荒城の月
作曲 瀧廉太郎 作詞 土井晩翠
春高楼の花の宴 巡る盃影さして
千代の松が枝分け出でし 昔の光今いずこ
秋陣営の霜の色 鳴きゆく雁の数見せて
植うる剣に照り沿いし 昔の光今いずこ
今荒城の夜半の月 変わらぬ光 誰がためぞ
垣に残るはただ葛 松に歌うはただ嵐
天上影は変わらねど 栄枯は移る世の姿
映さんとてか今もなお ああ荒城の夜半の月
お花見に代表される現代人の乱痴気と、
その後、満開の枝が装った雪化粧、
そこに見られる人の傲慢さと異常気象に、
この歌の戒めを感じた思いがしたものです。
そして今の日本を取り巻く状況、
今一度、自分の記事を読み返し、
手前味噌ながら、背筋が寒くなりました。
さて、薄気味悪い話はおいといて…
実は私、この歌の作曲者、瀧廉太郎のファンなんです。
そこで、今日はこの歌について少々。
この歌のモデルとなったお城はどこか、
諸説ありますが、以下の2説が特に有力だそうです。
ひとつは、瀧廉太郎の故郷、大分の竹田城と言う説、
それから、土井晩翠の故郷、仙台の青葉城と言う説。
歌詞にも曲名にも、固有名詞は書かれていないので、
私は「両方でいいじゃん」と思いますが、
強いて言うなら、私は青葉城だと思います。
何故なら、この歌は詩が先につくられたから。
その詩を載せるように、後から曲がつくられたんです。
ならば、土井晩翠のイメージをくみ取る方が、
自然な気がします。
(あくまでも、私がそう感じているだけです)。
なお、「千代」は「せんだい」にかかっているそうです。
ところで、桜の季節、私の住む横浜や東京は、
あっという間に過ぎ去ってしまいました。
今、桜前線はそれこそ青葉城のあたりでしょうね。
幸か不幸か、かの地にこの歌が似合う時は
今をおいてないのではないか、と思います。
いえ、照明の消えた首都圏だって同じです。
ですが、花の命は短いけれど、
光豊かな歳も乏しい歳も咲き誇る桜、
人の世の儚さに比べれば、何とも頼もしいもの。
被災地も、日本全体も、一度は傷ついたけど、
もう一度花を咲かせてくれたら、と思います。
話は飛びますが、
先日、山下公園でこんな写真を撮りました。
マリンタワーにかかる飛行機雲。
タワーを中心に、「Y」を描いています
(よく見れば「X」ですが…)。
一度は取り壊しの危機に遭いましたが、
やっぱり「YOKOHAMA」のシンボルですからね。
今は、照明を発光ダイオードにし、時間を短縮して、
消費電力を99%カットしているとか。
入場料の半分は、義援金に寄附されるそうです。
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