならない

上位級の漢字は、ほとんど

覚えても実務には使えない。

それ以下の級は、履歴書に書けない。

このパラドックスも、

利害より文化・漢字のおもしろさを

際立たせているように思いました。

しかし、今はどうでしょう?

受験者数は激減でしょうし、せっかく取得した級も、

履歴書に書きづらく(資格として使えなく)なっている、

のではないでしょうか?

これは、今まで努力して漢字を勉強し、

受験料を負担して受験・合格したのに、

どちらかと言えば受験者は被害者なくらいなのに、

「泣きっ面に蜂」でしょう。

それに何より、漢字を学ぶ目標の一つが崩れた、

この事実が、私たちの興味関心から

「漢字」の比重を下げないか、と思います。

それは、文化の衰退に他なりません。

もう1つは、公益・非営利に対する世間の目です。

莫大な利益を上げた、と言っても、

営利・民間企業なら、「おめでとう!」でしょう。

これが「不正」となるのは、

漢検が公益・非営利の事業だからに他なりません。

営利・民間企業なら、その事業・商品を

特定の顧客に評価され、その対価を得ますが

公益・非営利は、

特定の誰か、に認められるのではなく、

「特定の誰かではない、みんな」

に認められ、対価を得ます。

その対価は、行政等からの補助金・助成金や

減税という形でなされますが、

これを受けるために、それなりの条件があり、

ボロ儲けはできない仕組みです。

もちろん、

もらった対価の使途も、決められています。

文化や教育と言う「みんな」のために

意義を認められてた漢検は、

これに違反した訳です。

私の勤める保育の世界も、公益・非営利です。

同じように、法により制約が課されますが、

これにより、適正かつ安定した保育がなされます。

が、今、福祉(だけではありませんが)には

自由契約・市場の原理の波が押し寄せています。

公益・非営利の枷も対価も減らしていこう、

利用したい人にサーヴィスを提供し、

その人たちから対価を得る仕組みにしよう、

という流れです。

自由契約でも、保育は、できます。

が、そこに、今のような安定性は、ないでしょう。

人を人として育てたり、支援したりする営みには

どうしても長い、落ち着いた姿勢が必要です。

これには、枷はあっても安定性が必要なのです

(いえ、枷もまた、必要と考えます)

私の世界を例に出しましたが、

これは他の公益・非営利の世界にも言えましょう。

今回の漢検の、

公益・非営利事業としてあるまじき不正が、

それを非難する世間の論調が、勢い余って、

本来、それはそれとして意義のある

公益・非営利の存在意義を

ヒステリックに低く見ないだろうか、

と危惧しています。

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川越

今、何年かぶりに、

NHKの朝の連続テレビ小説を見ています。

最後に見たのが「あすか」だったから、

かれこれ10年近く…。

久しぶりに見る気になった理由は、

この「つばさ」の舞台が川越だから。

今は横浜に住む私ですが、出身は東京の北部。

加えて、歴史の感じられる町が好き

(横浜が好きな理由も、そこです)

となると、川越は必然的に「よく行く街」でした。

お金がなく、時間と元気だけあった

中学高校生の頃は、自転車でも行ったりしたものです

(2時間くらいかかりました。今じゃ、無理です…)

小江戸、と呼ばれるように、

江戸のような庶民的な街並みが続き、

全体的に焦げ茶色の雰囲気。

街の中央には「時の鐘」と呼ばれる時計台があります。

そして、この近くにあるお店に、

私の大好きな芋ソフトがあったり

(すっごくコクがあって「ネチョーッ」

と延びるんです。トルコアイスみたいに)

更に奥に行くと、菓子屋横丁があり、

その後ろを縁取るように、新河岸川が流れます。

この新河岸川が、下流になると

私の好きな歌「花」の舞台となった隅田川となり、

同じく歴史ある街として愛される

浅草や両国を流れるのには、何か縁を感じます。

わらべ唄「とおりゃんせ」も、

この町の三芳野神社が発祥の地とか。

日本的な街、という点で鎌倉と対比されます。

しかし、訪れる観光客は、鎌倉の1/3とか。

鎌倉も、素敵な街です。

私も、家から近いので、

今では川越以上によく遊びに行きます。

しかし、江戸文化を体現する川越は、

武家文化の時代を体現する鎌倉より、

庶民的で面白い、と感じます。

東京を中心とすると、行きやすさでも、

川越の方が、若干優っていると思います。

訪れたことのない方には、

是非お勧めしたい街です。

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児童図書もいい勉強

今年度初の投稿です。

あけましておめでとうございます、

とごあいさつしましょうか

(それには、3日はやや遅い?)

子もんすてら。と、よく図書館に行きます。

自分も本好きだし、

もんすてら。にも好きになってほしいし。

で、もんすてら。と行くのは

もちろん、児童図書コーナー。

それまでは、あまり行きませんでしたが

(そりゃそうか)、行くようになってから、

ひとつ、発見したことがあります。

それは「児童図書がいい勉強になる」ということ。

小学校高学年から中学生レベル向けの、

いろんな解説の本がありますよね。

自然について、社会について、その他…。

これら、もちろん大人向けの本も、あります。

が、大人の私たちがそれを知ろうと本を開くと、

ちょっと難しい…。

忙しい中で、それを読むための時間を割くのは、

やっぱり難しい…。

でも、児童向けの本だと、

さすがに説明も丁寧だし、絵が入っていたりして、

イメージつかみやすいし、スルスル読めます。

レベルが低いのでは?なんて思いません。

それくらいの本に書いてあること、

私たち大人は、実はそんなに知りません。

逆を言うと、これらの本の内容を熟知したら、

相当な物知りになれるはず、

それくらいの、「へ~!」が満載です。

子ども向けの知識とはいえ、

仕事にも私生活にも、大いに役立つはず。

問題は、電車の中や人前で読むのは

ちょっと抵抗がある、くらいでしょうか。

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あかりをつけましょぼんぼりに

3月3日、お雛祭りの横浜は、寒かったです。

三寒四温、これも風情と思えなくも…、思えない。

嫌ですねえ。冷え性+根性ナシは。

おひなさまですからね。

寒いと不平をいうよりも

笑ってぼんぼりつけましょう。

私の勤めるふりーじあ保育園も、

今日は卒園式の練習はお休み、

でおひなさまイベント。

おやつ、席に着いた男の子たちに、

手づくりのかんざし(ダンボール製!)をさした

女の子たちが、ひなあられを配ってました。

(バレンタインとの混同か?)

今日はちょっとかわいらしい「新婚気分」が

あちこちに漂う保育室でした。

子もんすてら。の、ぷるめりあ保育園では

毎月、何かの工作をして、持たせてくれます。

もちろん、今回はおひなさま。

と言っても、ほとんど保育士が作ってくれた上に、

本人はちょっと装飾やお絵かきをする程度。

それでも、昨年の作品に比べると、

各段の成長を感じます。

ま、私の子だから、絵心に期待はできませんが。

子どもの頃から、おひなさまが好きでした。

綺麗で重厚な衣装、透き通ったガラスの目、

細密な御雛道具、揺れるかんざし。

牛車の車輪を回して鳴らすオルゴールは、

ハンドベル等の金属打楽器を好きな私の

ルーツになった気がします。

子ども心にも、

クリスマス、七夕と並ぶ、3大オーナメントでした。

それにしても、今どきのおひなさま、

ちょっとかわいらしすぎる気がしません?

もちろん、かわいいのも大好きですが、

夜中、トイレに起きるのを躊躇しちゃうような

怖い雰囲気がありましたよね。

あの「怖さ」→「妖しさ」→「美しさ」って

つながっている気もするんだよなあ。

それと、

五人囃子の歌う人を「ボーカル」って呼ぶの、私だけ?

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こんなかわいいおひなさまも。

↑と矛盾しますが、ちょっと

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